第2話

「着きましたよ」


 ガイドの声で目を覚ました私は、車の窓から見えた塔の大きさに少し驚き、そして車から降りた視界に広がったそのスケールの壮大さに完全に言葉を失ってしまった。


「……遠くで見ると間近で見るとでは大違いだな」


 駐車場から塔までは歩いたら1時間ほどはありそうな距離がまだあるのに、塔は私の前方の視界をすべて埋め尽くすように聳えていた。


「塔の太さは外周1スツォリほど、現在の高さは約3000スタディオとなっております」


 改めて巨大な塔だった。スツォリとはこの地方で使われる距離の単位で、人が旅で一日歩く大体の距離を示し、1スツォリは40キロメートル程度である。同じくスタディオもこの地方で使われる人の背丈くらいの高さを示す単位で、3000スタディオというと標高5000メートルを優に越える高さになる。感覚としては一周するのに一日歩く広さの島が、そのままの面積で垂直に山になったのと同じようなものであり、こんなものが人類の有史以前から機械の手によって延々と建設され続けていると思うと、まったく途方もないスケールの塔であった。

 この巨大な塔の外壁は近くで見ると想像以上に不整形だった。遠目には陽光の反射にキラキラと白く輝いて綺麗なもののように見えた外観も、このくらいの距離まで来てみると鈍色の瓦礫と鉄骨を積み上げて継ぎ接いだようなギザギザと武骨で不格好な洗練とは程遠い姿をしている。しかしそれが現在進行で建設の続くこの塔の成長する生き物のような生命力にも感じられ、むしろ美しいもののように私の目には映った。


「……ん? あそこに動いているのが自動機械か?」


 塔の外壁のあちこちに蟻のように動くものが見える。


「はい。ところで塔をよく見るならあちらに展望台があります。望遠鏡などもありますので、観察するならそちらからの方がよろしいですよ」


 思えばまだここは駐車場の片隅であった。ガイドの指差す先を見れば、観光バスから降りた団体客が添乗員の案内で、数百メートル離れた10階建てくらいの高さまで鉄骨を組み上げた展望台と、その下に広がる観光客目当ての飲食店と土産物店と思しきバラックが立ち並んだマーケットのような場所へ向かってぞろぞろと歩いている。この列の後尾にぶら下がる形で私とガイドも展望台へと移動する。


「だいぶ賑やかだな」


 展望台の下のバラック街へ着くと、このような不毛の荒野に似つかわしくない、たくさんの人間の姿に驚いた。


「泊るところもありますからね。こうした観光拠点は塔の周りにいくつもありますが、それでもここは小規模な方です。夕焼けの塔が最も綺麗に見える人気の南西側には、外資の三ツ星高級ホテルや大型ショッピングモールもあって、もっと栄えていますよ」


 ガイドが「おかげさまで」といった様子の笑顔を浮かべながら答える。外周40キロメートルともなると見る場所を変えるだけでも一苦労ということで観光施設も複数点在し、さらに場所によって観光地としての価値にも差があるらしい。謎と浪漫に溢れるこの塔も観光地としての商業的価値に換算されて、この土地に暮らす人々の生活の糧として組み込まれていることは、卑近ながらも人間のたくましさとして感心するものがある。


「やあ、お兄さん! 名物の塔焼きを一本どうだい?」


 早速に感心した人間のたくましさに呼び止められる。串焼き屋台の売り子が、30センチくらいの長さの棒に白い練り生地を巻いて焼いたような塔を模したと思しき食べ物を突き出してきた。

 車から降りてすぐにこちらへ来たし小腹も空いていたが、さてどうしたものかと思案すると、ガイドがさっと売り子と私の間に割り込んで「いらないよ」とにべもない態度で断り、私を促して先を歩き出した。


「塔焼きならもっと美味しい店を知っています」


 少し進んだところでそうガイドが理由を告げる。その自信気な口ぶりに私は少し愉快になった。


「展望台は恐らく並びますので、先にその店で塔焼きと飲み物を買っておきましょう」

「わかった。任せるよ」


 ガイドの案内で人波を掻き分けながら目当ての塔焼きの屋台へと辿り着く。ガイドは店主と土地の言葉で親しげに挨拶を交わしながら手早く注文を済ます。


「どうぞ。これがここで一番の塔焼きです」


 焼き立ての塔焼きを受け取りながら、私は屋台に貼られた品書きの値札を見ていた。


「ありがとう。しかし君はここの店主とは随分と懇意なようだね」

「そうですね。このお店にはよく来ますから」

「そうかい? 先ほどの挨拶で『兄さんアグダ』と呼んでいたが、兄弟ではないのかい?」

「あー……」


 私の言わんとすることを察したガイドが返答に間を開けると、そこを狙って私は値札を指差して訊ねた。


「それより気になるのだが、この店はさっきの店より値が張るようだね。こっちが相場かね?」

兄さんアグダ!」


 両手を挙げたガイドは私の質問に答える代わりに店主の方へと呼びかけた。店主はやれやれと首を振ると、私の方に親指を立てた手を向けて苦笑交じりに頷いた。


「飲み物もサービスしてくれるそうです」

「そうか。良い店だね」


 代金を手渡しながら私が微笑むと、


「我々も敬意を払うべき客がどのような相手かはわかっていますから」


 ガイドもそう強かに微笑み返すので、私はそのたくましさに敬意を払ってガイドにこの店の紹介料としてのチップを渡したのだった。


「さて、展望台へ向かおうか」


 ガイドの予想通り、展望台に昇る階段には観光客が長蛇の列を作って並んでいた。私とガイドは塔焼きを食べながら、気長に順番を待つ。塔焼きはもっちりとした食感をしたカステラのような甘い味で、サービスしてもらったこの土地でよく飲まれるクル茶の渋みのある味とよく合い、とても美味しかった。ただ他の塔焼きと味の比較が出来ていないので、最初の店の塔焼きより美味しかったのかはわからなかったが。


「やっと屋上か」


 階段を昇り切ると、視界いっぱいに聳え立つ塔の姿が広がる。展望台の上は50メートル四方ほどの広い空間になっていたが、それを感じさせないほどの数の観光客で溢れていた。そこそこで塔を背景に写真を撮ろうとする人たちがおり、賑々しい会話の喧騒に混じってあちこちからシャッターを切る音が聴こえてくる。


「ここからだと地面を写さずに塔を撮影できるので塔をよじ登っているような写真が撮れると人気です。一枚撮られますか?」

「うーむ、とりあえず普通の写真を一枚お願いしようかな」


 なるほど、よく見ればカメラに背を向けて壁に張り付くようなポーズで写真を撮っている人たちの姿が見られる。しかし男の一人旅でこうした写真を撮るのには少々抵抗を感じてしまう。旅の恥は搔き捨てなどと古人は言うが、写真に残すと恥ずかしさも残ってしまうのが現代の旅行の良し悪しである。

 それはさておいて観光客の人混みを押し割って展望台のへりへと移動し、ガイドに渡したカメラで塔を背景に撮影をしてもらった。特にポーズを決めるでもない無難な写真であったが、よく撮れていた。


「君も映らないかね?」

「構いませんが、モデル料は出ますか?」

「もちろん」


 ガイドの冗談とも本気ともつかない言葉に鷹揚に応じる。旅の恥は残したくはないが、旅の記憶は残したいのでガイドとツーショットの記念写真を撮った。モデル料のチップを渡すと、ガイドははにかんだのでその写真も一枚撮った。


「望遠鏡ならあちらですよ」


 記念写真もほどほどに塔の観察をしようとした私に、ガイドが指を差して教えてくれた。


「並んでいるな」


 十台ぐらい並んだ展望台据え付けの望遠鏡には、なかなか良い価格の有料にも関わらず当然のように人が列を成していた。しかし、ここに望遠鏡があると私に勧めたのはガイドである。


「君、望遠鏡を貸してくれないかね?」


 そう言うと当然のようにガイドは鞄から双眼鏡を取り出したので、私はここの望遠鏡の半値のチップを渡してやると、彼はやれやれと首をすくめながらおとなしくチップを懐にしまった。


「ほう、思ったよりよく見えるな」

「なかなかに高い買い物でしたから当然です」


 少し拗ねたようなガイドの言葉に笑いながら、私は双眼鏡で塔とその周囲で建設作業に従事している機械群の観察を始めた。


「本当に建設現場だな」


 展望台からは塔の下に広がる一帯が一望できた。こちら側とはフェンスで仕切られた塔の下の空間は、ビルの建設現場よろしくあちこちに建設資材が積まれており、それを集積したり運搬したりしている自動機械群も建設現場で働く重機や作業員よろしく建設作業に勤しんでいる。


「フェンスの向こうへは行けるのかね?」

「あれらの自動機械は人を襲うことはありませんが、人に対する安全配慮もありませんので人間の建設現場よりも危険です。塔からの落下物なども日常的にあるのでフェンスの向こうは立ち入り禁止になっています」


 残念ながら近くで見ることはできないらしい。機械であるから文字通り黙々と働いているであろう自動機械たちを、茶でも飲みながら小一時間ほどぼーっと眺めてみたりなどしたかったが、その望みも絶たれてしまった。仕方なく双眼鏡での観察で妥協する。


「ふむ。塔が大き過ぎて分かりにくいが、機械もだいぶ大きいのだな」


 どんな機械もこの巨大な塔と比較すればすべては蟻粒同然ではあるのだが、ヒト型の機械数十台と大量の資材を背中に載せて、塔へと走っているムカデ型の機械の長さは優に100メートルはあるように見えた。ヒト型の機械も色々なサイズがあるようで、人間と同じくらいの大きさのものから、その十倍ぐらいの背丈のものまで様々だった。おそらく用途によってサイズや種類に違いでもあるのだろう。他にも大小様々なクモ型の機械が塔の壁面に張り付いて活動しており、幾百と浮かぶ熱気球のようなクラゲ型の機械が作業の進捗を監視するように塔の周囲を悠然と飛んでいた。


「うん? 機械は地下から出てくるのか」

「ええ。なんでも地下に巨大な工場があるとか。そこで自動機械も建築資材も作られているようです」


 建設現場にはそこかしこに大きな穴があり、そこから自動機械たちが頻繁に出入りを繰り返していた。ぶつかり合うことなく整然と出入りする機械たちの様子は、まさに蟻の巣のようである。


「どんな工場なのだろう」

「探検に向かった者は数多くいましたが、穴の中は人間が入るようにはできていないため、本当に工場があるか確かめられた者は未だにいないそうです」

「大昔に墜落したUFOでも埋まっていそうだね」

「そうですね。そういう説を唱える学者もいます」


 こんな誰でも思いつく凡百のイメージも、この塔の謎の前では立派な学説のひとつになるのは面白い感覚だった。ガイドが続ける。


「この塔の建材や機械の部品の成分を分析すると、ここの地下の土の成分と同じものが使われており、どうやら土の組成を組み替えて鋼鉄のような強度を持つ素材に変えているようです」

「そんな技術があるのか」

「あるらしいとしかわかりません。どのように組み替えているか見た者はいませんし、再現のできた研究者もいない話ですので。こうなると宇宙からでもやって来たとするのが最も簡単な説明になります」

「それでUFOと」

「大真面目にその方向性での研究をする学者はたくさんいます」


 ガイドは大真面目な顔でそう話す。UFOが珍説にならない研究など、この塔ぐらいのものではないだろうか。私は面白くなり、UFO説を掘り下げてみたくなった。


「だとしたら、そのUFOは何を目的にこの塔を機械たちに作らせているのだろうか?」

「そうですね。そもそもこの塔は完成したら、どのようなものになるのでしょうか」


 私の問いをさらに深堀りしてガイドが言う。


「まあ、宇宙にまでは届くだろうね。もしかするとこの塔の地下にいる眠るUFOの乗組員が宇宙に帰るために必要な工事なのかもしれないな」

「なるほど。ですが逆に何かを迎え入れるためという考え方もあります」


 私の考えに頷きながら、ガイドは反対の可能性も提示する。確かにそれも宇宙まで届く塔を建てる目的とするには十分な理由である。


「これは別に新しい仮説ではありません。かつてこの塔が完成すれば神の御座にまで至り、この地に神が降臨されると考える人々がいました」


 私の感心の表情に遠慮したのか、ガイドは自分の説の元となった宗教の教義を述べる。その宗教の名前は歴史の知識を紐解けば、すぐに思い当たるものであった。


「拝塔教か」


 千年ほど前に興隆した拝塔教は、塔の完成により天空より神が降臨し、全人類への審判が下されると説いた。そして信心深き善なる者には楽土での永遠のやすらぎを、罪深き不信なる者には裁きの雷による灰の虚無が与えられ、欲得と闘争に満ちた世界は浄化され、清浄なる時代が訪れると唱えられた。

 彼らの教義では塔は神が降臨するための道であり、それを建設する機械群は神を大地に迎えるために遣わされた天使であると理解された。拝塔教はこの機械によって建て続けられる塔という、現実に目にすることのできる圧倒的な神秘的存在を教義の中核に据えることにより、強力な説得力をもって信者を増やし、この塔の立つ地を中心に広大な領域を支配する国家を築くに至った。歴史の教科書には拝塔帝国などと表記される、世界史の年表に一時代の区分を持つほどに繁栄した巨大宗教国家である。


「そうです。そしてあちらが――」


 そう言ってガイドが展望台の柵から半身を乗り出しながら左の方を指差す。その先には荒野に突き立つ鉄骨と崩れた煉瓦の壁が並ぶ長方形の区画があった。


「かつてこの一帯を支配した彼らの都の跡地があちらになります」

「そして、あそこが次のガイドスポットとなる訳だ」


 私がそう答えるとガイドはニッコリ微笑んだ。UFOの話からの流れるような観光案内に、私は彼の仕事熱心さに敬意を表し、双眼鏡にチップを差して返却してやることにした。

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