第7話 宅で打ち合わせ
土曜日の朝、会社は休みのため別に起きなくても良い時間。健斗は緊張した顔持ちで、服を外行き用に着替えて玄関で十分以上も立っていた。彼は玲との約束の事で頭が一杯なのだ。ついでに夜もあまりよく眠れていない。
「おはようございます」
「お、おはようございます……」
(は、初めて見る泉さんの私服……)
オフィスカジュアルの延長線上にあるような青を基調としたワイシャツとベスト、下はすらっとしたパンツという着こなしをしている玲に、シンプルな白いカーディガンとこれまたシンプルなジーンズで対面した健斗は後悔の念を抱いていた。こんな事が起こるならもう少しお洒落に興味を持っておけばよかった、と。
「……なんだか顔色が悪いように見えますけど、約束した時間が早すぎたでしょうか?」
「いえ! 問題ありません!」
「そ、そうですか……?」
悶々と考えていた健斗だったが、玲にこれ以上心配をかけないようやや強引に彼女を部屋へと案内した。玲は防音仕様の部屋を初めて見たようで、端から入念に観察していく。
「これが防音室ですか。思ったよりも丈夫な作りですね」
「はい。……全然使っていなかったので、泉さんが使い始めるまでに掃除しておきます」
「はい、お願いしますね」
憧れの泉玲が自分の部屋にいる、というだけで健斗は胸が張り裂けそうになる。彼女の様子をぼーっと見てしまっていた自分に気づき、玲に対して何もおもてなしをしていないことを思い出した。
「あっ! お茶、お出ししますね」
「いえ、確認が終わったら直ぐに帰りますのでお構いなく」
「あ、そうですか……」
本当は健斗が少しでも長くいて欲しいという気持ちでの提案だったのだが、玲には伝わらなかった。
部屋の様子を見終えた玲と健斗は、健斗の寝室で今後の流れを確認する。
「音無君が本社に出ている間に、私はこの部屋で作業を行います。仕事時間が終わったら、私はすぐに部屋を出ます。荷物などは置かないようにしますからご安心を」
「別に置いてくれていてもいいですけど……。あれ、俺と泉さんが直接会うことは……」
「基本的には無いでしょう。音無君が帰ってくる前に私も帰りますから、貴方とは行き違いになるかと思います」
「そ、そうですよね……」
「何か問題が?」
「いえ、そういうわけではないんですけど……」
つまり、玲は健斗の部屋を使うようになるのだけれど、玲と会う時間が増えるわけではないという事だ。そこに気づいた健斗はガックリと肩を落とすが、玲には健斗が気落ちしている事に気づいていない。仕方ないかと納得しようとした時、健斗の頭の中に懸念が浮かんだ。
「あ、すみません。問題があります」
「何でしょうか?」
「家の鍵が一個しか無くて……一人暮らしだから必要ないと思って合鍵とか作っていないんです」
「成程、鍵の受け渡しが必要になりますね」
こういう場合は郵便受けか、あるいは家の前にある植木鉢などになるだろう。しかし家の前に植木鉢などは無く、郵便受けという案に対しては玲がセキュリティ的に不安であると難色を示したので無しになった。
「……こうしましょう。朝は音無君が家を出る前に行きますので、そこで鍵を受け取ります。帰りは音無君が帰ってきた所に鍵を渡すことにしましょう」
「良いと思います! あ、でもそれだと泉さんの負担になるんじゃ……?」
「問題ありません。そもそもこれは私からの依頼なのですから。それとも、音無君に何か不都合が?」
「いえ! 全然全くありません!」
「でしたら、この流れでいきましょう」
健斗に不満は無く、玲と会う時間があることに寧ろ喜んでいた。
「あと音無君、この契約については他言無用でお願いします」
「え? はい、別に言いふらすような事でも無いですからね」
「……そうですね。もし聞かれても誤魔化してください、私も協力しますから」
「わ、わかりました」
玲は絶対、という気持ちを込めて健斗に念押しをする。彼女は、思っている事があまり表情に出ない。けれど、少しだけ険しいような表情になっていたのが健斗にはわかった。
(何か理由があるのか? ……いやいや、俺ごときが泉さんの事情に踏み込むのは良くないよな)
健斗はそれ以上の詮索をせず、打ち合わせはこれで終了となった。玄関の扉に手をかけながら玲は仕事で見慣れた会釈を健斗にする。
「では、月曜からよろしくお願いしますね」
「はい、よろしくお願いします!」
「では、失礼します」
パタン、と静かに扉が閉まる。それと同時に健斗は全身の力が一気に抜けてしまった。
(本当に、この不思議な契約が始まるんだなあ……。と、とりあえずこの土日は全て掃除に充てなければ!)
これまであまり意識を向けていなかった自分の部屋が、一つの契約によって良いものにせざるを得なくなったことで健斗の気持ちはガラリと変えられた。これからが楽しみだと胸を躍らせつつ、まずはホームセンターで掃除用具を揃える所から始めるのであった。
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