第11話 消えぬ不思議

 弦庵は寝床に横たわっているのを感じていました。

 意識は戻ったものの、まぶたがくっついていてまだ目を開けられません。ゆっくりと体の感覚を探り、いたるところに傷の膏薬が貼られ、胸も腕も足も麻布でぐるぐる巻きにされているのを感じます。幸い、骨は折れていないような気がしますが・・・打撲もひどいようです。

 足元が抜けて天地がひっくり返ったことだけ覚えていました。

 そこまで意識を探って、弦庵はがんばって目を開けました。ぼやけた視界に膏薬の端っこが斜めにはみ出しています。

 「気がつかれたか・・・大丈夫かや?」

 ひとりのおなごの顔が視界にかぶさってきました。それを見つめるうち、次第に視線が定まってきました。

 「わしゃ・・・落ちたんか?」 弦庵はかすれた声で聞きました。

 「みたいじゃな。村のもんが麓で血まみれになっとるのを見つけたで。家じゃ面倒見きれんからここまで運んできた」

 「ここは・・・?」 弦庵が目だけ動かして見える範囲を見まわします。梁のめぐらされた天井は高く、片方は土壁があり、もう一方は大きな衝立で仕切られ、足元の先の方の戸口は開け放たれているようですが・・・空気感だけでも相当大きな部屋のようです。

 「薬草庭園じゃ。大した病人やケガ人を介抱するとこじゃ」 女が言います。「おまえ様は、お医者様かえ?」

 今度は女が枕元に置かれた往診道具を見て聞きました。破れた包みは取られ、同じ色合いの新しい布で包まれています。しっかりと背中に括り付けられていたので、バラバラにならずにすんだようです。しかし、これのせいで重傷化したとも言えるかもしれません。

 弦庵は喉を締めるようにしてくっくっと笑いました。

 「医者が手当てされる側になろうとはな」 自虐的に言います。

 「ちゃー!」

 突然、二つ三つくらいの歳の幼な子が二人、パタパタと廊下らしきところを走って部屋に駆け込んできました。

 「こら、二人とも・・・ちっと向こうにおれって言うたじゃろ」 向き直って、飛び込んできた二人を腕の中に一度につかまえると、両腕に一人ずつ抱えて立ち上がり、廊下の奥の方に向かって「おとう! ちゃんとつかまえといてくんろ!」と叫びました。

 「すまんすまん」 言いながらドタドタと廊下をやってくると、『おとう』は女から同じように両腕に二人を受け取り、「おお、気がつかれたか」と弦庵に会釈し、ギャーギャーと女の方に向かって手を伸ばす幼な子を連れ去りました。

 「お子たちか?」

 「んまあ・・・年子じゃて。バタバタしすぎて困っとる」 女は嬉しげに言います。そのまま壁際の戸棚を開けると、煎じ薬を作り始めました。

 「息災じゃな・・・」

 弦庵はため息をつくように言うと、目を閉じました。確か一人は女の子のようじゃな。年の頃も・・・あの子がそうであるか、この夫婦めおとが千丸の言う家のもんなのか・・・。

 ・・・まあ、今さら掘り返すこともなかろう。とりあえず、幸せそうな一つの家族を目にすることはできた・・・。

 あの赤子が本当はもうこの世のもんでないとしても、やはり忘れてやることも一つの供養にはなるのかもしれん・・・。

 千丸の話も作り話だろうが何だろうが、もう突き詰めても仕方あるまい。

 弦庵はここに来てそんなふうに心持ちが変わっていきました。

 「さ、これ飲んで、もうひと眠りしなされ」

 女は煎じ薬の椀を置くと医者の頭を手で起こし、匙で薬を口に運びました。こんな立場になるのは初めてです。医者にはすぐにわかりました。体を休ませるための、催眠作用のあるものだと。自分も休養が必要な者には普通に処方するものです。普通なら、『医者』の仕事です。傷の膏薬を作ることも・・・。

 この女が医者なんか・・・? それとも、他におるんか・・・? ここは一体・・・。

 医者を住人として抱えている村など聞いたことがありません。村々を診てまわる自分は言わば特殊な存在なのです。だからこそ人々から手厚く扱われ、もしかしたらみやこからも目こぼしの状態にあるのかも知れない・・・。

 そう思い巡らすうちにも、弦庵は眠りに落ちていきました。

 

 弦庵がまず驚いたことは、次に目覚めた時、自分の烏帽子が取られて頭が丸出しになっていることでした。何気なく額の膏薬に手をやって気がついたのです。別にそこ以外に頭に怪我をしているのでもなさそうですが。宮中を出て以来、当然ながら庶民と同じ木綿の烏帽子をかぶっていましたが、最初に目覚めた時はそこまで気がつかなかったものの、狼狽しました。今の世、普通、男が頭を丸出しにすることはありません。どんなに貧しい村人でもボロボロの何かはかぶっていました。そして自分も、たとえ死にかけの病人だろうとよほど頭の怪我ででもない限り人の烏帽子を取らせたりはしません。最初に見たあの女がそばにいたので問いかけようとしましたが、そのまわりに現れた何人かの男たちも頭を丸出しにしている・・・烏帽子をかぶっているのは一人だけ。それも女の着物の端切れで作ったのか紅葉柄の派手派手しい・・・芸人でもそんなものはかぶらないだろうと思えるような。そして、髷をきちんと結っている者もなく、無造作に伸びた髪をただ縛っていたり、短く斬髪にしている者も。それぞれ好き勝手な頭をしているようです。

 そういえば、この女も髪は宮中の女御や女房たちのように長くはない・・・むしろ背中の中程ぐらいで切り揃えたものを後ろで簡単にくくっているだけのようだ。それも首のあたりに美しげな布を蝶のように結んでいる・・・。

 それらを見て、弦庵は質問を呑み込みました。ここは京と同じ感覚が通じる所ではないようだ、と。


 その後、医者は村の者から少なくとも五日は養生するようにと言われ、医者も同意しました。それからもあの女だけではなく、色んな村人が老いも若きも男も女も入れ替わり立ち替わり面倒を見にきました。そしてどの者もその時々にふさわしい手当てをしていくのです。そして誰一人として『医者』とは名乗りません。更には不思議なことに、どの者もまるで毎日着替えているのではないかと思えるほど衣服がきれいで汚れや繕いの跡はあるものの、明らかによく知る村々の住人たちの姿とは違うのです。皆、健康そうで体格もしっかりしていそうな者たちばかり。老いも若きも、男も女も。

 ・・・これが『伝説の村』なのか? 自分はその村を発見したのか・・・?

 しかし、まともに「ここは伝説の村か?」と聞いてみるようなことは憚られました。この村人たちがここをそう思っているのかどうかわからないからです。

 とにかく弦庵はこの村のことをもっと知りたいと思いました。『伝説の村』であるにしろ、何か他のものであるにしろ。赤子のことがなければ知るよしもなかった村・・・。

 そして傷が癒えたあともしばらくここに滞在させてもらえるかどうかが気になりだしました。

 五日たって、床上げとなり、弦庵は村でしばらくは養生を続けることになりました。まだあの山越えの旅に出られるほど回復してはいないからです。巻かれている麻布がすっかり取れた訳でもありません。そして、『患者用』だと言う食事が、毎回きちんと炊かれた米の飯や、鶏肉や川魚や幾種類かの根菜や汁物が十分に出てきたことも驚きでした。弦庵の患者たちは毎日ほとんどひえや粟しか口にできないのです。荘園の田んぼの収穫は大半が年貢用でした。たとえ豊作のときでも、飢饉になっても納められるようにと、備蓄に持って行かれてしまうのです。

 久しぶりに顔を見たあの女が、部屋の中ですることもなく座っていた弦庵に、待っていたらしい質問をしてきました。

 「何であんなとこに落ちとったんかのう」

 当然の質問でした。呼びもしない医者がこんな山越えをしてまで来るはずもないのですから。外の者は『侵入者』にでもなってしまうのでしょう。ここが間違いなく『伝説の村』だというのなら。

 弦庵は「何しに来た?」と問われたように思い、困りました。どんな理由をつけたらいいのか・・・この村のことを伝え聞いて見に来た、とでも言うか、それとも赤子の話を・・・?

 弦庵は自分が作り話をしたくはありませんでした。女が特に表情もなく見つめる中で、少し腕組みをして考えていた弦庵はとうとう言い出しました。まずはこれしか話を始める方法を思いつきません。千丸が来たのがこの村だというのなら。

 「突然ですまぬが・・・三年ほど前じゃが、このあたりに捨て子はなかったかのう?」 できるだけ気軽を装って聞きます。

 女の表情がかたまりました。

 「探しに来たんか?」

 弦庵は、これは、と思いましたが、今の息災を邪魔する気はありません。こっちが先に説明すべきだろう、その上で捨て子があったかどうか返事をもらえればいい───。

 弦庵は洗いざらい話そうと思いました。

 「そん時じゃ、わしはある村から呼ばれて、胸にただれを負った女を診ることになった。呼んだもんの女房じゃが、近くの山で拾うた捨て子にさ湯をやろうとして乳首に食いつかれたと言うんじゃ。ええ年の女房じゃから乳も出ず、それで赤子が怒って乳首を食いちぎったちゅう。そのあとの手当ても悪うてな。亭主が血を止めたいと思うあまり、古〜いぬり薬をぬりよったんじゃ。それも傷には使えんやつじゃ。そのまま、手に負えんと思うたその赤子をどっか知らんとこに捨てに行った・・・それが南の山を越えた麓に一番近い家に置いてきたと。わしは、亭主に聞いた通りに山を越えてきた。そしたら、こういうことになった・・・この村かどうかは今ひとつ定かではないが」 弦庵は思い出すまま一気にしゃべりました。

 「女房さんはどうなった?」 違う質問をしてきます。

 「亭主がほったらかして行った間に薬の毒気が体中にまわってな・・・わしが診た時には手遅れじゃった」

 「手遅れ・・・」 女は驚いたようにつぶやきました。「で・・・捨て子をまた捨てたと?」

 「そういうことじゃ。じゃが、最初の赤子の食いちぎりの話がどうも腑に落ちん。拾うた場所はその近くの竹林らしいが、そこに一本だけでっかい竹が真っ二つに裂けて立っとったちゅうが・・・亭主が斧で切り倒したとはいえ、そこにそれらしい竹なんぞ跡形もないんじゃ。わしもその子は見とらんし。じゃから亭主の作り話かとも思うたが・・・作り話なら、誰が食いちぎったちゅうことにもなる。亭主はほんまじゃと言い張る。あとは赤子を置いた家を探してみるしかない」

 「探して、何をする気なんじゃ?」 女の顔は隠せないほどに青ざめていました。

 「何もせん。ただほんに捨て子があったんなら、その子が無事に育っとるかどうか確かめたいだけじゃ。それさえわかったら、この件はおしまいじゃ。わしゃ、何もかも忘れて帰る」

 女は腕を組んでしばらく考えました。

 「確かに・・・捨て子はあった・・・ここで無事に育っとるのも確かじゃ・・・じゃが」真っ直ぐに医者の目を見ます。

 「どの子がそうかは言わん」 女は同じような歳の子が何人もいることにほっとしていました。

 「そうか・・・無事か・・・この村で、大事にされとるんじゃな」

 弦庵は思わず涙ぐみました。難儀な山越えをしてきた甲斐があったというものです。そして、千丸への疑念もこれで何とか晴れたのだろうと思いました。どうやってここまで来たのかという不思議を除いて。

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