第6試愛 マオウSide ラウンド2


 チリンチリンと入店を知らせるベルが鳴る。店内の奥にあるカウンターには初老に差し掛かる、寡黙でダンディーなマスターがコーヒーカップを磨いていた。

 お客はわたし達以外に居なかった。閑古鳥である。カァー、カァー。てこれはカラスか。


「……いらっしゃい。あぁ、いつものお嬢さんか。……そちらは友達かい?」

「はい。わたしのな友達です。ね? ちゃん?」


 わたしは後ろを振り返って聖護院を名前で呼んだ。きゃッ! 名前で呼んじゃったッ! 恥ずかしい……ッ! とはおくびにも出さず、聖護院に笑いかける。


 心臓はバクバクだった。何で好きな人の名前は、こんなにも胸が高鳴るんだろう?  

 不思議だ。たかが個人を識別する文字の集まりなのに。


「ゆッ!? べ、別に私達はッ!?」


 聖護院は頬を仄かに染めて慌てる。可愛い。


「ね? ゆ・う・ちゃん?」

「……」


 ゆうちゃんは俯いて黙ってしまう。可愛い。


「……そうか。……いつもの席。空いてるぞ。注文はいつもので良いな?」

「はい。有難う御座います。マスター」


 いつものと言うのは。この店のオリジナル・ブレンドコーヒーの事である。マスターがその日に合わせてブレンドする拘りの一杯だ。注文が入ってから豆を挽くほどの徹底ぶりである。


 果たしてそのコーヒーが美味しいのか否か。生娘であるわたしには、いまいち分からないけれども。香りは良いので好きだ。


「お友達もそれでいいか?」

「……えっと……はい?」

「分かった」


 戸惑い気味に返事をする聖護院。可愛い。


 わたしは聖護院を連れ立って。店の奥まった所にある、隅っこの席に向かう。ここがわたしがいつも座るテーブル席だ。隅っこなくらしである。


 聖護院はいつもわたしが座っている、二人掛けの座席の壁際に座った。わたしはその隣に座る。


「……なんで隣に座るのよ。向かいの席があるじゃない」

「? そんなもの無いわよ?」

「……はぁ。もう良いわ。好きにして」

「えぇ。好きにするわ」


 と言ってわたしは。書店で出会ってから、目を付けていた聖護院の白い太ももを。撫で上げた。


「ひゃッ!? ちょっとッ!? どこ触ってんのよッ!? 変態ッ!?」

「好きにしてって言ったのはあなたでしょう? ユウシャ?」


 あぁんッ! もっと変態って言ってッ! もっとわたしを口汚く罵ってッ!!

 ユウシャ様ぁッ!!


「言ったけどッ!? それはこういう意味で言ったんじゃないわよッ!? ……ていうか。何で太ももを触ったワケ?」

「ん? そこに太ももがあるから?」

「いや。そこに山があるからみたいなノリで言われても……。触られる方からしたら堪ったもんじゃ無いわよ。……全く」

「そうね。……ならわたしの太もも触っとく?」


 そう言って、ダークグリーンのロングスカートを摘まみ上げる。


「ってオイ。何でそうなるんだよ」

「だって。太ももを触りたそうな顔していたから……」

「どんな顔なのよそれ……」


 確かに。一体どんな顔なんだろう。わたし。気になりますッ!


「……それより。私に話があるんじゃないの? こんな馬鹿みたいな話をしていて良いの?」

「……そうだったわね」

「あ。忘れてたでしょ」

「てへぺろ」


 わたしは舌を出してお道化た。いや。決して忘れたわけではない。寧ろその逆だ。どうやって話すか。どのタイミングで話すか。ずっと頭の中でグルグルと思考の渦を巻いていた。


 そう。今、マスターが豆を挽いているそのハンドルの様に。店内には挽かれた豆の新鮮で、芳ばしい香りが立ち込めていた。


 だから。この馬鹿話は解を得るための時間稼ぎの意味合いがあったのだ。

 でも。その時間稼ぎも如何やらここまでの様ね。わたしは覚悟を決めた。

 みなさん。お待たせしました。これが、わたしの覚悟の姿です。


「……話というのは昨日の事よ」

「ッ!?」


 此方を見つめる聖護院の青い瞳には。わたしの姿が映っていた。瞳に映っていたわたしは頭を下げる。


「……ごめんなさい。あの時、ユウシャを拒絶してしまって。本当にごめんなさい」

「えっ! な、何でアンタが謝るのよッ!? だってあれは。私がアンタの気持ちを考えもせずに、強引にその……しようとしたからであってッ!? アンタが謝る事じゃないわよッ!?」

「え?」


 わたしの気持ち? だってあれはわたしが。わたしの中の魔王プライドが。初めては自分から奪いたいって言う。我が儘の所為であって。決して聖護院の所為ではない。

 なのに。聖護院は。ユウシャは。


「……だから。謝るのは私の方。……マオウ。ホントにごめんなさい」


 わたしに向かって頭を下げて来た。拒絶した筈のこのわたしに向かって。聖護院は。ユウシャは。頭を下げ、謝って来た。なんて優しい子なのだろう。


 わたしは、自分わたし自分魔王が嫌になる。己のエゴで。我が儘で。聖護院ユウシャを拒絶してしまった事が。そんな下らないもので、好きな人を拒絶してしまった事が。嫌で嫌で、許せなかった。


 わたしって本当に最低だな。こんな醜い化物を、己の内に飼っているなんて。そしてその化物を完全には否定できない、醜い自分も居て。嫌になる。


「……それに。私、気付いたんだ」

「……何に?」


 聖護院は顔を上げると。膝の上で、固く握り締めていたわたしの手を。優しく包み込むように握って来た。


「……マオウが。ううん。真緒が。何時しか大切な天敵ともだちになっていたんだって」

「大切な……?」


 トクンと胸が高鳴る。今聖護院は。わたしの事を名前で呼んだ。真緒って呼んでくれた。それは、魔王から一文字を抜いただけなのに。こんなにも嬉しいのは何でだろう? それはきっと。好きな人が呼んでくれるから。だから、自分の名前が特別なものになる。世界で一つだけの言葉になるんだ。


 それとは別に。わたしの心の中には。恋人じゃないんだと、思ってしまう醜い自分が居て。胸がギュッと締め付けられて、堪らなく嫌になった。

 ……でも。あなたは。それでも。


 こんな醜いわたしを。まだ、友達だと言ってくれるのかしら?


「うん。大切な天敵ともだち。私達は勇者と魔王。そして敵同士。だけど」

「……だけど?」

「だけどッ! 大切で大好きな掛け替えのない、私の。私に出来た。初めての天敵ともだちなんだってッ! だから。真緒がさっき、私の事を友達って言ってくれて。ホントは嬉しかったんだ。……それに。そんな自分を責めるような顔をしないでよ。ね、真緒?」


 こんな醜いわたしを。それでも友達だと言ってくれた。聖護院は。ユウシャは。……いや、優は。眩いぐらいの笑顔を浮かべていた。


 思わずわたしは。優を抱きしめていた。


「ちょッ!? いきなり抱きつくなってッ!?」

「……優」

「な、何よ。……真緒」

「大好きだよ? ふぅー」

「ぅあっ」


 わたしが優の耳元に息を優しく吹き掛けると。優は身体を震わせて。艶のある声を漏らした。


「……ま、まおっ。やめ……」

「かぷっ」

「んあっ!」


 優の赤みが差した、可愛らしいお耳を甘噛みする。甘美な鳴き声が上がった。続けて二度三度と優しく噛み噛みすれば。その度に優は、悩ましい声を口から零す。


「あっ……やめっ……まおっ! こ、ここお店……お店だからっ!」


 確かに。そう言えばここ。喫茶店の中だったわね。優にわたしの痕を残すのに夢中で忘れていた。痕。こんな醜いわたしでも受け入れてくれた優に。わたしは少しでも、自分の存在が残る様に噛み痕を残した。しかしその噛み痕が、すぐに消えてなくなる事は分かっている。それでも。わたしと言う存在が、優の中に少しでも残って欲しくて。わたしは優の耳を噛んだ。


なんて。そんな事を優に打ち明ければ。きっと、気持ち悪がられてしまうに違いない。だから。この思いはわたしの中で厳重に鍵を掛け、宝箱に仕舞い。番犬ケルベロスに守らせておく事にする。


 名残惜しいが、わたしは優から身体を離した。服に残った優の温もりが、徐々に冷めていく。


「……ふふっ。お店じゃ無かったら良いのかしら? 優?」

「ッ!? そう言う意味じゃないからねッ!? 違うからねッ!?」

「ふふっ。冗談よ、ジョーダン」

「……誰よその男は」

「うーん? 百合に挟まる男?」

「ゆッ!? 別に私達そう言う関係じゃないでしょッ!?」


 わたしは優と何時しか、そう言う関係になりたいと思っている。

 それに……。


「そうかしら? 堕とし愛なんて戦争ゲームをしている時点で。あんまり変わらない気がするのだけれど?」

「うッ!? 確かに。……でもッ!! 堕とし愛はあくまで戦争ゲームよッ! 戦争ゲームッ! だからそう言う関係じゃ無いわッ!! 絶対ッ!!」

「……そう」


 まぁ、良いか。今はまだ友達同士でも。こうして優を揶揄えるのだし。だけれど。

 覚悟しなさい優。優が相手をしているのは誰なのか。これからみっちりと、その身体と心に理解わからさせてあげるから。


 さぁ――堕とし愛ましょう?

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