004 避けて、走って、また避けて

『魔物』


 ハチとすら言わんのかい!

 あ、いや、異世界だしハチなんて呼ばれ方じゃないのかも。

 まぁ私もアレも魔物って鑑定する時点で魔物は全部魔物としか出なさそうだけど。


 私の頭上、見上げる程度の高さでブンブンと音を立てる翅の残像を残しながら滞空する一匹のハチ。

 しかし、その見た目は異様の一言に尽きる。


 まず、デカい。

 私と同じくらいの大きさはあると思う。つまり大きめの大型犬くらいの大きさがあるってことだ。

 そんな馬鹿でかいハチ聞いたことも見たこともない。地球〇衛軍かな?

 全身が黄色と紫色のまだらなもように覆われ、ところどころに生えて体を覆う体毛は生々しさと不気味さを際立たせている。

 虫特有の膨らんだ腹の先には、まるで狙いを定めるようにしてこちらに切っ先を向ける長く尖った針が突き出ていた。


 針の先からポタポタ垂れてるあの紫色の液体……間違いなく毒だよねぇ。

 もうなんか、色からなにから全てが「わたし毒です!」って感じだし。

 今しがた私に向けて不意打ちで放たれたあの液体も、恐らくあの針から出たものなのだろう。


 それはそうと、さっきの私なかなか凄くない?

 あれがいわゆる第六感ってやつなのかな~。獣の本能的な?

 もし避けられてなかったらどうなってたのか、視界の端に黒紫に変色した地面を捉えつつ思う。

 私の体もあんな感じでちょっと溶けたりするのかな。

 うひゃ~ゾッとしないなぁ~!


 もしかしたらそうなっていたかもしれない自分の姿を想像して内心で悲鳴を上げていると、空中で滞空してこちらを見ていたハチが動いた。

 常にこちらの方を向いていた針の先端に、突如、紫色の塊ができる。どこにもそんな量の毒液などなかったように見えたのに、まるで弾け飛んだ水の塊を逆再生するみたいに突如として、針の先端、空中にその毒の塊は出現した。


 それが、弾けるようにしてこちらに飛んでくる。


 ファッ!?


 ぺしゃっ!ジュウゥ~…


 うお~!?あっぶな!?そんな毒の飛ばし方ある!?もっとこう、針の先端からぶしゅーっ!って飛ばすとか!せめて針の周りから毒の液体が滲み出てそれが塊になるとか!そういうのじゃないの!?


 驚愕も束の間、再びハチの方を見ると、ちょうど今と同じようにして毒の塊を作り出していた。


 ちょおいちょいちょいちょい!

 途端に私は走り出す。ドッジボールじゃないんだから、この場に留まって避けようとする必要なんてない。

 私が走り出した途端、その後ろに毒の塊が着弾する。

 そしてさらにもう一発が今度は私の走る先を読んだように偏差を狙って飛来する。


 私は咄嗟に横にズレて、それを避ける。

 空中に飛ぶハチを中心にして、円を描くようにして走っているかたちだ。


 う~ん、まずいなぁ、相手は空中から遠距離攻撃、しかもジャンプしたって到底届かなそうな高さ。

 仮にジャンプで届いたとしても、飛んで避けられるだろうから意味はない。

 こちらの攻撃手段は今のところ爪で切りつけたり、噛みついたりするしかない。

 私に空を飛ぶ術はないので、反撃手段が全くなくてほぼ詰み状態である。


 いや、ホントにまずい。

 このままだと空からの毒玉爆撃で少しずつ追い込まれて殺されかねない。

 これ以上命がけの弾避けゲームを続けるつもりもないので、最初に目覚めたあの狭い空間まで一旦引き返そうと思う。

 で、こいつを巻いてからまた周囲の探索しよう。


 そう思い、私は走る先を変える。

 それまでハチの周りをぐるぐる回るように走っていたのを、来た道を引き返すようにして進路をとる。


 ───が、私の撤退という目論見はそこで潰えることとなる。

 それまで同じ場所から聞こえ続けていたブン、という羽音がでこちらに接近する。

 同時に、至近距離から浴びせられる毒の塊。


 近づく羽音に反応して咄嗟に後ろを向いていなかったら危なかっただろう。

 もみくちゃに転げるようなかたちだが、なんとか毒は避けられた。


 ………っ。


 すぐ起き上がるものの、自分の心臓が痛いほどに跳ねて言葉が出ない。

 キツネの高い身体能力にひたすら感謝しつつ、私は自分の考えを戒める。

 逃げることはできるかな、と思っていたのはかなり甘い考えだったようだ。まぁ普通に考えればあのサイズのハチの飛ぶ速度がかなり速いのは当たり前と思わなくもない。

 サイズが大きくなったら飛びづらくならないか?とかはこの際考えない方がいいだろう。なにもない空中に毒の塊を生成している時点でもう物理法則も何もないのだ。


 ………これは…逃げるのは無理かなぁ。

 腹をくくるしかないということか。こんな詰みゲーに?反撃手段なし、飛行方法なし、速度も相手が上。

 いや、やるしかない。


 私はまだ死にたくない。くそったれな世界で寝て、起きたら転生してた。

 キツネになったのはかなりの誤算だけど、それでも嫌なこと全リセットで第二の人生なのだ。

 あ、いやキツネだから狐生か?

 まぁつまり、こんなとこで死んでられない。

 そして、死にたくないならやるしかない。


 やったろうじゃねぇかぁ!!諦めたらそこで試合終了ですよぉぉ!!?


 回避したこちらに向かって再び撃ち出された毒を回避し、そのまま私は走り出す。

 先ほどと同じだが、とはいえどうすればあのハチを倒せるのかを立ち止まってじっくり考えている余裕はない。


 走る。

 毒玉が飛んでくる。

 避ける。

 走る。

 飛んでくる。

 避ける。


 地面が溶ける毒の塊とか当たったらどうなるかわかったもんじゃないので、避けないという選択肢はない。


『条件を満たしました。スキル〈第六感Lv.1〉を取得しました』


 おぉ!?第六感!

 勘が鋭くなるみたいなスキルかな!?


 と思ったのも束の間、なんとなく嫌な感じがすると同時に毒の玉が飛んでくる。


 おっと!このタイミングだとありがたいスキルすぎる!!


 ……う~ん、でも本当にどうしようかな。このままだとまた逃げ続けるだけだ。

 とりあえず、現状の再確認。

 私の手札は、牙と爪、あと強いて挙げるならそれなりの脚力。

 それだけ。


 対して向こうは、高速で飛べるうえに遠距離攻撃持ち。


 う~ん……おっと。


 再度飛来した毒玉を横に飛んで避ける。

 びしゃりと地面にぶちまけられた毒は、そこに生えていた木の根のような細い枝木をわずかに溶かしていく。


 ────あ。

 倒す方法、思いついたかも。

 思い立ったが吉日。善は急げだ。やるしかない。


 フハハハハハ!安全地帯から空爆してれば勝てるなどと思いあがるなよ!ハチ風情が!

 今すぐその伸びきったケツの針をへし折って地に叩き落としてくれるわっ!!


 飛来した毒を避けつつ方向転換。向かう先は、この空間を支えるひと際大きな樹木だ。


 あるじゃないですか~空まで届くぶっとい足場がっ!

 あれだけ蔓やら枝やらが絡みついてれば私でも多少は側面を走れるはず!


 走る勢いそのままに、爪を立てつつ木に飛び乗る。

 爪が蔓に食い込む感覚。前足が沈む前に後ろ足を立てて、蹴りながら前足を前に出す。

 うおぉぉ!!?っっいっけたぁ!!


 頭で動きをイメージはできても、それに体がついていけないのが自宅警備員運動不足のヒキニートというものだが、この体は全く持ってそんなことはないらしい。

 運動センス抜群の人もこんな感覚なのだろうか。思い通りに体が動く感じ。

 実に心地の良い感覚だ。


 飛んでくる毒玉を軽く跳躍して躱し、その勢いのまま再び樹木の側面へ。

 ぐんぐん登っていく。


 …が、流石にこの状態で毒を完全に避けるのは難しく、飛沫が少し毛にかかった。

 焼け焦げたみたいにシュウシュウいう自分の毛に内心悲鳴を上げる。


 ひぃぃぃ私の毛並みがぁぁぁさっき手に入れたばかりなのにぃぃ!!


 ────だが!!

 こんな詰み寸前の苦しい弾避けゲーももう終わりだっ!!跳躍っ!!とうっ!


 走る勢いそのまま、私は全力で飛翔する。

 ……ハチに向かって。


 あまりにも毒が当たらないことにしびれを切らしたらしいハチは、それこそ目と鼻の先と言っていいくらいの距離まで近づいていた。

 しかし、それがあだになる。


 全力で跳躍した私は、投げられた野球ボールのようにごく僅かな弧を描きつつほぼ一直線にハチに迫る。

 毒玉を当てることに必死になりすぎたハチはそれに反応できず、その時生成しかけだった小さな毒玉を放つので精いっぱいだったようだ。


 どんっ!!

 ぐしゃ!!


 ぐあああああ!!!いだだだだだ!!あ、あの野郎!作りかけの毒でも飛ばせるのかよいだいぃぃ!!


 跳躍中だった私に、目の前で射出された毒の玉を避けるすべなど無く、当然直撃。

 腹全体に焼けるような猛烈な痛みと熱さが走り、血管全てが心臓になったかと錯覚しそうなほどドクンドクンと体内の血が跳ねる。

 それに合わせてさらにズキズキと痛みが走るものだからもう最悪の一言である。


 ……しかし。しかしだ。

 痛みに悶絶しつつも、私の視界は一つのものを凝視していた。


 それは、頭が潰れたハチの死骸。

 黄と紫のまだら模様に全身が覆われた、毒々しい上にデカいハチ。

 その、だ。


 うぉぉおおおお!!!ハハハハハ八ッ!!!

 やったっ!やってやったぞいたいぃっ!

 生きてっ!勝ったどぉぉぉ!!アッハハハハハハッ!!!!


 ………私はその後しばらく、勝った喜びと生きた嬉しさと壮絶な痛みに悶え転げ続けた。

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