第六話

 学校法人カテドラル学院から南に位置するカテドラル中央研究所――通称〝セントラル〟では、主にヴァルキリーとオーブの接続実験が行われている。将来的にはヴァルキリーの無人機化を目指していると聞いているが、まだまだその段階にまで漕ぎ着けてはいない。


 ここに勤める研究者達はヴァルキリーとパイロット、仲介をしているオーブに変化がないかどうかを日々記録している。どこまで同調シンクロ率を高めれば、ヴァルキリーの性能を引き出す事ができるのか? 限界まで同調シンクロさせる事で、何かしらの変化が見られないか等の経過観察も行っているらしいが、それは表向きだとヒビキは感じていた。


 そうでなければ〝特異体質者〟である人間達を月一で〝セントラル〟に呼び付けて記録を取ったり、身体検査を行う必要なんてないはずなのだ。〝セントラル〟には何か裏がある。けれど、ヒビキは必要以上に知ろうとは思わなかった。知りすぎてしまうと奴等の思惑に嵌り、抜け出せなくなると感じていたからだ。


「シンラ・ヒビキ、準備はできているかね?」


 コックピットのモニターにヒビキの大嫌いなグラシェ・フォン・アラガミ博士の顔が映し出される。アラガミ博士は世間では天才科学者として名を馳せているが、筋金入りのMADだ。特に〝特異体質者〟が試験に携わっていると、無茶苦茶な指示や要求を出されてしまう為、病院送りが後をたたない。


 ヒビキもアラガミ博士の試験に携わり、何度も死にかけた被害者だ。博士がいるとわかっている時は精神的苦痛を理由に〝特異体質者〟の者達が試験を放り出すなんて日常茶飯事。だから、今日の召集も博士がいない日にして欲しいと必死で頼み込んでいたのに、何故、アラガミ博士の顔がモニターに映っているのだろうか。


「どうして、MA……いえ、アラガミ博士がここにいるんですか? 噂では北極点で一人サウナを楽しむ為に休暇を取られていたはずじゃ……」


 ヒビキは顔を引き攣らせながら聞く。すると、アラガミ博士は自慢の顎髭を撫でながら嬉しそうに話し始めた。


「貴様が乗っていたヴァルキリーがオーブと同調シンクロした影響で形状が変わったと報告を受けてな。いてもたってもいられなくなって、個人的にジェット機をチャーターして帰ってきたんだ。どうだね、誰よりも先にワシに会えて嬉しいだろう?」

「いえ、全く。なんなら、ずっと帰って来なくても良かったし、ジェット機が爆発すれば良かったとさえ思いました」


 ヒビキが真顔で嫌味を言うと、アラガミ博士はモニターの向こうで大きな口を開けて笑い始めた。隣にいる助手と思しき男性研究員が引き攣った表情で、ヒビキとアラガミ博士を交互に視線を送っているのが見える。しかし、男性研究員がヒビキとモニター越しに目が合うと、申し訳ないというように頭をペコペコと下げ始めた。


「フッフッフッ、ツンデレな奴め。主任研究者であるワシに対して、そんな言葉を吐けるのは貴様くらいだぞ」


 皆、癇癪持ちのアンタに気を遣っているからだろう、この老害め! と怒鳴りつけてやりたかったが、まともに話を聞きそうになかったので「あぁ、そうですか」と話を流した。


「早速だが、オーブと同調シンクロしてもらうぞ。準備はできているだろうな?」

「とっくにできてますよ。ちなみに今日はなんの試験をするつもりなんです?」


 アラガミ博士の顔が真顔に変わった瞬間、背筋に悪寒が走った。アラガミ博士とモニター越しに数秒見つめ合った後、「喜ぶと良い。この前やった試験の続きだ」とニヤリと笑ったではないか。


「……もしかして、敵の攻撃を先読みして回避し続ける試験の事を言ってます?」


 ヒビキの予想が当たっているとしたら、最悪だと思った。あれは約三ヶ月くらい前に遡る。試作型プロトタイプの運用が決定した時の事だ。試作型プロトタイプの操縦試験と称し、パイロットとして試験に参加するよう指名されたヒビキは、武器を持たずに何時間も攻撃を回避し続ける事を強いられた。


 同調シンクロしたまま寝る間もなくヴァルキリーを操縦し続けた結果、ヒビキは限界を超えてしまい、白目を剥いて失神してしまった苦い記憶が思い出されてしまう。


 冗談じゃない、あんな無茶な試験なんて誰がやるものか! と思ったヒビキはすぐさま拒否し始めた。


「あの試験はお断りですよ、アラガミ博士。あの後、謎の高熱が出て抗生剤を投与されても、なかなか改善しなかったんです。それに、このヴァルキリーはまだ謎が多いですし、もう少し解析してからでも――」

「察しがいいな、シンラ・ヒビキ!! 約三ヶ月前に行った操縦試験の内容を覚えているだなんて、よっぽどこの試験が気に入っているのだな!? よしよし、それなら話が早い!! 早速、始めようではないか!!」


 アラガミ博士の指示でリニアレールが動き出してしまった。ヒビキを乗せたヴァルキリーは転車台に移行し、射出レーンに向けて方向転換が始まってしまう。


 勝手に射出レーンに向けて移動させられたヒビキは怒りが最高潮に達し、システム用キーボードに拳を叩きつけ、激怒し始めた。


「少しは人の話を聞けよ、MADが!! いつもいつも勝手に話を進めやがって、俺の意見は無視か!? 俺はお前の玩具じゃねぇんだ!! 無茶な試験ばっかりやらせるんだったら、お前がヴァルキリーに乗れば良いだろ!!」


 モニターに映るアラガミ博士に向かって暴言を吐き続けるも、本人は知らぬ顔で鼻を穿り、鼻水で濡れた大きな鼻糞を指で弾いていた。


「えぇいっ、やかましい!! 生まれたての雛鳥みたいにピヨピヨ喚くんじゃない!! 貴様は軍から勲章を授与される程の腕前を持ったブランド鶏に進化したのだろう!? だが、安心したまえ。今までの訓練結果と貴様の意向はちゃんと汲み取っている。前回は屋内での試験だったから、回避行動を取るのには窮屈すぎたのだろう? 必要以上に能力を使い過ぎて失神してしまったのを加味し、今回は縦横無尽に飛び回る事ができる海上で試験を行うつもりだ」


 ヒビキは頭をガツンと殴られたような感覚がした。脳が理解するのを拒絶しているのか、何を言われているのかが分からない。暫く眩暈がしていたが、数秒かかってようやく内容を理解した途端、操縦桿を握る手がプルプルと震え出した。


「マジでっ……マジでふざけんなよ!! なにが俺の意向を汲んでるだ!? 俺は前回の試験の続きなんてやりたくねぇって言ってんだよ!! その耳はお飾りか!? 鼻糞だけじゃなく、耳糞まで詰まってんのか!? もしそうだって言うんだったら、俺が片っ端から掃除してやるよ!!」

「ほほぉ、それは良い案だな。かれこれ、三年以上は耳掃除をしてないものでな。さっき飛ばした鼻糞同様、耳糞もギッシリと詰まっているだろうから、試験が終わったら正式に依頼させてもらおう。無論、無料タダでやってくれるのだろう? いつもワシが貴様の世話を焼いてやってるのだから、これくらいは当たり前だな!」


 アラガミ博士のにんまり顔を見て、ヒビキは歯軋りをさせる。これがモニター越しではなかったら、確実に顔面に一発ぶち込んでいた所だ。


「そんなに俺に耳掃除をさせたいのなら、ピンセットで鼓膜をぶち破いてやる! そしたら、もっと良く聞こえるようになるだろうよ!」

「ガハハハハッ! その意気だぞ、シンラ・ヒビキ! 貴様と喋っていると十歳以上は若返っているような気がするわい!」

「こっちはアンタのせいで十歳くらい老け込んでるんだよ! 試験に参加してやってるんだから、もっと労わりやがれっ! ったく、アンタと喋ってると人の心を読む時以上に疲れるぜ、本当によぉ……」


 アラガミ博士と話しているうちに、あっという間に射出レーンにスタンバイされてしまった。後はアラガミ博士の手元にあるボタンを押せば、上空へと飛び立つ事になるのだろう。


 黙り込んでしまったヒビキを見かねたのか、アラガミ博士は「案ずるな」と声をかけてきた。


「操縦試験と名目を掲げてはいるが、今回の試験内容は一味違うぞ。数日前から未確認の艦隊が北極海にて確認されている。恐らく、各エリアでテロ活動を行っている過激派組織の連中だろう。そいつらを跡形もなく撃墜するのが君の役目だ」


 撃墜という言葉にヒビキは反応してしまった。今まではヴァルキリーの操縦試験やパイロットとオーブの同調シンクロ率を記録するのがメインだったはずなのだ。しかし、一学生の身分であるはずのヒビキが無断で撃墜しても良いのだろうか。


「軍や政府には許可を取ってるんですか?」

「勿論だとも! 敵を撃墜するのは軍から勲章が贈られる予定のブランド鶏だと付け加えると、軍も政府も快諾してくれたよ!」


 アラガミ博士は機嫌良く笑ったが、ヒビキは表情が硬くなった。基本的に学生が武器を使用する場合は制約が多く、命の危険が差し迫る時以外は武器の使用は禁止されており、今回のような状況であれば学生ではなく、真っ先に軍が出動するものなのだ。


 あぁ、とてつもなく嫌な予感がする――。


 ヒビキは昨日の出来事が頭を過っていた。


〝お前達を起点に戦いが起こり、お前達の大切な者達が不幸に陥り、お前達が死ぬまで追っ手が追うだろう〟


 あの時聞いた不快な声が脳にこびりついているようだった。ヒビキは緊張の面持ちで操縦桿を強く握る。それに伴って、同調シンクロ率も少し上がってしまったのか、アラガミ博士が「ハッハッハッ、そう緊張するな」と声をかけてきた。


「貴様は軍から勲章を貰える程のブランド鶏だ。そう簡単には落とされないだろう? それに万が一の為に援軍を申請してある。そう気負うでない」


 ブランド鶏扱いされた事に対しては特に反応せず、ヒビキは思いつめた表情で黙り込んでしまった。それを見たアラガミ博士は空気を変える為なのか、ゲホンッ! と大きな咳払いをした。


「とにかくだ、目標地点を貴様の機体に送信するので確認しておくように! 後は好き勝手に暴れてくれたまえ! ワシも好き勝手にデータを取らせてもらう!」


 それだけ言うと、アラガミ博士はさっさと通信を切ってしまった。その後、射出準備のカウントダウンに入り、ヒビキは自身を落ち着かせるように深呼吸をする。


「大丈夫だ、この前みたいにはならない……。俺は人は殺さない……。絶対に殺さないぞ……」


 自分に言い聞かせるように独り言をブツブツと呟いていると、『システム、オールグリーン。シンラ・ヒビキ発進して下さい』と通信が入ったので、厳しい面持ちで顔を上げた。


「シンラ・ヒビキ、出る!」


 射出口からヴァルキリーが飛び出すと、全体的にGがかかってシートに押し付けられるような感覚がした。視界が真っ白に包まれる。寮を出る前に天気予報を確認していなかったが、珍しく雲一つない快晴のようだ。


「こちらシンラ・ヒビキ、データを確認した! これより、北極海上空へ向かう!」


 眩しい太陽光にヒビキは目を細めながら、レバーを一番奥まで押し込み、目的地である北極海上空へ向かった。

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