↓第8話 曲がらず森をぬけると――
さわさわと、風が草の香りを運んでくる。
迷子は目いっぱい鼻から息を吸い込んで、ぐぅーっと背伸びをした。
時間がゆっくり流れる。ここで凄惨な事件が起こったとは想像できないほどに、穏やかな光景だった。
「アホ毛よ。あのあたりに羊のミイラが散らばっとったんじゃ」
カミールはなだらかになった丘を指差す。
そこは途中から急な傾斜になっていて、場所によっては45度以上の角度がついている。上るにはかなりキツそうだ。
「にわかには信じがたいですが、ほんとに一晩で100頭も?」
「間違いない。我らが前日に訪れたときはなにもなかったんじゃ」
「警察の人もいたし、ボクたちが見間違えることはないよ」
カミールもビリーも、決して幻を見たわけではなさそうだ。
迷子が考えていると、そばで草を食べていた羊が迷子の服を咥えた。
「わわ! これは草じゃないですよ!」と迷探偵は慌てるが、羊は「もしゃもしゃ」と口を動かす。それを見たゆららがビリーに質問した。
「このあたりでも羊を飼っているのぉ? 見たところ牧場らしきものは見えないけどぉ」
「ああ、あれは親方んとこのだよ」
「ソルさんのぉ?」
「羊はいろんな場所で草を食べるからね。彼らの大移動をコントロールするのがボクたちの仕事さ」
「じゃあ、この子たちも小屋に戻すのぉ?」
「まあね」
「これだけの数、たいへんじゃなぁい?」
「そこは案外へいきなんだ。仮にボクたちが放っておいても、夕日を合図に勝手に戻ってくるから」
「羊さんってお利口なのねぇ」
するとゆららの横で、うららが目を細めて、
「クク、迷子よりお利口かもよ」
そんな皮肉を述べる。
「うるさいですようららんは。わたしだって真っ直ぐお
「ププ、寄り道しすぎて
「あ、あれは間違ったバスに乗ったからで……」
言葉に詰まる主人を見てニヤニヤするうらら。
迷子はうららの脇腹を「ゴスッ」と突いて話を戻す。
「とーにーかーく。問題は「どうやって羊さんをミイラにしたのか?」です。しかも100頭ですよ? ほんとに吸血鬼がやったんじゃないんですか?」
「我に聞くな。それを解明するのが探偵の仕事じゃろ」
「う~ん、それにもうひとつ気になることがあります」
「なんじゃ?」
「ミイラにした方法だけでなく、「なぜミイラにする必要があったのか?」です。しかも傾斜にバラまかれていたんでしょ? 理由がなければそんな面倒なことしませんて」
「さぁな、我には見当もつかん」
「仮に吸血鬼が犯人だとして、100頭の血を吸えばお腹がパンパンです! ハッ!? もしかして吸血鬼も100人いて、それぞれが1頭ずつ血を吸って羊をミイラに変えたのでは!?」
「メイちゃん、だんだん推理が迷走してなぁい?」
「たのむぜマジで。3日以内に解決してくれよ……」
徐々に不安になるメイド二人。
そんな迷探偵がふと顔を上げると、急勾配のてっぺんに二つの建物が見えた。
なんだろう。一つは見るからに教会だった。
かなり年季が入っており、白い壁と赤い屋根瓦が特徴的だ。
「もうひとつは……」
迷子は目を凝らす。
もう一つの建物は不思議なかたちをしていた。
例えるなら日本でいうところの高床式倉庫。ただし建物自体は屋根もなく、全体が真っ白な長方形のシンプルな形。この急勾配に建つだけあって、かなり高い4つの支柱に支えられていた。
「ああ、あれは書庫だよ」
ビリーはそう答える。
「あそこの教会で神父さんが管理してる。ついでだから話を聞いてみるといい」
するとカミールも頷いて、
「行くのじゃアホ毛。神父は数年前に移住してきたばっかじゃが、このあたりのことは詳しいぞ!」
「へぇ、それなら吸血鬼のことも知ってるかもしれませんねぇ」
手掛かりがない今、まずはちょっとしたことでも情報がほしい。
迷子は神父に話を聞くため、教会に向かおうとする。
「じゃあボクはこれで」
と、ビリーはここで別れると言った。
「行かないんですか?」
「まだ仕事が残ってるし、ボクが知ってることはもうないから」
「……わかりました。ここまでの案内、ありがとうございます!」
迷子はお辞儀をして、別れを告げる。
ビリーは手を振り、静かにその背中を見つめた。
「…………」
そして表情を曇らせると、そのまま踵を返す。
迷子たちはまだ、その表情が意味するところを、知らない――
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