008 走れヴァルプス
鼻が曲がるような悪臭に、前足を上げて鼻を塞ぎたくなる。だが、今の私には鼻を塞ぐために前足を使えるほどの余裕はなかった。
───砂色の鱗を、金のまだら模様が覆う独特の鱗。
槍のように硬質化したしっぽの先端は地面に擦れて高い音を響かせ、2対4個の赤い瞳はその全てがこちらに向いている。
蛇に睨まれるカエルの気持ちが分かった気がする。
私はいま、私の数倍の体長があるコロージョンサーペントと向かい合っていた。
『ヒカリゴケ』
『魔草』
『魔草』
『魔草』
『魔草』
『魔草』
『ヒカリゴケ』
『魔草』
……本当に
いくら名前が決められてないからって木も草も花も全部一緒くたに草っていうのはどうなの?
私はちょっとセンスないと思う。せめて魔樹とか魔花とかさ。あるでしょ、なにか。
人の頭の中にアナウンスできるならものの名前ぐらい決められないのか。
なんて全世界のノベリストやシナリオライターを敵に回しそうなことを考えつつ、私は来た道を戻っていた。
この上にも横にも広い空間はどこもかしこも景色が変わらないので、少し進む度に爪で傷を付けていたのだが、それが役に立った。
う〜ん…この辺から……あっちに行ってみようかな。
広いとはいえ、一応端っこは見える。ヒカリゴケのおかげでギリギリ慣れれば遠くも見れる程度の明るさはあるのだ。
で、この空間の端っこにはところどころにどデカい横穴が見える。まぁそれより先は遠いし暗すぎて見えないので、なんか通路が続いてそうだな、というふうに見える程度だが。
正直あんまり行きたくない。
そこら辺をバカでかい毒虫やら毒蛇やらがうろつく場所の、しかも真っ暗な通路の先とか、暗闇からバケモノがのそっと出てくるのがお約束だ。
そう考えるているとあんまり行きたくないが心底行きたくないに変わりそうなのでもうこれ以上考えないようにしよう。
半分現実逃避気味に考えつつ、私はチラチラと顔を覗かせてくる恐怖心をしまい込んで歩き出す。
怖いが、進まねばならない。進んで、探索して、食べられそうなものを探すという目標を達成せねばならない。
でないと……。
私は歩く。周りのものを鑑定しつつ歩くことに集中する。逃避気味に。
ちょっと小腹すいてきたなぁとか、思ってない。いよいよ腹がすいてくる頃ではない。ないったらない。
あ、でも…ハチなら意外とハチミツ的な甘みがある可能性…ないかな……ないよね……。
そんな風に集中して、というか逃避していたからだろう。
私は気が付けなかった。いつの間にやら微かに漂ってくるようになった、この静謐な森に似合わない腐卵臭に。
…………?なんか臭う…?
くさくね?腐った生ごみみたいな臭いがする。吐きそう。
…いやマジでくさいんだけど。なにこれ。どんどん臭くなってる。
ほんとにキツイ!!くっさなんだこれ!!?
最初は微かだと思ったその臭いが、どんどん強くなることに私は軽くパニックになる。
恐らく私がキツネだからだろう、ひたすらに吐き気を催すような臭いの流れが、まるで目に見えるオーラかのように知覚することができた。……このにおいが私の周囲をしっかり囲ってることも、同時に。
────しゅるるるるるる、と。
そんな息の音が、私の背後から聞こえた。
それまでひたすら臭いだけが漂っていたのに、それはまるでその瞬間から誇張するように、ずるずると体と地面が擦れる音を響かせる。
私は、それでこの臭いの原因を察した。
振り返る。
砂色の鱗を金のまだら模様で覆ったみたいな、独特な模様。2対4個の赤い瞳。
───コロージョンサーペントが、私の
………あっ、あ~っ。あ、あは、あはは……。
ずる。
…あ、あの…ほ、本日は…あの…。
ずるずる。
…お、お日柄もよく……。
ずるずるずる。
……たっ大変…お、お元気そうで………。
ずるずるずる──ガバァッ!!
何よりですぅぅぅぅ~~~!!!!
口を開きつつ一気に飛び掛かって襲ってきたコロージョンサーペントを間一髪でかわしつつ、私は全力で逃げ出した。
探索?できるわけねぇだろ!!私は拠点に帰る!!
前の戦闘でレベルの上がった第六感が、私に回避しろと全力で警告してくる。
私は後ろを見ることすらせず、第六感から叩きつけられるように流れ込んでくる危機感と焦燥に身を任せて跳躍。回避する。
その直後、私が一瞬前までいた場所に砂色のブレスが直撃する。
ほぼ同時に、ブレスの直撃した地面が沈み始める。肉でも焼いてるのかと思うってしまう、ジュウジュウとした音を立てながら。
ひっ、ひぃぃぃぃぃ!!
溶解速度が尋常じゃない!!なんだあれ!?泥沼に石を沈めてるんじゃないんだぞ!?
先ほどこいつと戦っていたハチの中にはブレスの直撃で半身が消し飛んだやつもいたけど、私も直撃したら同じ末路をたどりそうだ。
っていうかあのハチたちもう全滅したの!?うっそ早すぎィ!!
私が離れてからそんなに時間たってないでしょ!!もっとしっかりしてよぉ!
隠れてみてたのがバレてたのかしっかり目を付けられてるし最悪だぁぁぁぁ!!
再度のブレス攻撃を回避し、柱の樹木を曲がってコロージョンサーペントが直接噛みついて来ようとするのを防ぐ。
こいつはっや!!やばい!!逃げられないぃぃ!!
全身の毛が逆立つような焦燥感。後ろを向きたいけど、後ろを向いたら減速するから振り向ける余裕なんてない。背中が押しつぶされそうなほどの不安感と、その奥に感じる
相手の方が大きくて、速さで振り切れなくて、喰らったら一撃アウトな遠距離攻撃すら持ってる。
あの時戦ったリアガードアピスとは違う。高レベルで勝ち目なんてない。
ブレスを回避するために跳躍したところを、狙いすましたような尻尾の横凪ぎが襲ってくる。
咄嗟に爪を立てて、鋭利に硬質化した尻尾の先端に打ち当てるものの、尻尾そのものの直撃は免れず丸めたティッシュのように吹き飛ばされる。
少し転がり、柱の樹木に当たって止まる。
…い…いぅ……ぁ……
前足を見ると、爪が半ばから折れかけ、指先は深く切れて血まみれだった。
認識した途端、ずきりと痛みが走る。痛みは恐怖と不安に変換されて、私の心に叩きつけられる。
オタクは理解力はあるけど、心は
などと、頭の隅で逃避気味に考える。
目の前には、仕留めたと思ったのが優雅にずるずると近づいてくるコロージョンサーペント。
……あぁ…あぁぁ~。あぁ~クッソ。こんなところで死んでたまるかくそったれ。
起きてやる。まだ指先を切っただけだ。はん、ノートのページで指を浅く切ったときのほうが痛かったわ。
私は死なない…!こっちがぼろ雑巾同然だからって油断してるのがお前の敗因だ…。
ゆっくりと、ばれない程度に倒れた体勢を変える。
コロージョンサーペントが、私の目の前にくる。
口を開く。
私は後ろ足に力を込める。
私を捕食しようと、顔を突っ込んでくる。
───跳躍!!
バゴッ!!っという強烈な音を立てて、コロージョンサーペントの牙が木に食い込む。
想定外の事態に、全身をうねらせるように暴れ出す。
うおっ!ラッキー!!
コロージョンサーペントは、ゲームでは腐食ブレスをぶっ放すくせして腐食したものは食べようとしない偏食家だという設定があった。私はこの世界でもそれが同じだと、賭けた。
賭けは私の勝ちである。
フハハハハ!!!チップもって出直してこい!!生ごみ野郎め!!
瞬間。バゴッ!!という強烈な音を立てて、コロージョンサーペントが樹木の一部を嚙み砕いた。
腐食させたのだろう。嚙み砕かれた木の表面はぐずぐずに腐っていた。
しゅるしゅると威嚇するように息を吐きつつ、こちらを追いかけてくる。
……しかし時すでに遅し。
私の目線の先には、蔓草に隠れた小さな横穴。
拠点の、入り口である。
うおおおお!!生きてれば勝利!生きてれば勝利!!
逃げるが勝ちじゃい!!腐ってたまるかってんだぁ!!
コロージョンサーペントも必死に追いすがるが、あいつが私に追いつくよりも私が横穴に入るほうが間違いなく早い。
逃げ切れる。
私がそう思うのとほぼ同時に、第六感が猛烈な危険信号を発する。
半ば無意識的に振り向く。
背後では、走るのをやめて止まったコロージョンサーペント。
しかしその口は大きく開き、砂色の何かが圧縮されているかのように溜めこまれていた。
……あれは、あれはヤバい。
前を向き、走る。
走る。
焦燥感に駆られて。
背後でブシュッ!!という独特の射出音が聞こえる。口を絞ったホースから勢いよく水が出てくるかのような、擦れていて高い射出音。
ヤバい。
走る。
巣穴は目の前だ。
走る。走る。
─────走る。
直後、横穴に砂色の──全てを腐らせる腐食のブレスが直撃した。
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