第9話 頼れる仲間
「キーボードガード!」
「はぁ!?」
高崎が突き出した拳は、キーボードの鍵盤をガチャアと鳴らして止まった。
「マウスパッドビンタ!」
「ぶっ!?」
そして右から来たマウスパッドに頬をひっぱたかれた。
二人の人影、それは何故かキーボードを持った聡一と何故かマウスパッドを持った小里だった。高崎がオフィスに侵入する前からそれぞれ自分のデスク下に潜んでいたのである。ビンタがクリーンヒットしてよろめいた高崎は三人から後ずさって距離をとる。
「くそっ、てめぇ一人じゃ無かったのかよ……!」
「そりゃあストーカー犯に一人で立ち向かうなんて無茶したら、玲さんに怒られるからな」
「いや先輩、今朝までは一人でやろうとしてましたよね?」
「戸村、ちょっと今は空気読もうぜ?」
小里の無粋なツッコミを聡一が窘める。近くのデスクに手をついて倒れるのをこらえた高崎から目を離さず、健斗は二人の持っている物がどうしても気になってしまったため、真剣な流れを一度切って尋ねる。
「というか佐々木。そのキーボード俺が貸してからそれっきりになってたやつじゃ」
「おうよ! ガードに良い硬さだったから星五つだな!」
「いやガードのための製品じゃないから」
「このマウスパッドも音無先輩から貰ったやつですよ!」
「貸してたやつな。勝手に自分のものにするな」
「あ、ビンタはちょっとやりづらかったので惜しくも星四つです!」
「だからそういう使い方じゃないんだよ。そんな意味わからん理由で評価下げるの止めろ」
二人は堂々と持っている物を見せびらかすが、なんと健斗から借りた物で戦闘を行ったのである。その上本来の用途と異なる乱暴な使い方をしてしまったせいで、どちらも一部破損してしまっていた。健斗はそれを見て大きくため息をついた。その様子を見ることなく聡一と小里はそのまま高崎に向けて話を続ける。
「しっかし高崎さん、猫被ってたんすねー……。変わりすぎてドン引きっすよ」
「やっぱり私の女の勘は正しいって事がわかりましたね!」
「あーはいはい、そうだね」
「何でそんなに白けてるんですか!? やっぱり佐々木先輩ずっと私の扱いおかしいですよ!」
「全くお前らは……」
怒りに我を忘れそうになっていた健斗だったが、二人のお陰でいい感じに気が抜けた。ここで冷静さを失っていたらこの作戦が上手くいったとしても自分の身がただじゃ済まなかったかもしれない。二人の頼れる仲間に健斗は心から感謝した。
ただそれはそれとしてキーボードとマウスパッドは後で弁償してもらおうと思った。
「ちっ! お前ら寄ってたかって、暴行罪に訴えてやるからな! そうすりゃお前らが警察の御用に……」
「残念ですけど、ここまでの会話は全部録音してたので証拠はバッチリですよ? 私、普段からアプリ入れてるんで」
「なにぃっ!?」
小里は揚々とスマホを取り出して、録音アプリの画面を開いた。通知には音声データを保存しましたというメッセージもある。当事者の音声データによる証言は、充分な証拠となる。高崎も流石にこれには動揺していた。
「そして既に警察への通報と音声データの提出も完了しております! いやーやっぱり私仕事出来る女ですわー!」
「やる時はやる女だぜ! 流石俺の後輩だな!」
「あ、その肩書きは価値ダダ下がりするんでいらないです」
「せっかく褒めたのにそれはひどすぎるだろ!?」
内容はドラマのクライマックスの様にスカッとする展開のはずなのだが、お馴染みの気の抜けた会話でいまいち緊張感が出ない。しかし高崎にとっては最悪の流れである事に変わりはない。ワナワナと肩を震わせている。
「高崎さん、大人しく捕まってください」
「……はっ、するわけねえだろ。悪いのは全部あの女なんだからよぉ!」
「玲さんが何をしたって言うんですか……」
「何の苦労もしねぇで俺よりいい思いしてやがんだ、割に合わねえって話だよ」
「……玲さんが何の苦労もしてない? 本気で言ってるのか?」
ここまで怒りに身を任せてしまわないために堪えていた健斗の堪忍袋が、とうとう切れた。あどうぞ、と小里から渡されたマウスパッドを右手に持ち、思い切り振りかぶって高崎の頭をぶっ叩いた。スパァンッという乾いた音がオフィスに響いた。
「痛ってぇ!?」
「……玲さんはずっと人知れずに独りで頑張ってきたんだ! 会社でどれだけ冷たい人だと誤解され続けても! お前みたいな奴に付け回されている間も! もう駄目だってなってた所を偶然俺が支える事が出来たってだけで……、人の苦労も知らないで勝手な事を言うんじゃない!」
「音無……」
「先輩……」
心の叫びだった。彼女が苦しんで涙を流したという事を知っていた彼の思いが爆発した。この事実を知っている物も、叫びを聞いている者は数少ない。言ったところで今の状況は変わらない。けれど言わずにはいられなかったのだ。しかし、心からの言葉をぶつけられた当の本人は、素知らぬ顔のままだった。
「……はっ、だからどうしたってんだよ……」
「高崎……っ!」
「警察には知られてもう手遅れってやつかよ、やっぱりお前はあの女の犬だったってわけだ。とんだ茶番を見せつけてくれたじゃねえか……」
自分の都合しか考えていない高崎には、響かなかった。高崎の脳内は、既にこの後どうしてやろうかという事しか無かった。健斗もこの相手には何を言っても無駄なんだと悟ってしまい、歯噛みしたまま次の言葉が出てこなかった。高崎はふと何かを思いつき、ニヤリと笑みを浮かべた。
「こうなったら……そうだ、泉は今、お前の家に一人なんだよなぁ? 実は既に鍵の複製も済んでるんだ。この意味はわかるだろ?」
「っ!? まさか! それだけは止めろー!」
「誰が止めるかよ! ずっとデスクワークのお前が、営業の俺の足に追いつけるわけがねえ! そこで指を加えてろよなぁ!」
そう言い残して高崎は駆け出した。高崎の後ろ姿があっと言う間に見えなくなった。このままでは玲がひどい目にあわされてしまうかもしれない。このまま行かせてしまっては最悪な事態が起こってしまうだろう。絶対に阻止しなくてはならない。
……と、いうのにも関わらず、三人ともその場からほとんど動いていなかった。高崎のあまりの行動にフリーズした、という訳では無い。
「待てー……、と。今の演技はそれなりに良かったと思うんだが、どうだった?」
「まだまだ大根ですねー、あの馬鹿男は気づいてませんでしたけど」
「音無にしちゃ良かったんじゃないかー? 俺は横で吹きかけちゃったけど」
「喜びづらいコメントをありがとうな……」
三人が何故敢えてそのまま行かせたのか、それは高崎の行動が全て読み通りだったからである。玲は今健斗の家にはおらず、予め別の場所に移動してもらっていた。加えて家には盗聴器の調査をしている最中の警察が数名いる。高崎が仕掛けた張本人かもしれないという事も既に伝えてあるので、例え営業部の足があっても見つかればすぐに捕まるだろう。
全ては作戦通りにいっていたのだ。これで事件はほぼ解決したようなものである。慣れない演技を終えた健斗は全身の力を抜いて、二人に感謝の礼をした。
「二人ともありがとな、お陰で助かった」
「良いってことよ!」
「お役に立てて何よりです!」
「それより音無、早く行ってやれよ」
「泉さん、先輩が来るの待ってますよー?」
「ああ、行ってくる!」
健斗は二人に手を振りながら玲の本当の居場所に早足で向かっていく。健斗の表情は本当に晴れやかなものになっていた。
「やれやれ、本当に手のかかる先輩ですねー」
「まあ俺たちのほうが百倍は手がかかってるんだろうけどなー」
「ですねー」
健斗の作戦が成功して良かったと満面の笑みを浮かべた二人は安心して帰宅した、と思いきや小里は自分の席で何やらパソコンを起動し始めた。
「戸村ー、自分のパソコンを起動して何するんだよ?」
「え? この時間までの残業申請しちゃおうかなーと」
「お前気は確かか!? ……いや、もしかしたらそれ名案なのでは?」
「いやー、やっぱり私出来る女なんですよねー!」
この申請が後日、承認先である玲によって却下されてしっかりと怒られたのはまた別の話である。
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