014 広間のヌシ
殺気を感じる、という表現は、ファンタジー特有の曖昧な表現だと私は思っていた。
殺意を覚える、ならまだ、それだけの強い憎しみや憎悪を覚えて殺してやろうと思っているんだ、と解釈できる。
しかし、殺気を感じる、という表現はつまるところ"そういう気配を感じ取っている"ということであり、そんなもの普通の人では理解不能だろう。そもそも殺気を向けられること自体が稀有であろう健全な日本の女子高生たる私は、特に。
───やっぱり内臓かなぁ。
口に咥えたアーミーアピスの羽根のパサついた食感を感じつつ、思う。
このアピスども、数はいるからよく食べるのだがハッキリ言って美味しくない。まぁ生で食べる虫が絶品だとも思ってはいないが、もう少しこう、やっぱりなんとかできないか思考錯誤はしたいよね。
そこで私は考えたのだが、モツを取り除かずに食べてみるのはどうだろうか。
今までは毒を避けて内臓は極力取り出して拠点の傍の川に捨てていた。あの川流れが速いから物を捨てやすいんだよね。
え?不法投棄?知るかこんな洞窟の奥で!!
まぁそれはいいとして、それなりにレベルアップした今の私であれば多少の毒でも案外いけるのではないだろうか、とちょっと思えてきたのだ。
確か〈毒耐性〉というスキルも持ってたはずだし──レベルは覚えていない──、なんなら毒を食べることでこのスキルのレベルが上がるかもしれないし、食べてみる価値はあると思う。
なによりも、モツを抜くとパリパリの外骨格とその内側にこびりついた多少の肉しか残らなくて、生き物を食べてる感じがしなかった。
もうこのパサついたマズメシは食べ飽きたのだ。料理の発展はチャレンジの連続だと聞くし、私もそろそろチャレンジするときな気がする。
よし!拠点に帰ったらこのままいってみるか。がぶっと。
───私は、油断していた。
周囲の警戒を怠っていたわけではない。ただ、考えることを放棄していた。
目が覚めたら狐の魔物になっていて、しかも得体のしれない魔物だらけの洞窟の奥。
一時はどうなるかと思ったけど、レベルだとかスキルだとかゲームチックな状況や、想定している以上に順調に物事が進んでいたために、細かな違和感を深く考えず都合のいいままに解釈していた。
こういう状況では細かな違和感こそを何よりも深く考えなければならないと、様々な
重力が極限まで重くなったような、周囲に黒い霧が立ち込めたような、重々しく、そしてあまりにも痛々しい感覚。
────即ち、
あまりにも、怖い。
なにこれ?なんだこれ……??
なんだこれ………!!?
邦画のホラー映画などでよくある、少しずつ不安感と恐怖を煽っていく展開などとも違う。
多分、狐になる前であればこんな感覚は分からなかったと思う。
気配察知や第六感など、周囲を警戒するスキルを使っているからこそ、周囲に対する感覚を過敏にしているからこそ感じ取れた視線。
意図していないのに呼吸が速くなり、全身からじわりと嫌な汗が滲み出るのを感じる。
転生してからこれまで汗をかいたことがなかったので狐はそういうものだと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
狐も汗をかくんだな、などとどうでもいいことを思ったからか、半分硬直しかけていた思考がわずかに緩まる。
……なるほど、これがあれか。殺気ってやつかぁ。
以前心を支配する恐怖が、しかし僅かに薄まったのを必死に維持しようと、凍えきった思考の片隅で逃避するように思う。
恐怖の根源は、私の斜め右後ろ。樹木の柱の隙間からわずかにその口を覗かせる一つの通路、その暗がり。あそこから、何かが、私を見ている。
明らかにこちらに狙いを定めて、見ている。
振り返ることすらできない。いや、したくない。
今そんなことをすれば泣いてしまうかもしれない。
なぜこんなにもあの視線には殺気がこもっているのか不思議で仕方がない。
これが殺気なのだとすれば、今まで戦ってきた虫たちの視線は全て無機質極まりないものになるだろう。
というか、なる。他の虫は何も考えず本能だけで動いていたに違いない。
………思えば、予兆はあった。
広間に魔物が異様に少ないこと、そもそも魔物が近づこうとしないこと、壁や柱の樹木に生い茂る植物の量に比べて、地面に生える草木が少なく貧相なこと。
他にも、違和感だけで考えればいくつも。
私は、この広間に虫が入ろうとしないのはそういう習性だと思っていた。
だが、そんなわけがない。
少しでもまともに考えればわかっただろうに。
他の魔物がここに近づかないのは、ただ単にここが
ドゴォッッ!!という何かが爆発したかのような破砕音が背後から響く。
それが合図だった。
うわあああああなになになになにっ!!!?
恐怖で硬直していた体が、今度は恐怖に突き動かされて全力疾走を始める。
同時に、破砕音の正体を見ようと一瞬だけ後ろを振り向く。思考加速のスキルを使っているため、一瞬確認するだけで十分だ。
振り向いた視線の先、少し離れた広間の端に、カブトムシがいた。
深い青色とも黒色とも見て取れる甲殻に、三本の立派な角を生やしたカブトムシが。
ただし、その大きさは遠目に見ても私の何倍もあるように思える。
もしも、あのカブトムシが柱の樹木をなぎ倒しながら私に向かって一直線に突っ込んできているという状況じゃなければ、そのかっこよさに感嘆の声を上げただろう。ムシ〇ングなら無敗間違いなしだ。
しかし、そのかっこよさは今のところ、ひたすら恐怖の対象にしかならない。
『《エンペラービートル Lv.20
ステータス
名前:なし》』
エンペラー!!皇帝かよーッ!!
いかつい名前してんな!!
しかもレベルも高いし!!
背後から響く死そのものみたいな樹木の破砕音を聞きつつ、私は拠点に向かって全力で逃げる。
あのサイズで、しかも木をなぎ倒しながら突進してくるバケモノとか敵うわけがない。見る前から分かっていたが見て改めて分かる。
あれは無理だ。
樹木の破砕音に加え、まるで重機でも走ってるのかと思うほどの重々しい足音まで響いてくる。
あんなのに突進されたら……ん?
足音…?
咄嗟に後ろを見る。
視界が遮られた。
違う!!
視界いっぱいになるほどに、その巨体が、エンペラービートルが、迫っていたのだ。
……はッッッや"ぁ"っ"!!?
瞬間。
衝撃。
全身が軋む。バキバキと骨が折れる音が聞こえてくる。
肺の中の空気が全て抜け、代わりのように全身を痛みが駆け巡る。
ぐぁっ──!??
既に肺に空気はないというのに、地面に激突し勢いのままゴロゴロと転がるその衝撃でさらに口から血反吐が吐き出される。
ぅ──ぁ───ぁぁ………
全身の痛みと、口いっぱいに広がる血の味を否応もなく意識しながら、私は悠然とこちらに歩いてくるエンペラービートルを見つめた。
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