嫉妬

G戦場アリア

第1話 一通のメール

『新しい商品【愛を誓ったはずのワンピース】が入荷しました!』

 揚々とした調子で写真と共に添えた一言を、SNSに発信した。一呼吸を置いてスマホを置くと、反射したスマホに自分の顔が写った。シミや皺が無くて美しい顔だね、と数え切れないほど言われた顔だ。本人に悪気があってそんなことを言うのではない。受け取る私が卑屈なのである。

 元来外に出ず、他社との交流を避けて通ってきた私は、日に当たらず真っ白な顔をしているし、動かすことのない顔面は凹凸の少ない顔だった。

 私を褒める言葉はどれも、私を傷つけるナイフになった。

 いつしかそんな言葉にも慣れ、今度は言われないように努力をした。人間である以上、承認欲求の充足は避けて通ることは出来ないし、私とてその感情を心の内から排除することは叶わなかった。けれども、たいていの女性が感じている、「容姿を認められたい」願いをかなえてくれる言葉では駄目だった。その言葉は私にとって鋭利なナイフだ。発言した相手は図らずとも私を傷つけてしまう。

 私は、弱い私を守らなければならなかった。

 他者と直接交流する機会を自ら断った私は、そうしてSNSを通して承認欲求を満たす存在に成ってしまっていた。

 先程からじっと、黒いままの画面に映る自分の顔を見つめている。やはり何度見ても平らで、表情に乏しい顔だった。

 心の中で、可愛いと囁いてみた。すると心が、痛いよと言った。


 ぴろん♪

 軽快な音と共にスマートフォンが光った。蛍光を発し私の顔が見られなくなると、不思議と心の痛みが引いてゆくのを感じた。画面には、一件の通知が入っていた。私の投稿にハートが付けられたらしい。見ると、いつも一番にハートをくれる人だった。昼間の2時半にも拘らずハートを送ってくれる人は、いったいどんな人なのだろう。私は、その人のことが気になった。無論、恋愛と言う意味ではなく、その人がどのような為人なのか興味があるのだ。興味を持つところから恋愛は既に始まっていると、ピンク色の脳をしたかつての友人はそう語っていたが、私には今日までその意味が分からないままだった。そんな彼女が今、何色の脳で、どのようなことをしているのか、私には到底知り得なかった。

 私も、そんな目の前が真っピンクになるような恋愛とは、いったいどのようなものなのだろう。出会いがあれば、別れがある。それは、恋愛経験のない私にも容易にわかることだ。しかし、それ以外は全く想像もつかないことだった。

 今年で24になるのに、恋愛のレの字も経験したことがないことは、私にとって大いなる汚点となる。「可愛いですね」が果物ナイフとしたら、「その顔で恋愛経験ゼロなの!?」という言葉は、セレーションのついたサバイバルナイフと言ったところか。いつしか私には、私に向けられる誉め言葉は全てナイフに見えるようになっていった。

 私にとって、恋愛とは殺し合いだ。

 相手からのアプローチは殺害予告に、告白は脅迫に、愛してるは、死ね……?と言うことになるが、そこまで思い至って、考えるのを辞めた。純粋な殺意が愛情なのかと言われたら、それは違う気がする。恋愛も数学も、必要十分でなければ成立しないはずだと私は考えている。私にとって愛情が殺意だと感じるとはいえ、殺意が恋愛につながるとは考えにくかった。人から浴びせられる無意識の殺意を私が受容できない限り、私は一生恋愛することなどできないだろう。

 こじれた私の恋愛観も、恋愛してしまえば簡単に解決してしまうような気さえしていた。知らないことを想像するのは、限界がある。

 私は、殺されるほどに愛されてみたかった。

 ハッとして、画面を見直すと既に画面は真っ暗になっておりまたしても自分の顔が反射して写っていた。画面をタップして、先ほどの画面を開いた。変わらず、ハートは一つしかついていなかった。けれども、先ほどと違うのは、画面の右下にあるダイレクトメッセージの欄に一件と表示されているのだった。普段私の元には、「〇〇の在庫はまだありますか?」や「こんな商品が欲しいです」などの要望が多く届く。迷惑メールのように、対応に追われるほどの件数はたまらないので、返せるメッセージには私の手で直接返すようにしていた。

 だから今日もいつも通りに、数あるメッセージと同じだろうと思いメールボックスを開いた私は驚愕した。

 そこに表示されていたのは『ここは恋愛相談を受け付けてくれるところだって聞いて……』と控えめにも図々しい一言が添えられたメッセージだった。私は、一瞬自分の目を疑った。日々、スパムメールが届くことはあってそれはどれもアイコンのないアカウントから放たれた機械的なメッセージだった。そんな乾いた言葉には目もくれることなく削除のボタンをタップしていたのだが、メールをくれた人は違った。ディズニーか何かの塔を背景に友達と撮った写真がアイコンになっている。友達の顔面にはモザイクがかけられており確認することは出来ないが、恐らくは大学生だろう。こんな人が、私宛にスパムメールを送るとは到底考えられなかった。その気になれば、開示請求だってなんだって出来るのだ。そこまでされるリスクを背負ってまでする理由はどこにもなかった。

 しかるに、このメールは本当に私宛に来たメールだった。

 私は、眉間にしわを寄せてそのメールをもう一度確認した。宛名は『ayaka_2001@xxxxxxxxxx.jp』と書かれていた。恐らくは送り主の名前なのだろうと私は考えた。まだ若い、20代も前半だった。漢字は、どのような字を充てるのだろう。彩華だろうか。この名前ならきっと、可愛くておしゃれで、見る男全ての目をハートにしてしまうほどに生き生きとした人だろう。どれだけ思案しても答えにたどり着くはずも無かったが、考えずにはいられなかった。

 この偶然の出会いを、私は洗練し、育みたいと思っていた。

 返信ボタンをクリックし、挨拶から始めた。まずは相手の誤解を解くことから始めなければならないだろう。私は相手に警戒されぬよう、穴が開くほど一文字一文字を見つめながらキーボードをたたく手を進めた。

『メールしてくれてありがとう、でも、ここは恋愛相談をする場所じゃないの。ここは、確かに路頭に迷った恋愛者たちの遺品を専門に取り扱ってはいるけど、その時に簡単な事情は聴くことにしているけど恋愛相談をメインにしているところではないの、ごめんなさい。もし、商品を売りたいとかだったら話は聞くけど』

 推敲を重ねた結果、距離も近すぎず、突き放しもしない無難なものに仕上がった。きちんと断っておきながらも、協力するつもりではいるから安心してほしいと、私の込めた思いを相手が汲んでくれることに期待をしてメールを送信した。

 私の手元を離れた以上、もう手を加えることは出来ない。彼女との関係は、このメールが決めると言っても過言では無かった。

 メールを送信してから、何分その姿勢を維持していたのか。張り付いたように指先はキーボードの一マス一マスをとらえて離さなかった。指先に淡い痺れが残り、腕を上げるのにも何故だか苦労を必要とするほどに精神から疲弊していた。

 腕をだらりとおろし、天を仰いだ。あるのは天などという高尚なものではなく、白塗りの天井と電球だけだった。これまでにない、大きなため息が一つ零れた。

 どういう訳か、メールを送信したことすらも忘れていた。日も変わり、作業に取り掛かる前に必ずメールを確認するという日課が存在しなければ、「ayaka」から来たメールも黴だらけになるまで放置していたかもしれなかった。昨日、魂を削って作り上げたメールだったというのに、書き終えてしまえば以降どうしようもできないのだからと、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。体は、その疲弊をつゆも覚えてはいなかった。

 そのメールは、昨日私が送信してから一時間足らずで返信されたものらしかった。再び緊張にふるえる人差し指を抑え込み、カーソルを合わせてクリックした。


『ここが恋愛相談をする場所ではないことは理解していたのですが、友達が、ここに出品したって聞いて、その時にいろいろと聞かれたらしかったので。もしかしたら恋愛相談も承ってくれるのかなって思って。』

 どうやら、以前担当した子の友人だったらしい。「ayaka」のアイコンに写る靄のかかった顔がその人なのだろうか。匿名をモットーにしているので客の個人情報は余り手にしないようにとしているが、無性に興味が湧いた。


『私も、以前彼氏と別れました。彼氏と付き合ってた時に、いろんなプレゼントを贈り合っていたので、手元には彼氏からもらったプレゼントが幾つもあります。捨てられなくて困っているので、どうしようか迷っていたところ、友人からこのサイトを教えてもらいました。』

「ayaka」から送られてきたメールを拝見したところ、恋愛相談はあくまで本当の目的の副産物に過ぎなかった。私のサイトを利用したのも、後腐れなく元カレのプレゼントを廃棄したかったのだ。


『ここは、捨てられない元カレのプレゼントを買い取ってくれるところだって聞いて。プレゼントをごみ箱に捨てるのは簡単だけど、なんか……呪いみたいで。買取とか、出品するサイトにも嘘を書いて、この呪いを事情も知らない人に嘘ついて引き継がせるのも申し訳なく思って。あなたのサイトは、元恋人のプレゼントをユーモアある言葉でうまく包んでくれて、それなら、この呪物みたいなプレゼントも少しは祓えるんじゃないかと思ったので、メールさせていただきました。』

 メールを読み終わったあと、私は形容しがたい達成感と疲労に心地よさを覚えていた。それほど長くないメールを読むのに費やした時間は、いったいどれほどのものだったのだろう。

 私の思い付きで運営した通販サイトは、当時私が想像していた趣味程度の娯楽の範囲をいとも簡単に逸脱し、今では『独創性あふれる言い回しとアイデア』が高く評価されるまでに至っていた。「ayaka」が心の安寧を取り戻すための隙間にこのサイトを選んでくれたのだと思うと、今日まで続けてくれてよかったと思えた。


 私は、メールの返信が遅れたことを素直に謝罪しよう、そして、彼女に好意的であることを表明しようと、送信ボックスを立ち上げた。


『すみません、すぐにメールの返信を下さったのに。そう、彼氏と別れてから、そんなことがあったんですね。このサイトを利用してくれる人の仲にも、元カレにもらったプレゼントをどうにかしたいけど捨てられなくて困ってるっていう相談を受けるから。商品そちらに送ってくだされば、また詳しいお話をお聞かせしていただけますか?』

 私は、またも誤字や敬語表現があやまったものでは無いかを具に確認した。文字通り、液晶に穴が開こうとするくらいに。

 一通り確認を終え、送信ボタンを押した。例の如く、送信ボタンを押した人差し指からは震えが起こり、肩に石でも乗っているかのような疲労が私の体を襲った。首の骨をぽきぽきと鳴らし、私はすぐ横に設置してあるベッドにパソコンを持って移動し、うつ伏せにそれを操作した。


『ありがとうございます!そしたら、商品送りますね。指輪なんですけど、私と彼の名前が印字してあって……。そう言う商品も、買取してくださるんですか?』


『ええ、お構いなく。前にも、離婚した夫婦の名前入りのペアリングを出品してくださった方もいらっしゃいましたが、同名の女性が直ぐに購入を決めてくださいました。「こんなきれいで価格も優しい指輪、買う手間が省けた!元の持ち主にありがとうと伝えておいてください」と感謝されていた様子でしたし。きっと、あなたの指輪もどこかでそれを欲している人の目に留まるはずです。』


『よかった、ものの写真送りますね』

 メールに同封された、一枚の画像ファイル。それを開くと、「ayaka」の言っていた通り名前が刻まれていた。

 綺麗な、シルバーの指輪だった。そこには、やはりローマ字で「ayaka」と刻印されていた。彼氏の方の指輪にも同様に「manabu」と書かれていた。金色の指輪だった。もしかするとレプリカで、真鍮かもしれなかったが、私は金属加工の専門家でもあるまいし、色や光沢を診たただけではモノの価値は判断することが出来なかった。

「manabu」……。漢字で表したら恐らくは学だろう。もしかすると勉の可能性も考えられるが、どちらにせよ聡明で博識なイメージをほうふつとさせる漢字だった。「manabu」と「ayaka」の関係性が、私の中で無視できないほどに肥大するのを、高揚感と言う形で私は知覚していたのだった。


『お写真まで添えて下さって、ありがとうございます。ちなみに、お相手の指輪を何故あなたが?』

 私は抑えきれない興味の一端を、彼女にぶつけてみることにした。本来業務上ここまで客の個人情報を聞き出すような真似はしない。けれども彼女の放つ伺い知れなさが、私の知りたいという知的好奇心を奮い立たせるのだった。


『これは、彼——————学が、別れ際に私に投げつけて来たんです。もうお前とは一緒に居られない。俺は出ていくって。そう言って。だから、私の手元には、今は二つ、私の指輪と、彼の指輪の二つがあるんです。』

 そんな背景があったとは。彼女に、嫌な記憶でも掘り起こさせてしまっただろうか。私は、人の気持ちを推し量るのがあまり得意では無かったが、今の私には、彼女がとてもつらいのだと分かった。文字腰に伝わってくる、悲哀に満ちた句点が、滴り落ちる涙のように見え、余計に悲しい気持ちにさせてしまった自分を恥じた。

 恋愛経験とは、こういう臨機応変な対応のことを言うのだろう。私には、彼女になんて言葉を掛けてあげるのが正解なのかの判断が未だつかない。優しい言葉を投げかけるだけが正解ではないことは分かっていながらも、私は彼女のことを、言葉で傷つけながら、言葉で癒していた。それは一種の鎖のように、彼女の手足を絡め取り、次第に逃れる術を奪うかのような、醜くずるい鎖だった。

 彼女をがんじがらめにしているのが、元恋人から私になっただけで、状況は一向に快方へ向かおうとはしなかった。


『そしたら、指輪二点の出品と言うことで宜しいでしょうか?後日正確な査定やを通してそちらの銀行口座に送金いたしますね』

 先の反省から、私はあまり長いメールを打つのは控えようと思った。私と彼女は真逆だ。私が誉め言葉で体を傷つけられるように、彼女は悪口で簡単に心を病んでしまう。けれども誉め言葉も彼女の行く先を塞いでしまう危険な言葉だった。

 なら、私がいまかける言葉は何なのだろう。

 考えた結果、それは無関心と言うことになった。これまで接してきた客と同じで、商品のタイトルを付けるために必要最低限の情報を聞き出す。それについて詳しく詮索することはしない。出品が終わり次第、客との接触はなるべく避ける。

 なんだ、いつもしてきたことじゃないか。

 相手に個人的な興味があることが、彼女を詮索していい道理にはなりえない。私はこれ以降のメールを、これからの自分の『糧』として彼女を利用することに決めた。

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嫉妬 G戦場アリア @wataru3316

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