第十一話

「うっ……」


 目を開けるとコックピットの中ではなく、真っ白な世界にいた。一瞬、機体が損傷して雪原へ放り出されてしまったのだろうかと考えたが、それにしては寒さを全く感じない。ここは一体、どこなのだろうか。


「もしかして、俺……死んだのか?」


 呆然と立ち尽くしていると、頭上からクスクスと笑う声が降ってきた。ヒビキは息を呑みながら、恐る恐る視線を上へ向ける。頭上には六枚の白い羽で飛ぶ〝天使〟がいた。肌は遠目から見ても陶器のように滑らかで、満月のような大きなタレ目が特徴の美しい容姿。絹糸のような細い金髪を背中あたりまで伸ばした天使がヒビキを見下ろすように浮かんでいた。


『ようこそ、私の領域内へ』 


 後光が差しているのか目を開けていられない程に眩しかった。表情がいまいち判り難かったが、口の端を僅かに上げて綺麗に笑っているように見える。


「……お前が〝シェムハザ〟か?」

『あぁ、そうだよ。こうして面と向かって話すのは初めてだね、シンラ・ヒビキ』


 〝シェムハザ〟があっさりと認めた為、ヒビキは顔を顰めた。警戒したまま睨み付けていると、だんだん涙が盛り上がってきている事に気付く。


「なんだこれ……。悲しくも何ともないのに、どうして涙なんか出てくるんだ?」


 ヒビキが戸惑っていると次第に敵意が薄れ、今度は目の前の〝天使〟に対して祈りたいという気持ちが湧き上がってきた。


 マズイ、精神が汚染され始めている――。


 その事実に気付いたヒビキは正気を保つ為に頭を左右に振り、六枚の白い羽で飛ぶ〝シェムハザ〟をギロリと睨み付けた。その様子を見て〝シェムハザ〟は『ふぅん、やるじゃないか』と余裕の笑みを浮かべる。


『この領域内へ踏み込んだ人間は君が初めてだよ、シンラ・ヒビキ。君は〝神より与えられし能力ギフテッド〟を無意識にだが活用できている。私は君の身体が欲しくて堪らない』


 〝シェムハザ〟の企みを聞いたヒビキは心の内では焦りつつも、強気な態度で笑い飛ばしてやった。


「ハッ……いきなり何を言い出すかと思えば、俺の身体が欲しいだと? とんだ変態野郎だな。欲しいと言われて、はいそうですかって、自分の身体を差し出す馬鹿がどこにいるってんだ」


 背筋に悪寒を感じながら、ヒビキはジリジリと後退りする。それを見た〝シェムハザ〟は『フフッ、可愛いね』と表情は変えずに、ほんの少し目を見開いた。


『君はオーブ私の力を使って、自我を失うのが怖いんだね?』


 痛い所を突かれてしまったヒビキは無言のまま睨み付けていると、〝シェムハザ〟は小さな子供を見守る親のように微笑んできた。


『適当に言ったわけじゃないよ。君はヴァルキリーを操縦する時、同調シンクロ率はいつも一定に保ってるもんね。まぁ……大方、同調シンクロ率が50%以上になると、私の干渉が大きくなると考えてるんじゃないかな?』


 頬に一筋の汗が伝う。今言った事は全て、ヒビキが推測していたのと全く同じだった。


「フン……ペラペラと一人でよく喋るな」


 ヒビキが捨て台詞を吐くと〝シェムハザ〟は綺麗に笑った。優雅に翼をはためかせたのを見て、こちらに降りてくると思ったヒビキは、距離を取る為に大きく後ろへ下がった――そのつもりだった。


『フフッ、捕まえた』


 耳元で〝シェムハザ〟の声がしたと思って振り返った瞬間、大きな金色の目が眼前にあった。ヒビキは驚いて尻餅をつきそうになってしまったが、〝シェムハザ〟に手首を強く掴まれていたので、派手に転倒する事はなかった。


「きゅ、急に目の前に現れんじゃねぇ! ぶっ殺すぞ!」

『私を怖がっている姿もとても可愛いね。あぁ……これは犯しがいがありそうだ』


 〝シェムハザ〟はヒビキの手首を掴んだまま、自分の手を銀化させ始めた。更に五指を一つにまとめ、水銀のような光沢のある液体に変化させていく。それを見たヒビキは目を剥いた。


「や……やめろ、化け物! 俺に何をするつもりだ!?」


 銀の液体が右腕に付着した瞬間、地中に根を張る植物のように液体が広がっていった。痛くもなんともなかったが、右腕に薄らと見覚えのある赤黒い紋様が現れたのを見て、ヒビキは息を呑む事となる。それはヴァルキリーの操縦桿を握って、オーブを同調シンクロさせた際に浮かび上がる痣だった。


『私が死ねば君も死ぬし、君が死ねば私も死ぬ。この痣はいわば私と運命を共にするという証なのさ。君が私の力を欲すれば、私は必ず応えよう。でも、注意するんだね。この痣が君の身体を完全に侵食した時、君の身体は晴れて私の物となるのだから』


 ヒビキはガツンと鈍器で頭を殴られたかのような感覚に陥った。こんな得体の知れない存在に一方的に物事を進められるのは初めてで、意味を完全に理解した頃には怒りで拳が震えていた。


「ふ、ふざけんな……。こんな得体の知れない〝呪い〟や〝代償〟なんか俺には必要ねぇ! これ以上、訳の分からない事に振り回されてたまるかよ!」


 ヒビキは慌てて〝シェムハザ〟から離れようと手を振り解こうとしたが、金縛りにあっているかのように身動き一つできなかった。次第に根がヒビキの手を完全に侵食し、更に二の腕に向かって伸び始めている。


「ちくしょう、これは悪い夢だ……。頭を打って変な夢を見てるだけなんだ。こんな夢すぐに覚める。こんな現実あってたまるか」


 ヒビキがブツブツと呟いている間も、〝シェムハザ〟の不気味な笑い声が頭の中で響いていた。


◇◇◇


 ピッ……ピッ……と心電図モニターの音が聞こえる。目に飛び込んできた最初の色が白だった為、ヒビキは「うわっ……」と小さく悲鳴をあげてしまった。


「ハァ……ハァ……ゆ、夢?」


 夢にしてはやけにリアルだった為、暫く辺りを警戒していたが、よく見てみると見覚えのある天井だったので、一先ず安心した。ここは〝セントラル〟と関わりの深いエレスチャル病院。アラガミ博士の無茶な要求のせいで、よくこの病院に運び込まれていたのだ。


 少し体勢を変えようとすると、太腿辺りに重みを感じた。視線を足下に向けると、ダリアが椅子に座ったまま突っ伏して寝ていた。パイロットスーツから私服に着替えているのを見ると、どうやら模擬戦から数日が経っているらしい。


 ヒビキはダリアを起こさないようにそっと起き上がり、机の上に置いてあったデバイスに手を伸ばすが、身体中に痛みが走り、思わず手を引っ込めてしまった。

恐らく、オーブを使った事による反動と雪崩に巻き込まれて身体のあちこちをぶつけてしまったせいだろう。手や腕に巻かれている包帯が如実に物語っていた。


「いてて。こんなに身体が辛いのは久々だな……」


 ヒビキは痛みに耐えながら、デバイスの電源を入れて日付を確認する。日付を確認すると模擬戦から丸三日が経過していた。どうやってここまで運ばれたか分からないが、画面には〝SAKURA〟が送ってくれたメッセージの通知で一杯になっていた。


 急いで通知をタップすると、『模擬戦は終わったかな?』というメッセージが送られてきていた。そのメッセージが送られて一日経過した後、『返事がないけど大丈夫? 模擬戦ってどんな事をするんだろう。もしかして、怪我してるのかな……』とヒビキの事を心配してくれるメッセージが届いていたり、いつものように〝SAKURA〟が作ったご飯の写真が送られてきていた。


『〝HIBIKI〟は何の食べ物が好き? 〝HIBIKI〟は私の初めてのお友達だからなのかな……。私、もっと貴方の事が知りたいって気付いたの。小さい頃は何をして遊んだのか、〝HIBIKI〟の家族やお友達の事も知りたい。だから、メッセージを見たら返事が欲しいな。私、スレッドは消さずにずっと待ってるから』


 ヒビキはギュッとデバイスを握り締めた。随分と心配をかけてしまったようだったので、ヒビキは痛みに耐えながらも、一文字ずつメッセージを打っていった。


『心配かけてごめん。暫く寝てたみたいだ』


 本当は心配をかけたくなかったが、変に嘘をついて怪しまれるのも嫌なので、ヒビキは怪我をしたとは言わずに送信ボタンを押す。すると、数秒経たないうちに既読が付いた。


『もしかして、怪我で寝てたの?』


 〝SAKURA〟に指摘されたヒビキは『うん。でも、身体は動くから大丈夫』と返事を打つ。すると〝SAKURA〟は何を思ったのか、メッセージではなくアプリを通じて電話を鳴らしてきたのだった。

 

「えっ、あっ……で、電話?」


 デバイスが手の中で小刻みに震えている。側でダリアが寝ていたから起こすわけにもいかず、迷った末にヒビキは通話ボタンを押した。


「も、もしもし……」


 柄にもなく緊張していた。この国の言葉が通じるのか分からないが、アプリが自動で翻訳してくれると信じ、いつも喋っている言葉で話してみる。すると暫くして「き、聞こえますか……?」という女の子特有の高い声が聞こえてきた。


 初めて〝SAKURA〟の声を聞いたヒビキは、ドキドキして胸の辺りが締め付けられるような感じがした。くすぐったい気持ちを感じながら「うん、俺だよ」と反応すると、彼女は安心したのか電話口の向こうで小さく鼻を啜る音が聞こえてきた。


「良かった……。〝HIBIKI〟からの返事がなかったから、とても心配してたの」


 〝SAKURA〟の声が微かに震えていた。この数日間、本当に心配してくれていたのだ感じたヒビキは〝SAKURA〟に心配かけないよう、明るく振る舞い始める。


「心配かけてごめんな。今起きたばっかりだし、怪我の具合は正直まだ分からないけど、そこまで心配しなくて大丈夫だよ」

「そんな事を言われたって、友達だから心配はするよ。それにヴァルキリーに乗る人達って、物凄く身体に負担が掛かってるって聞いた事があるから……」


 だんだん〝SAKURA〟の声が涙声に変わって、鼻を啜る音が大きくなってきた。


「うん、わかってる。ありがとう、〝SAKURA〟」


 普通に返事をしたつもりだったが、〝SAKURA〟がフフッと小さく笑ったので、「え? 俺、何かおかしい発言した?」と聞き返す。


「ううん、違うの。初めて私の名前を呼んでくれたから、なんだか嬉しくて」

「そ、そっか。な……なんか照れくさいな」


 ヒビキが恥ずかしそうに頬を掻くと、〝SAKURA〟が嬉しそうにクスクスと笑い始めた。


「ねぇ、また電話していい? たまにで良いから〝HIBIKI〟の声が聞きたいな」

「うん、俺も〝SAKURA〟の声が聞きたい」


 サラッと出た言葉に自分でも驚いたが、ダリアがもぞもぞと動き始めたので、名残惜しいと感じながらも「ごめん、人が来たからまた連絡する」と〝SAKURA〟に伝え、早々に通話を切ってしまった。


「〝SAKURA〟の声、可愛かったな……」


 ヒビキはもう一度寝転がり、持っていたデバイスを自分の胸の上にそっと置く。今まで全く感じた事のない感情だったので、この気持ちが何を意味するのか暫く考えていた。

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