第十二話
「ヒビキ、あーんして」
ダリアが食べやすいようにカットされた林檎をヒビキの口元へ運んできた。一方のヒビキはなんだか小っ恥ずかしくて、「いらない」と言ってそっぽを向く。
「もー、まだ身体が痛むんでしょ? デバイスを握るのもやっとの状態のくせに。照れてないで口を開けなさいよ」
「嫌だね。それくらい一人でできるし、マリウスが隣で寝てるんだから俺だけ特別扱いすんなよ」
ヒビキが小声で断りを入れると、ダリアは大きな声で「駄目!」と発し、林檎を口元に押し付けてきた。
「ヴァルキリーが暴走したせいで死んじゃう所だったのよ!? 隊長は山頂近くで墜落して身動きできない状態だったし、ヒビキの機体は谷底で雪に埋もれたまま、意識不明の状態で大変だったんだから! こういう時こそ、助け合わないでどうするのよ!」
「だから静かにしろって。隣でマリウスが寝てるんだから、もう少し周りに配慮しろよ」
ヒビキが少し強い口調で言うと、ダリアはハッと我に返り、「あ……ごめんなさい」と謝ってきた。
「ヒビキの事が心配だったから、声が大きくなっちゃったの」
「ちゃんと分かってるから、そんな暗い顔すんなよ。次から気を付ければ良いんだからさ」
ヒビキは柔らかく微笑み、フォークをダリアから受け取って林檎を一齧りした。
模擬戦から一週間。意識が戻ったヒビキは個室からマリウスがいる大部屋に移された。ここからは看護師から聞いた話なのだが、個室にいる時は『面会謝絶』になっていたらしい。どうして、ダリアが部屋の中に入れたのか理由を聞いてみると、「私はヒビキと同じ教会出身だから、家族同然のような存在なんです」と説明を受けたからだそうだ。
それで病室に入れるようにするのもどうかと思ったが、それ以上にヒビキはダリアの行動が少しおかしいと感じ始めていた。デバイスを取り上げるような行動を始め、面会謝絶になっているのにも関わらず、ヒビキに肩入れするとなると、家族以上の思いがダリアの中で芽生えつつあるのかもしれない。
かといって安易にダリアの心を読んでしまえば、変に意識して距離を取りたくなってしまいそうな気がして、ヒビキは未だに心を読む気にはなれなかった。
「でも、本当に運が良かったわね。エリア3の近くには軍の訓練用施設があったから、警備隊よりも先に軍が救援に来てくれたのよ?」
「は? 軍が俺達を救援に?」
これは初耳だったので、ヒビキは持っていたフォークを落としそうになってしまった。
「えぇ、そうよ。通常だったら山岳警備隊が初動にあたるんだけど、私達が〝チェルノボーグ〟に乗り込む予定だからかな? シャルム・ゴールディ少佐の指示で救援に来てくれたの!」
「え……シャルム・ゴールディ少佐が?」
名前を聞いた瞬間、ヒビキは思わず眉を顰めてしまった。たかが学生ごときの為に、地球の英雄と称されるシャルム・ゴールディ少佐が直接指示を出すだなんてあり得るのだろうか。
思い詰めた顔をしているヒビキをよそに、ダリアは「それで、少佐がね……」と興奮しながら続きを話し始めた。
「ヒビキが寝ている間もお見舞いに来てくれて、意識は戻ったか? とか、身体は大丈夫か? って、すっごく心配してくれたのよ。ずっと近寄り難い感じの人なのかなーって思ってたんだけど、スマートでとっても優しいし! 少佐が人気あるのも分かる気がするわ〜!」
珍しくダリアは頬を赤く染めてはしゃいでいたが、一方のヒビキは顔が青くなっていくのを感じた。
ヒビキがどう返事をしようか迷っていると、隣で寝ているはずのマリウスが軽く咳払いを二回するのが聞こえた。これは二人きりで話そうという合図だったので、ヒビキは分かったという意味を込めて咳払いをする。
「ダリア、お願いがあるんだけど……」
「何? ヒビキが私にお願いなんて珍しい事もあるのね?」
誰かから頼られるのが嬉しいダリアは目をキラキラと輝かせ始めた。
「今、猛烈に学院のカフェで売ってる苺タルトをホールで食べたくてさ。マリウスが起きたら三人で食べないか?」
「い、苺のタルトをホールで? 誕生日でもないのに食べたいの? ヒビキって甘い物好きだったっけ?」
ダリアは何度も瞬きをしながら目を丸くしていたが、「ほら、たまに食べたくなる時があるだろ?」と言うと、納得してくれたのか何度も頷いていた。
「分かったわ! ホールで売ってないかもしれないけど、苺のタルトを買ってくるね!」
ヒビキからカードを受け取ったダリアは急いで部屋から出て行った。足音が遠のくのを耳で確認した後、ベッドの間を仕切っていたカーテンが勢い良く開いた。
「シンラ君って、苺のタルトが好きだったんだ?」
ベッドで寝ながらニヤニヤと笑うマリウスと目が合った。病衣の隙間から右肩から指先にかけて赤黒く腫れているのが見える。どうやら、マリウスも
「悪い、マリウス。俺……また迷惑かけちまった」
「も〜、何回も謝らなくてもいいって。そりゃあ、対戦相手がシンラ君って分かった時は驚いたけどさ。ヴァルキリーが暴走した理由はちゃんと分かってるつもりだから、そんな顔しなくていいよ」
いつものようにヘラヘラと笑っていたが、右腕を動かそうとすると痛みを感じるのか、マリウスの表情が少しだけ歪んで見えた。
「それにしても、シャルム・ゴールディ少佐に助けられるとは意外だったね」
「あぁ。勘ってやつを信じたくはねぇけど、なんだか不吉な予感がするな」
「それは同感。格納庫での一件もあるし、色々と物騒な事になりそうだよね。話が少し変わるんだけど、シンラ君は模擬戦の時、
「確か……50%以上にはなってたと思う」
ヒビキは記憶を辿り寄せながら言うと、マリウスは少し考え込み始めた。
「50%か。実は僕も46%くらいまで
マリウスにそう聞かれたヒビキは「あぁ、実は――」と話し始めた。いつもと同じように
「でも、最後のはただの夢だって思ってる。まさか、オーブの中に棲みついてる奴が〝悪魔〟じゃなくて〝天使〟の姿をしてるだなんて思ってもみなかったし。それに俺の〝特異体質者〟としての能力をアイツは〝
難しい顔をして考え込んでいると、マリウスは黙り込んだままテーブルの上に置いていたデバイスに手を伸ばし、画面を操作し始めた。
ヒビキのデバイスがブルッと震えたので確認すると、〝神の器製造計画〟というタイトルのデータが届いていた。
「なんだこれ? 神の器ってどういう意味だ?」
聞いた事のない計画名を見て、ヒビキは目が点になってしまった。
「僕達〝特異体質者〟はセントラルで極秘に造られた存在らしくてね。何が目的なのかハッキリとは分からないんだけど、僕達がその計画の一翼を担ってるらしいんだ。だから、オーブの中にいる〝悪魔〟がシンラ君の身体を欲しがっている事に何か関係があるのかなぁ……って思っちゃってさ」
ヒビキは突拍子もない話に驚いてしまったが、意外にも頭は冷静だった為、「……もしかして、俺もそうなのか?」と聞き返す。
「多分ね。シンラ君の名前も入ってると思ったんだけど、セキュリティが厳重すぎて開けられないデータファイルが一つあってさ。その中にシンラ君の事が書かれてるんじゃないかなぁ……って思ってる。本当は全部解読してから話すつもりだったんだけど――」
話の途中だったが、扉の向こうから誰かが近付いてくる気配がした為、ヒビキとマリウスは黙り込んだ。目配せをしてデバイスの電源をオフにし、マリウスはカーテンを閉める。
目を瞑って寝たフリをしていると、ノックが鳴った直後に「ヒビキ、入るね」という声がした。声の主がダリアだったので起きようとしたが、足音が一人分多い事にすぐに気付き、ヒビキは寝たフリをしたまま様子を伺う。
「あ、すみません。ヒビキ、寝ちゃってるみたいです。ついさっきまで起きてたんですけど……」
「構わないよ。意識が戻ったと確認できただけで安心できたからね」
突如、病室に響いた声を聞いて心臓が大きく脈打った。
シャルム・ゴールディがヒビキの容体を確認しに病室を訪れていたのだ。学生相手に何回も見舞いに来るだなんて、やはり何かがおかしいとヒビキ達は警戒してしまう。
「心配してくださってありがとうございます、少佐殿。しかも苺のタルトまで買って下さるだなんて思ってもみませんでした」
「たまたま僕も学院にいたからね。君達が喜んでくれるなら、こんな嬉しい事はないよ。二人が起きたら皆で仲良く食べるといい」
シャルムの言葉を聞いてダリアは嬉しそうに笑う声が聞こえてきた。
「ありがとうございます、少佐殿! ヒビキ達も絶対喜ぶと思います! あ……あの少佐殿。後でご相談したい事があるんですが、少しだけお時間よろしいですか?」
「あぁ、構わないよ。じゃあ、この病院の一階にあるカフェで話そう。すまないが、先に行ってコーヒーを注文してくれるかい? 君も遠慮なく好きな物を注文するといい。僕はこの苺タルトを病室の冷蔵庫に入れてから行くから」
ダリアは「了解しました!」と嬉しそうに返事をし、さっさと病室を出て行ってしまった。
ヒビキは緊張のあまり、シーツを強く握り締めた。この病室にはシャルムとマリウスとヒビキの三人きり。反撃できなくもないが、相手は現役の軍人なのだ。圧倒的にこちらが不利だった。
頼むから、早く出て行ってくれ――。
ヒビキが切望していると、物を床に落とした時の音がした。どうやら、持っていたタルトを床に落としてしまったらしい。しかし、シャルムは落としてしまったタルトを拾おうとはせず、二人が寝ているベッドへ近付いて、ヒビキの右手に巻かれた包帯を解き始めた。
『――――――』
ヒビキ達はシャルムが何を喋ったのか全く理解できなかった。心の内で戸惑っていると、シャルムはヒビキの手の平にキスを落とし、踵を返して部屋から出て行ってしまった。
「うっわ、気持ち悪っ! アイツ、一体何しやがる――」
足音が少し遠のいた頃を見計らい、ヒビキは身体中が痛むのを忘れてベッドから飛び起きた。手の平に落とされた唇の感触が気持ち悪すぎて、病室に置いてあったアルコールで消毒しようかと思ったのだが、包帯の隙間から見えた自分の腕を見て絶句してしまう。
「う、嘘だろ。あれって夢じゃなかったのかよ……」
手を震わせながら、自分の右腕に浮き出た赤黒い痣を見つめる。
この時、ヒビキは初めて〝俺は地球から逃げ出す事ができないのかもしれない〟という考えが頭を過ってしまい、絶望の淵に立たされているような気分に陥ってしまった。
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