竹の章

其の一・・・日出る処

第3話 天上の里

昔むかし、歴史も語らぬ隙間の昔、この地上のとある鬱蒼たる竹林の中に、一つの生命いのちがもたらされました。

 しかし、それは、その場所で目覚めるべき姿とはだいぶ違ってしまったようです。


 (う・・・うーん・・・苦しいよぉ)

 

 ・・・目の前が白く輝いてる・・・何が見えているのか・・・

 真っ白で、何もわからない・・・

 何だか、体全部が締めつけられてるみたい・・・何でこんな・・・

 

 ここは、何・・・⁉︎

 ・・・もう、我慢できない・・・!


 根元が淡く、柔らかに、桃色に輝く一本の大竹。

 まわりに比して極太く成長した竹は、突然、根元から真紅の光を放つと、バリバリと大きな音を立てて内側から裂け始めました。

 まるで、食い破られでもするかのように。

 その裂け目は竹の節々を越えてみるみる上へと伸びていき、あっという間に真っ二つに割れ、同時に根元から大量の真っ白い湯気が一気に立ち昇りました。

 大きく口を開け、片方がわずかな根元に支えられて、ゆらゆらと竹林の中で揺らめいています。

 「は―――――っ」

 光が小さくなり、根元に吸い込まれるように消えると、大きな息を吐いて、湯気の中から素っ裸の赤ん坊が両手で裂け目を押し広げるようにして這い出してきました。

 赤ん坊、というには少し育ちすぎのようですが。

 赤ん坊は両手で目をこすり、ゆっくりと瞼を開くと、ぼんやりとした視界に映る世界を見まわしました。

 やがてそれははっきりと像を結び・・・


 ・・・誰もいない・・・?


 もれ落ちる月明かりの中で、ざわざわと竹の葉擦れが立ち騒ぐだけ。

 赤ん坊は何度かすすり上げると、やがて

 「うぎゃ〜〜〜!」

 大声で泣き始めました。

 ここが人里からどれくらい離れているのかはわかりません。でも、誰かに見つけてもらわないことには・・・

 生きる術がないのです。

 呼応するかのようにどこかで「ウォー」という遠吠えのような声が響きました。

 この泣き声は獣たちを呼び寄せるかも知れません。

 それも、賭けてみるしかない・・・。

 赤ん坊の声は、虚しく夜の闇に吸い込まれていきました。


 泣き疲れて、少し眠ったのでしょうか、赤ん坊は湿った冷たい土の上で目を覚ましました。

 裂け切った竹からはもう湯気は上がっておらず、冷え切っています。

 もぞもぞと何かが体の上を這っています。夜明けの薄明かりの中で、赤ん坊は無意識のうちに体を探り、手にふれたものをつかみ・・・口に入れました。まだうっすらと歯の芽吹きがあるかどうかの口の中で、ねちょねちょとすりつぶすと、ごくりと呑み下しました。本能が叫んでいるのです。(生きよ! 生きて思い知れ!)と。

 赤ん坊は起き上がると、そこらを這いまわり始めました。何かもっと口に入れられるものを求めて。落ちた竹の葉の朝露を舐め・・・しかし、今は、地面を這うもの、ぐらいしかないようです。本当に欲しいのは、こんなものではないのです。

 赤ん坊は泥まみれになっていきました。 


 何日たったでしょう。赤ん坊は青白く痩せ細り、夜の冷気に凍え、地面を這う気力すら失いながらも浅い呼吸の中でただ(生きよ)と命じられるままに生命を保っていました。


 カサ・・・カサ・・・


 下草を踏む音がわずかな風のそよぎに紛れて聞こえてきました。

 今にも消え入りそうな意識の中で、赤ん坊は・・・


 「あっちへ行けー!」


 突然、男の荒々しい叫び声が――─。

 響き渡るその声に鳥たちが一斉に竹林のいただきを揺るがして飛び立ち、それに驚いた野ザルたちがギャーギャーと声を上げてどこかへ逃れ去って行こうとしています。

 ガサガサガサ・・・!

 それに重なるようにして何かが大急ぎで土や落葉らくようを踏み蹴散らして逃げ去っていくような気配が・・・

 一瞬、竹林を吹き荒れた嵐がおさまると、男はそれの走り去った方に目をやりながら吐き捨てるように言いました。

 「ふん、山犬なんぞ腹の足しにもならんわ」

 男は追い払うためにそれに向けて投げた斧を取りに行きました。斧はそれのいた幾つか手前の竹に突き立っていましたが、追い払うにはそれで十分だったようです。

 改めて、地面にころがっているものを見下ろします。

 「なんとのう・・・こんなとこに捨て子か?」

 男は真っ黒く土にまみれていてもそれとわかる赤ん坊のそばにひざをつきました。確かにぐったりと弱々しいながらもまだ息はあるようです。

 男はそばに置いた背負いカゴから手拭いを何枚か取り出すと、赤ん坊の泥を拭い、ひとしきり体をさすって少しでも温まるようにすると、くるむには足りない大きさの手拭いでとりあえず包みました。自分の着ている鹿革の袖なしをカゴの中に敷き、赤ん坊をそこに座らせました。まだ一匹も狩る前でよかった。男はそう思いました。捨て子にしても、おなごの子を真っ裸で・・・親は鬼か邪か。

 それにしても・・・

 男はすぐそばに真っ二つになりながらまだ天を突いて立っている巨大な竹を見上げました。半身はんみが大きく傾いて宙に揺れています。まさか、これがその『親』であるとは思いもしません。

 人の通る邪魔にもなろう。一体、誰がこんなことを・・・。それにしてもこんなにど太い竹は・・・まさか、本気で鬼でも出たか・・・? どっかからさらってきた子を置いてったのか?

 まさかまさかの鬼の捨て子・・・?

 男はそんなアホなことがと思いながらも斧を手に取ると、竹の根元の、二つに分かれ始めているところを目がけて二度、三度と振り下ろしました。しばらく、竹を打つ音だけがあたりに響き渡ります。

 やがて竹はメリメリと音を立てて、まわりの竹をもなぎ倒しそうになりながら竹林の中に二方向に倒れ込んでいきました。それでも、まわりの竹の群れに引っかかって倒れ切ることができず、返って危ないような状態になってしまいました。

 ・・・しょうがない、死にかけの赤子もおることじゃし、また今度きっちり切ってしまおう・・・他のもんが来たら、切ってくれるかも知れんし・・・

 「ふ〜〜〜っ」

 男は息をつき、腕で額の汗を拭うと、赤ん坊の入ったカゴを背負いました。斧に革の袋をかぶせ、腰帯に差し込みます。

 ・・・山へ狩りに来てこんなもんを拾うとは・・・。

 男は竹林を抜けた向こう山に仕掛けた罠に獲物がかかっているかどうかを見に来たのですが、とりあえず獲物はあきらめて家路を急ぎました。


 男が山から下りてしばらくすると、生い茂る竹の間に斜めに倒れ込んでいる二分かれした竹は全体が淡く桃色に輝き始め・・・

 やがて大量の光の粒に分解されて次々に天に引き上げられるように上昇していくと、朝の光に紛れ、無音のうちに跡形もなく姿を消しました。

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