第十六話

「二人共、やめて下さい!」


 ダリアの部屋に向かう途中でルイの取り乱した声が聞こえてきた。どうやらミーティングルームで誰かが言い争っているようである。


 バレないように部屋の中を覗き込むと、怒りで顔が真っ赤になったダリアとムッとした表情をしているゼンイチがいた。三人の周りには焔隊のメンバーもおり、戸惑っている様子が窺える。


「邪魔しないでよ、ルイ。私はゼンイチに罰を与えないといけないの」

「ダリア先輩、落ち着いて下さい。この件で言い争っても結論は出ないと思います――うわっ!」


 二人の間に入ろうとしていたルイが、ダリアに突き飛ばされて尻餅を着いてしまった。近くにいた焔隊のメンバー達が「大丈夫か!?」と声をかけているのが聞こえる。


「い……一体、どうしちゃったんですか? 失礼を承知で言いますが、最近の先輩は様子がおかしいです。ちゃんとしたカウンセリングを受けた方が良いと思います」


 ここまで静観していたヒビキは事態の深刻さにようやく気が付いた。いつもポジティブで他人にも気を配れると評判のダリアが軽蔑するようにルイを見下していたからだ。


「シンラ君」

「わっ!? な、なんだマリウスか。脅かすなよ……」


 突然、背後に現れたマリウスがシッと人差し指を口元に当て、「今、どんな状況?」と神妙な面持ちで聞いてきた。


「ダリアとゼンイチが言い争ってて、ルイが仲裁に入ってくれてる。でも、二人が言い争ってる理由がまだ分からないんだ」

「そっか。じゃあルイには悪いけど、もう暫く静観していよう。シンラ君は自分の事で精一杯だったから気付いてなかったかもしれないけど、僕や焔隊の皆が感じてる違和感が分かるかもしれないよ」


 マリウスの提案にヒビキは小さく頷く事しかできなかった。


「何言ってるのよ、ルイ。この男はヒビキをたぶらかした張本人なの。〝宇宙間通信〟で知らない女と連絡を取り始めてから、ヒビキはおかしくなってしまったわ。いつも思い悩んでいたヒビキが急に穏やかな表情に変わったの。アンタのせいでヒビキはおかしくなっちゃったのよっ」


 まさか言い争っている原因が自分自身だとは思わず、ヒビキは目を丸くしてしまった。狂ったように喚き続けるダリアを見て、我慢できずに止めに入ろうとしたが、背後にいたマリウスに肩を掴まれてしまう。


「シンラ君、今入ったら駄目だ」

「離せよ、マリウス。いい加減、仲裁に入らないと人が集まって来るだろうが。今からでも俺は止めに行くからな」


 マリウスの静止を無視して強引に部屋に入ろうとしたが、今まで黙り込んでいたゼンイチがここで反論し始めた。


「ダリア、お前何か勘違いしてねぇか? ヒビキが誰と連絡を取っていようが本人の自由だろうが。確かに〝宇宙間通信〟を教えたのは俺だけど、ヒビキから教えてくれって言われて教えたんだ。この際だから聞くけどな……お前、ヒビキのなんなんだよ?」

「わ、私はヒビキの幼馴染よ。それ以外に何かあるっていうの?」


 ダリアは言葉に詰まっていた。


 ルイはゼンイチが今から何を言おうとしているのか察したらしく、「ゼンイチ先輩、これ以上はやめましょうよ」と宥めたが、「いいや、良い機会だから隊を代表して言わせてもらう」と皆の前で宣言し、ダリアに向き直った。


「お前さ、ヒビキの彼女にでもなったつもりかよ?」


 ゼンイチが言葉を発した瞬間、場の空気が凍り付いてしまった。


 ダリアは頭が真っ白になってしまったのか、目を大きく見開いたまま立ちすくんでいる。ゼンイチは呆れたように溜め息を吐いた後、感情的にならないように努めながら話し始めた。


「最近のお前の言動と行動は目に余るものがある。幼馴染だって事を強調してヒビキと特別な関係に見せようとしたりさぁ……。そういうのマジで迷惑なんだよ」


 我慢ならなかったゼンイチがハッキリと告げると、周りにいた仲間達も次第に「確かに今のダリアは迷惑だよね……」と次々に本音を口にし始めた。


 皆の反応を見て、ダリアは引き攣った表情に変わる。


「な……なんなのよ、皆して。私を隊から孤立させようってわけ?」

「孤立させようとか考えてねぇよ。迷惑だと思ってるだけだ」


 ゼンイチの言葉を聞いて、ダリアは頭に血が上ったようだった。


「ヒ、ヒビキのお荷物になってるアンタ達に言われたくない! 私はっ……私は前の戦闘でヒビキの次に敵機を撃ち落とした数が多かったんだから! どうして、結果を出してる私が迷惑なのよ!?」


 ダリアは金切り声をあげた。ギリギリと歯を食い縛りながら視線を落とし、頑張っているのに理解されない苦痛に拳をブルブルと震わせているのが見える。


 嘘だろ。あれが本当にダリアなのか――。


 ヒビキは息を呑んだ。こういう時、心を読める能力がなければ良かったのにと思わざるを得なかった。


 ダリアの心の中はいろんな感情がひしめき合って、パニックに陥っている状態だった。ダリアの感情が頭の中にダーッと流れ込んでくる。


『大切な幼馴染。私の家族。私が守らなきゃ。ヒビキ、大好き。もっと私を見て。そうだ、私もヴァルキリーのパイロットに。下手くそ。もっと勉強を頑張らなきゃ。ずっとヒビキの隣にいたい。本物の家族になりたい。最近、冷たい気がする。誰と連絡を取ってるんだろう。相手はもしかして、女? イライラする。勝手な事しないで。私のヒビキを奪わないでよ。殺してやる、絶対に殺してやる――』


 猛烈な吐き気に襲われたヒビキはよろけて口元を手で覆った。吐きまではしなかったものの、気分が悪くなってその場から一歩も動けなくなる。


 見かねたマリウスが「大丈夫かい?」と声をかけてきたが、ヒビキは返事をする余裕はなかった。


「あ、ヒビキじゃない! もしかして、私に会いに来てくれたの!?」


 ダリアの溌剌とした声が聞こえた瞬間、ヒビキは身体が強張ってしまった。声を聞いただけで鳥肌が立つ。返事をするのも難しい状態のヒビキを見かねたマリウスが、すかさず前へ出た。


「ごめんねぇ。今、シンラ君は体調が悪いみたいなんだ」

「マリウス副隊長、聞いて下さい。最近、ヒビキがヴァルキリーを操縦する以外で夢中になっている事があるみたいなんです。ヒビキはヴァルキリーに乗っている時が一番輝いているんですから、それ以外は必要ないのに……」


 会話のキャッチボールが全く成り立っていなかった。うっとりとした表情で話すダリアと厳しい表情でヒビキの前に立つマリウス――。


 一言で言うと異様だった。ミーティングルームにいた焔隊のメンバー達も固唾を飲んで二人のやりとりを見守る事しかできない。


「人の話を聞いてたかな? シンラ君は体調が優れないんだって」

「ヒビキと出会ったのはスラム街の教会。当時の私は三歳。右も左も分からないうちに教会に入って、一週間後にヒビキがやってきた。同い年の男の子。ここら辺では珍しい赤い髪の男の子に私は幼いながらも恋をした」


 ダリアは一方的に喋り始めた。


「私も両親の顔を知らなかったし、ヒビキも両親の顔を知らなかった。私達は意気投合してすぐに仲良くなったわ。ヒビキは他の子供達になかなか心を開かなかったけど、私にだけ心を開いてくれた……。これがどれだけ嬉しかったか、マリウス副隊長には分かりますか?」

『いや、分からないよ。君の一方的な思いで僕達を振り回さないでくれるかな? 今すぐに〝チェルノボーグ〟から降りて地球へ帰れ。これは副隊長命令だ』


 厳しい面持ちに変わったマリウスが〝声〟を使って、ダリアに命令する。


 しかし、ここで驚くべき事態が発生してしまう。マリウスは〝声〟を使って命令したつもりだったが、ダリアには全く効いていなかったのだ。


「……マリウス副隊長まで、他のメンバーみたいに私を邪魔者扱いするんですね?」


 マリウスは驚きを隠せなかったのか「ハハハ、参ったね。なんで効かなかったんだろ……」と独り言を漏らし、苦笑いしていた。


「ねぇ、ヒビキ。ヒビキは私をどう思ってるの? もしかして、貴方も私がおかしいって思ってる?」


 ヒビキは肩を小さくびくつかせた。どうにかして吐き気を抑えながら視線を上げ、不安そうな顔をしているダリアを見つめる。


 心がグラグラと揺れているようだった。喜怒哀楽でいう〝怒〟と〝哀〟に振れ幅が大きくなっているように感じる。どうして、ダリアはここまで狂ってしまったのだろう。何がキッカケでそうなってしまったんだろうか――。


 どう返事をしようか迷っていると、ダリアはいきなり自分の両耳を手で塞いだ。「や、やめて……」と呻き声をあげているのが聞こえる。


「違うっ、私はこんな事したいんじゃないっ」

「お、おい! どこへ行くんだ!?」


 ダリアは部屋を飛び出していった。ヒビキが大きな声で呼びかけるも、ダリアが立ち止まる事はなかった。

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殲滅のヴァルキリー 梵ぽんず @r-mugiboshi

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