第23話 ど忘れしてしまって
見た感じ昼寝とは思えず、ネコの倒れている場所には血のような赤い色が広がっている。
「ネコちゃんが!」
「治療する。中庭入りますよ」
「ええ、どうぞ」
断られても入るつもりだったが、了承を得られて良かった。
ルナも自分だけ何もしないのは嫌だったのか、俺の後をついてきた。
「動物の治療も出来るんですか?」
「ちゃんと先生に教わったよ」
ルルカル先生。あなたに教わった経験が、俺をここまで成長させてくれました。ただ単純に感謝しかありません。
診察スキルで、まずは状態を確認する。これはまた刃物で切られたような傷をしている。そこからの出血がある感じ、ルナの時と状況が似ている。
だが、周りを見てもこの傷を付けられるような物が見当たらない。すぐ近くに屋敷の窓があり、中を確認できるが、特に違和感もなかった。
「にしても、ネコにしては凄まじい生命力を持ってるな。傷を負ってからしばらく経ってるのに…」
治療スキルを使用し、出血を止めて切創を縫合する。簡易的ではあるが、動物用に薄めた回復薬の作成にも成功した。
「ルナはこれを飲ませてやってくれ。少しずつだぞ」
「は、はい!」
ルナに回復薬を渡し、ジルさんに結果を報告する。
「ネコはもう大丈夫です。ただ刃物で切られたような傷のつき方だったので、警戒しておいてください」
「ありがとうございます。獣医師であられたのですね」
「あー、まあはい」
近いようで遠い認識のされ方だが、まあこれ以降は会う事も無いだろうし、適当に相槌をうっておこう。
それはそれとして、ジルさんの表情的に、知っているネコなのか?
「あのネコは良くここに来るんですか?」
「はい。ファウード家の前当主であるマルゼン様がクロと呼んで可愛がっていました」
「へぇ、そうなんですか」
「なので死なせずに済むことが出来て、安堵いたしました」
「……」
表情や声の出方的に、この人は嘘をついていない。ジルさんは、あの黒いネコを殺そうとした犯人ではないようだ。
「ヨルさん、目を覚ましましたよ!」
「え、マジ? ちょっと待ってろ!」
回復薬を飲んだくらいで意識まで戻るとか、やっぱりネコとしての生命力が高すぎるだろ。それこそモンスター系の別の生き物なんじゃないのか?
「にゃー…」
「おお、なんならもう動けそうだな」
「にゃっ!」
「あっ、ねこちゃん!」
「クロって名前らしいぜ?」
黒猫は、ルナの腕から飛び出したかと思えば、俺たちから少し距離を取ったところで、静かに見つめてくる。
「…なんか知らんが、次から気をつけろよ」
「にゃ…」
黒猫はお辞儀をするように頭を下げ、そのままどこかへ消えていってしまった。
「凄い、お礼してましたね!」
「いや、ネコの仕草を人間に例えるなよ。ほらさっさと行くぞ。仕事が残ってる」
「夢がありませんね、ヨルさんは」
ルナの手を取り、立ち上がるのを手伝ってやると、彼女は小声でそう呟いた。
俺もネコは動物の中で一番好きだが、リアリストなのでね。無駄な幻想は抱かないようにしている。
「それでは、こちらでございます」
動物の治療という予想外の事が起きたが、今のところは順調に進んでいる。フクロウ狩りを経験してから、アイテムは多めに持ち歩くようにしているため、不足するという事はまずないはずだ。
「こちらから中にお入りください」
「お邪魔します…」
中に入ると、豪華な廊下がまずは目の前に広がり、真っ直ぐ歩いていくジルさんの後ろを、俺たちもついて行く。
進む先に鉄のソファがあるのか、それともまずは当主との挨拶があるのか。どちらにしても失礼のないようにしなきゃだな。
「ヨ、ヨルさん私の格好失礼じゃないですかね?」
「大丈夫だろ。服がダメなら敷地に入る前に言われる」
それに俺の格好は白衣だぞ。医者みたいなやつがソファ取りに来るとか意味わかんねぇだろ。
「現当主について教えてもらっても良いですか?」
「ええもちろん。前当主のマルゼン様が数ヶ月前に亡くなり、養子であったイリヒト様が当主となりました。聡明な方で、いつも笑顔でおられる誰にでもお優しい方です」
「なるほど。誰にでも優しいってよルナ」
「安心、なんですかね…」
まだ緊張は解けないみたいだ…。
「こちらにイリヒト様がお待ちです。返金の件について直接のお話しをお願いいたします」
「わかりました」
ジルさんが扉を開け、中に入るよう促されたので、そのまま従って部屋に入る。
入って瞬間に「体育館かよ」とツッコミを入れそうになるほど広く、豪勢な家具や絵画で彩られていた。
ジルさんは俺たちが部屋に入ると、そのまま扉を閉めた。部屋の中には俺とルナ、そして肖像画を眺める若い男が立っていた。
肖像画のモデルは小太りのお爺さん。彼が前当主のマルゼンという男だろうか。となれば、それを眺めている若い男が、現当主のイリヒトって事であってる?
「あの…、イリヒト、様であってますか?」
「……ああすまない、考え事をしていた。私がファウード家現当主のイリヒトだ」
「ヨルです。こっちがルナ。ソファの回収に来ました」
「そうか、待っていたよ」
確かに、ジルさんの言う通りな、にこやかな表情をする好青年だ。家の当主をするには若干の幼さを感じるが、それを問題にさせない賢さも待ち合わせているのだろう。
「ソファの件ですが、まだ一度も使用していない状態です。ジル達使用人に、ここへ運ぶよう指示をしたので、しばらくお掛けになってお待ちください」
「あっ、はい! 失礼します」
「すいません…」
イリヒト様は、見栄え重視の豪華な服に身を包んでいるが、腰には実戦用の剣がぶら下がっている。家族のファッションなのだろうか。
「そう言えば、中庭で黒猫が倒れていたんですよ」
「ネコが?」
「はい。刃物で切られたような傷でしたが、ここにいるヨルさんが治療したので元気になりました!」
「……なるほど、それは良かった」
反応がどうにもよくわからないな。ここで言う黒猫は前当主が可愛がっていたネコを指すものだと思っていたが、違うのか?
「ジルさんに聞いたところ、あの黒猫は前当主のマルゼン様が可愛がっていたとの事ですが…、えーと、すいませんど忘れしてしまって、黒猫の名前ってなんでしたっけ?」
ルナが不思議そうな顔で俺を見てくる。そりゃあ、あんな簡単な名前、忘れる方が難しい。それこそ前の当主が可愛がっていたネコの名前だ。ファウード家の者が忘れるはずがない。
「…あぁ、何だったかな。私もど忘れしてしまった」
「そうですかぁ…」
どうやら、ソファを持って帰るだけの仕事じゃないらしい。
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