第12試愛 優Side ラウンド1


 昇降口から見上げる空は、分厚い雲に覆われている。さらには。しくしくと雲に隠れた太陽が泣いていた。


「……雨か」


 六月。梅雨真っ只中のある日。こうして私は空を見上げていた。そう。傘を忘れたのだ。意図的に。どうしてかって? そんなの真緒の傘に入れてもらって、相合傘をする為に決まっている。こうすれば自然に真緒の傍に近寄れるから。体温を感じられるから。匂いを嗅げるから。


 だから。傘を忘れた。


 にしても。遅いわね真緒。一体、何処で油売っているのよ? さっさとしなさいよ。私は暇を持て余した指を自分の金髪に持っていく。いつもは内側にカールしている髪が、湿気の所為で外はねしてしまっていた。その毛先をくるくると指先で弄る。


 いつもならこれぐらいの時間に。真緒は昇降口に来ている筈なのに。どうしてか今日はまだ来ていなかった。そう。わたし達は天敵ともだちになってからというもの、通学路の途中までは一緒に登下校しているのだ。


 それにしてもホント。遅いわね。何してんのよ一体。気付けば私はコツコツとローファーの爪先で。昇降口の床のコンクリートにリズムを刻んでいた。


 と。リノリウムの床を叩く上履きの音が、私の耳朶を引っ張る。私は慌てて弄っていた髪を整え。スカートの埃を払い。背中のリュックを背負い直した。そして。絶賛困っていますオーラを醸し出す。


「あーあ。雨かぁー。傘。持って来なかったなー。困ったなー。どうしようかなー?」


 しかしその足音は。昇降口を走り過ぎて行った。チッ。何よ。驚かせるんじゃないわよ。全く。


「――べろべろばぁッ!!」

「――キエエエェェェーーッ!?」


 びっくりして飛び上がった私は。後ろを振り返って蜻蛉に構えた。まぁ、握っているのは刀じゃ無くて。ただの空気なんだけれど。TDNは空気だった?


「……何その猿叫は。わたしを一太刀で仕留めるつもりかしら? その空気刀で?」

「なッ!? ななななななんで後ろにいるのよッ!? 全然足音してなかったじゃないッ!?」

「クセになってんだ。音消して動くの」

「アンタはどこぞの暗殺一家かッ!!」


 全く。真緒はキ〇アかよ。


「……はぁ。それにしても、まいったなー。傘忘れちゃったよ。どうしよっかなー? チラッ? チラッ? ちらし寿司?」

「さてと。それじゃあ優。また明日、学校でね? バイバイ」


 そう言って真緒は。傘立てから自分の黒い傘を取ると。普通に昇降口から出て行こうとする。


「ちょいちょいちょいッ!? 今、私を傘に入れる流れだったしょうがッ!? なにさっさと一人で帰ろうとしていやがるワケェ? そこはほら。一緒に帰ろう? とか声を掛けるべきじゃないの?」

「……ふーん? そっか。優はわたしと相合傘したくて、わざと傘を忘れたんだ? へぇー? ふーん? ほーん?」

「いやッ!? ち、違うからッ!? 今日はたまたま傘忘れただけだしッ!? 何よッ!? 私を疑っているって言うのッ?!」


 何なのよコイツはッ!? まさかホントに私が、わざと忘れた事を知っているって言うのッ?! そ、そんな筈はないッ!! 私の計算は完璧だったはずッ?! ど、何処で計算を間違えたって言うのッ?! 


 ……こんなの……わたしのデータに無いわッ?!


「? どうしたの優? わたしの傘に入るんじゃなかったのかしら? そんな所で蹲っていると置いて行くわよ?」

「あッ!! 待ってよ真緒ッ?! 置いて行かないでッ!?」


 頭を抱えて蹲っていた私は。慌てて真緒の後を追い掛けた。私は真緒が差している傘の中に飛び込む。すかさず真緒に抱きついた。ふわっと甘い匂いが鼻腔を擽る。あぁ、真緒の匂いだぁ。安心するぅ。


 ……おっと。真緒ニウムでトリップしている場合では無かった。私は身体を離すと。顔を上げ、真緒の瞳を見上げる。


「……ん」

「なにかしら?」

「私の事を揶揄ったお詫び」

「……分かったわ」


 傘の中で真緒が少し屈む。それに合わせて私は、自分の瞳を閉じた。情報の八割をカットした私の脳が。真緒の唇の感触を貪欲に貪った。柔らかくてプルプルしている。真緒とキスをする度に。このフワフワでドキドキな気持ちは――。


 チュッとリップ音と共に真緒の唇が離れた。


 ――どんどん増えていく。





 ***





 雨が降る通学路。いつもは通行人がちらほら居るのに今は。雨の所為か誰も居なかった。二人だけの通学路。周りは雨の音だけが響いている。まるでわたし達以外が滅んでしまったかのような静けさだ。雨音のホワイトノイズが心地いい。


 梅雨の雨は好きだ。だって。世の中の穢れたものを、全て洗い流してくれているみたいだから。好きだ。でも文句があるとすれば。それは。毎朝、髪型のセットが大変な事と。身体が濡れる事だ。それだけは嫌だ。


「……ねぇ真緒?」

「ん? 何かしら優?」


 私は傘の中で肩を寄せ合っている、隣の真緒を見上げた。流し目に此方を見る真緒。その視線は妙に色気があって、私は思わず顔を俯かせてしまう。頬が熱を持つのが分かる。何、照れてるのよ。真緒はただ呼ばれてそれで。こっちを見ただけっていうのに。それなのに。


 それだけなのに。何で照れてるのよ。私は。


 俯いた青い瞳には。ローファーの爪先が飛沫を飛ばす様子が映る。私は頬の熱を誤魔化す様に口を開いた。


「……その。何時もより来るのが遅いなって?」

「……あぁ。その事ね」

「何かあったの?」

「――告白されたのよ」

「……え?」


 こくはく? 酷薄? 刻薄?


「告白よ。こ・く・は・く」

「…………だれ……から?」


 チクリと身体の真ん中が痛む。何よコレ。何なのよ。何でこんなに胸がざわついているのよ? それに真緒は。一体誰から告白されたのよ?


「案山子の看板をした、埼玉にあるうどん屋みたいな名前よ?」


 なにそれ? どういう事なの? 私。そのお店の名前、知らないんだけど?


「……下の名前は?」

「さぁ? 豚の名前なんていちいち覚えていないわよ」


 ……私には教えてくれないんだ。一体ソイツが誰なのか。その事にまた、私の身体の真ん中がチクリと痛んだ。だから。その痛みを。私は言葉にぶつけた。


「ねぇッ!! はぐらかさないでよッ!!」

「ちょっと? 優、どうしたのよ一体?」


 私は真緒の傘から飛び出す。雨が身体を濡らして体温を奪っていく。それに比例して私の心は。感情は。この思いは。熱くなっていく。


「どうしたじゃないわよッ!? 何で教えてくれないのよッ!?」

「……優。……何で泣いているの?」


 指摘されて初めて気づいた。自分が泣いていた事に。なんで。どうして。私は泣いているの? どうしてこんなにも涙が止まらないの? ワケが分からないよ。

 私は目元を制服の袖で乱暴に拭う。それでも涙は止まらない。


「……そんなの。……そんなの私にも分からないわよッ!! 何で泣いているのかなんてッ!! ……ない。知らない。もうアンタの事なんて知らないからッ!! ……真緒のバカぁッ!!」

「優ッ?! 待ってッ!!」

「待たないッ!!」


 私は真緒に背中を向けて駆け出す。真緒に追いつかれない様に。全力で。


 真緒のバカッ!! バカバカバカッ!! アホアホアホッ!! 真緒なんか大っ嫌いッ!! 嫌い嫌い嫌いッ!! 大っ嫌いッ!!


「きゃっ?!」


 私は脚を滑らせて、結構派手めにアスファルトの上に転んだ。痛い痛い痛いッ!!

 ……何処が? そんなの心に決まっている。こんな擦り傷なんかよりずっと痛くて。苦しい。胸が張り裂けそうだった。


 どうして? どうして私はこんなに胸が苦しいの? 真緒が告白してきた相手を言わなかったから? それもだけど違う。そうじゃ無い。この胸の痛みは。苦しみは。


 真緒が誰かに告白された。その事に胸が痛くて苦しいんだ。……そうか。私は嫉妬しているのか。真緒が。私が大好きな真緒が。私以外の誰かに告白された事が。堪らなく嫌なんだ。だから。こんなにも胸が張り裂けそうなぐらい。痛くて苦しいんだ。


 こんなの一体どうしろって言うんだ。私が真緒に告白すれば解決する? いやそれは駄目だ。私が告白するって事は。真緒に負けるという事なのだから。堕とし愛に負けるという事なのだから。


 それだけは嫌だ。真緒に負けるのだけは嫌だ。アイツは魔王で。私は勇者だから。

 この戦いは決して負けられない。


「クソッ!! クソッ!! クソッ!!」


 私はうつ伏せで転んだ体勢のまま。両の拳を振り上げてアスファルトに叩き付けた。何度も何度も。でもこの気持ちが晴れる訳も無く。ただ拳が痛いだけだった。


「……クソが」


 そう吐き捨て、私は立ち上がる。びしょびしょになったブラウスはすっかり汚れ、水色の下着が透けていた。


「痛ッ!?」


 転んで擦りむいた膝が。足に力を入れる度に、ずきずきと痛む。私の心も同じだった。痛い苦しいと叫んでいた。私はその痛みを無視して足を動かす。


 真緒に追いつかれない為に。

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