第12話 あるがままに

 その後、弦庵はさらにひと月ばかり滞在しました。村人たちは言います。自分で行けると思えるまでいてくれていい、と。村人たちは想像以上に親切で、思いやり深く、何くれとなく面倒を見てくれます。但し、まだ外を出歩いてもいいとは言われませんし、当たり障りのない雑談はしても村のあれこれを教えてくれる訳ではありません。廊下を渡った外の前庭に降りて運動するぐらいが精々でした。別に門や塀があるわけでもないので、あたりを見渡すことはできますが、それで村の何かがわかるものでもありません。ただ、豊かな暮らしであることが想像できるだけです。家々も竪穴ではなく、小ぶりながらちゃんと壁のある茅葺きの建物のように見えます。わかるのはそれだけ・・・。

 そして、この建物の自分のいる部屋の隣と思われる部屋は締め切られていて、その隣に一際高く聳える三層建の楼閣があります。まだ何の建物かもわかりません。

 やはり、『囚われの身』であることは間違いなさそうです。

 それでも弦庵はめげずにヒマに明かして、遠慮がちながらも食事を持ってきてくれた若者に聞いてみました。どうして、みんないっぱしの医者ぐらいのことができるのか?と。医者の端くれとして、こういう村もあることを知っておきたい、もし、教えてもらえるものならば・・・。

 問われた若者は別の村人を呼びに行きました。若い者が自分の判断で答えられるような質問ではないのでしょう。

 そういえば、この村の人々は誰一人として名を名乗りません。弦庵も助けられた翌日、気分が落ち着いたのを機に名乗ろうとしましたが、その時もあのおなごに「必要ない」と軽くいなされてしまったのです。もちろん、今もその女の名は知りません。

 隠れ住んでいるに等しい『伝説の村』なればそれも道理か、と思い、素直にそのやり方に従うことにしました。少なくとも、この村の人と『友人』になることは叶わないようです。早晩、体調が許せば退散せねばならないのでしょう。

 そんな雰囲気もあり、別に監視されているのでもないようですが、弦庵はその建物から離れて勝手に村の中をうろうろするような不躾なことは控えていました。ただ、日がな一日、食事を持ってきたりして面倒を見てくれる人々と他愛もないような会話をするばかりです。村のことを何も教えてくれない代わりにこちらのことも聞いてこないのです。あの女に質問されたのがただ一度きりのことでした。

 やがて、その女が一人でやってきました。二人の幼な子の母親です。薬を変えるだとか床上げだとか、容体を見立てる時には必ずこの女がいました。そしてこちらからの問いかけを受けて今またやって来た・・・相当な役割でも持っているのか? と弦庵は推測しました。何とか村のことを知りたいという気持ちが先走ります。

 女は初めて医者が寝起きしていただだっ広い部屋の裏側へ、その建物の裏手へと案内しました。医者であるし庭園だけなら見せてもええじゃろう、と。

 この医者をどう扱うか。村の合議で大方の所は決まっていました。入れ替わり立ち替わり色々な者が様子を見た結果です。ここへ逃げて来たわけではなく、捨て子の無事を確かめるという目的を達すれば帰るということ、そして、これからもその子が無事であることを願っている・・・。少なくとも悪意の者ではないだろう。

 それにしてもまさか今になってタケのことが明かされる事態になろうとは、タケのおかあですら思いもしないことでした。しかし、医者も抱えているある疑問点だけは残りました。

 どうやって、その御仁は赤子を背負ってここまでやって来れたのか・・・? 崖落ちもせずに・・・?

 「おお・・・これが薬草庭園か・・・」

 そこに広がる光景に弦庵は驚嘆しました。村人から庭園で薬草を栽培しているから薬類はたっぷりあるようなことは聞いていました。砂を掻き、石を配して造られた枯山水の庭の周囲を、豊かな緑や咲く花々が彩っています。もちろん、植栽は全て薬効のある草花です。大きな敷地のあちこちに様々な枯山水や実際に水が流れる山水が配され・・・特に背後に自然の造形を利用した二つの岩の間から小さな滝の流れ落ちる山水はその水をたたえる池もあり、一際大きく美しく、そこを渡る橋も設られ、まるで貴族の庭を眺めているようです。しかしそれほど仰々しくもありません。その滝の前には大きな広場もあります。そこには催事などが行われていそうな装飾の残りなども見られます。誰でもがそこを散策することができ、必要ならいつでも好きなだけ草花を採取することもできました。そして誰でもが気ままに手入れをし、思うがままに飾りつけ、常に庭園は美しく保たれていました。

 「みんな医術や薬事を知っとるのは、代々の伝承じゃ。この庭園も、村の全員が受け継いどる。いつ始まったのかはわからんが・・・隣の文庫にその伝承が収められとる」

 『文庫』とは、あの楼閣のことか? と弦庵は思いましたが、今は出すべき質問ではないと思えました。

 「それを読んで、みんな学ぶんか?」

 「それだけではない。新しくわかったことは、すぐに書き足していく」

 「誰が教えるんじゃ?」

 女は怪訝な顔をして医者を見ました。

 「教える・・・? 誰も教えたりせん。そりゃ聞かれりゃわかることは答えるが、みんな自分で知りたいから知っとるだけじゃ。体が安寧に暮らしていける方法なんじゃからな。しんどい目には誰も会いとうない。じゃから、みんな医術や薬事は自分のために憶える」

 「なるほど、じゃからわしがおる間もあの部屋で他に寝とるもんが一人もおらんかったというわけか」

 「病いにかかるもんもあんまりおらんでのう。なんか調子悪いと思うたら、すぐに治すようにしとる。悪いとわかっとるもんを食べたりもせんし。じゃからこそ、いざ病人や怪我人が出た時は役に立つ。お医者様みたいにの」 弦庵をちょっとはすに見上げます。「それにたまにお天道様が荒れることもある。備えとしてもこの庭園を守っとる」

 庭園の山水から山水を渡る小道をふたりで散策しながら、道の両側にも植えられた薬草の群れについて、いつの間にか、知識を持つ者同士の薬草談義に花が咲いていました。弦庵は女の知識の奥深さにまたしても感嘆していました。この自分も負けそうです。

 これじゃ、医者は用無しのはずじゃ・・・。それであの赤子も助けることができたのかもしれん・・・。

 庭園にはあちこちで子供たちが山水の池で水遊びをしていたり、草花を摘んだり泥団子を作ったり走り回ったりしてワーワーと遊んでいます。多くの大人たちも手入れにいそしんでいるようで、特に弦庵を気にする者もないようです。弦庵は子供たちの中にあの二人を探そうとしましたが・・・女は次々と医術の話を持ちかけてきます。やはり、外の者の話に興味があるのでしょうか。

 ひと渡り庭園を散策し終えると、建物の表にまわりながら「いやあ、感服いたした」と弦庵は素直な感想を述べました。

 「普通のことじゃ」と女はあっさりと言いました。

 出かけた時は閉まっていた医者の部屋の隣の引き戸が大きく開け放たれています。何の部屋だろう、と気にはなっていました。さっき、女は『隣の文庫』と言いましたが、中で子たちが部屋のあちこちに散らばって、寝そべったり立って歩きながら空中に手を振ったりして書物を読んでいます。

 「学問所か?」

 弦庵は聞いてみました。それにしては子たちの態度が良くないようです。大人の姿も見えません。やがて一人の子が書物を文机の上に置くと、外へぱあっと飛び出していきました。飽きたんかな?と弦庵は思いました。かと思うと、二、三人の子がわいわい騒ぎながらバラバラと部屋に上がり込んで、戸が半開きになっている文庫の中へ入り込んでいきました。興味の湧いたことの書物の物色でもするのかもしれません。庭園にいた子たちよりも年上に見えますが、そばにいる『知らない顔』を気にもかけないようです。それともそういうふうに言い含められているのか・・・。

 「なんか、お医者様はさっきから変なことばっかり言うのう」 女が子たちの景色を見てくすくす笑いながら言います。

 「みんな知りたいときに知りたいことを知りたいように知るだけじゃ。じゃからなんぼでも知れる。子たちも一緒じゃ。そりゃ、小さいときはおかあやおとうが『イロハ』ぐらいは教えるが・・・あとは何に詳しくなるか、本人任せじゃ」

 「それでみんな薬草ばっかりじゃのうて色んなことの物知りになるんか」

 「ま、好き嫌いもあるからのう。薬事に興味のないのもおるが・・・色んな物知りが色んな村の役に立っとる」

 弦庵は自分が知る他の村々とのあまりの落差にため息をつきました。この魅力あふれる薬草庭園といい、人々の医術に向き合う姿勢といい・・・何でこんなことが起こっているんじゃろう・・・? それも代々続いているという・・・これが本来の人の姿なんか・・・? そして、あの急峻な山々に隔てられているとはいえ、誰にも知られずにこの村はひっそりと平らかな生活を謳歌してきた・・・それが『伝説の村』・・・。

 弦庵は思い切って言い出しました。

 「ものは相談じゃが・・・ここに住まわしてもろうてもええじゃろうか?」 なるほど誰も戻ってこないはずだと一人納得していました。

 女は医者を見上げると真面目くさって言いました。

 「そんなことしてもええんかのう?」 女の頭にはあの往診道具が浮かんでいました。そして、『食いちぎられた』女を助けることができなかったという話も。

 「え?」

 「他の村が呼べるお医者が一人減ることになるんでないか? 呼ばれて、あの山越えてくんか?」

 「あ・・・」 弦庵はパチンと片手を額に当てました。確かにそうです。自分は研究者ではなく、往診を生業なりわいとしている医者なのです。村々からは当てにされているのです。そして、この村では自分は当てにされることはない・・・。はっきり言って、用のある人間ではない。

 そして、この村のことを他で話してはならないとも思いました。村人から言われたわけではありませんが、ここの医術を求めて村々から人が押し寄せるようなことになってはならないのです。そしていずれは『京』の取り立ての対象にされるかもしれない・・・。そうなると、やがては他の村々と同じようなものになってしまうかもしれない。村の、赤子の平和を、この美しい、人々の健やかな暮らしを奪われないためにも、このことを知られてはならない!

 そのためにも往診する医者はより精進せねばならん、と。

 そしてこうも思いました。

 自分は『伝説の村』へ行って戻ってきた初めての人間になるのではないか?

 少なくとも千丸自身は行った先が『伝説の村』であるとは思っていない。

 しかしそれは自分の中だけにしまっておくこと───。

 

 こうして村は伝説のままになり続ける―――。

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