第四話

 ようやく打ち上げから解放されたヒビキは、マリウスに指定された第一格納庫に到着した。ここは学校法人カテドラル学院が管理しており、各隊の隊長が使用する少し特別な格納庫。今までも何度か入った事はあるが、こんな遅い時間帯に入るのは初めてだった。


 学校と格納庫を繋ぐ連絡橋は今の時間帯は封鎖されて使えず、わざわざ外から回って守衛に学生証と入館理由を提示しないといけないのが非常に面倒臭い――。そう思っていたのだが、警備員にマリウスに呼ばれているとだけ告げると、快く敷地内に入れてくれたので、ヒビキは驚いてしまった。


「マリウスの奴、警備員相手に〝声〟を使って命令したのか。人払いもしてるっぽいし、これは相当大事な話だな……」


 交代制で常駐しているはずの守衛室にも人の姿が見えなかったので、入館理由は書かずにIDカードだけを拝借し、分厚い鋼鉄の扉のロックを解除して扉を潜った。


 格納庫のキャットウォークに出たが、肝心の灯りが点いていなかったので、フットライトを頼りに慎重に歩いて行く。すると、真っ暗な格納庫の奥で〝オーブ〟と同調シンクロした時に現れる緑色のエネルギーラインが機体に流れていたので、ヒビキはそこを目指して歩いた。


 しかし奥に進むにつれ、ヒビキはある違和感に気付く。マリウスの機体はヒビキと同じ試作型プロトタイプだった筈なのだ。記憶の中の機体は白のはずなのに、目の前にいるヴァルキリーの機体の色は黒。しかも、ヒビキの機体と同様に形状が変わっている。


「これ、マリウスの機体だよな……?」


 ヒビキが黒い機体を呆然と眺めていると、「やぁ、遅かったね」と暗闇の中からマリウスの声が聞こえてきた。声がした方へ視線を向けると、端末機器の光に照らされながら、にこやかに笑うマリウスと目が合った。首から下げられたダイヤ型の〝オーブ〟が緑色にぼんやりと輝いているのが妙に気になったが、ヒビキは静かに歩み寄っていく。


「遅くなってごめん。ゼンイチとダリア達に付き合わされてたんだ」


 ヒビキが申し訳なさそうに言うと、マリウスは嫌な顔を一切せずに「気にしないでよ」と笑ってくれた。


「二次会に参加する事になったって事前に連絡をくれてたから、大体の察しはついてたよ」

「お気遣いどうも。でも、こんな夜遅くに一人で何やってるんだ? 警備員相手に〝声〟を使って操ったりするなんて、よっぽど聞かれたくない話なんだろ? もしかして、地球の外にでも行くつもりかよ?」


 冗談で聞いたつもりだったが、「うん、そうだよ」とマリウスがあっさり肯定したので、ヒビキは驚いてすぐに返事ができなかった。


「え、マジ? さすがに冗談だよな?」

「冗談じゃないよ。僕は……いや、は地球から出ようと思ってるんだ」


 突然の告白に頭が回らないまま、マリウスが指をさした方向へヒビキは首を動かす。暗くて見え辛かったが、視線の先にはパイロットシートで眠るニコの姿があった。


「え……もしかして、死んでるのか?」

「死んでないよ。ニコはね、この中にいるんだ」


 マリウスが示したのは、首元に下げられている〝オーブ〟だった。訳がわからなくてヒビキが黙り込んでいると、「順を追って説明していくね」とマリウスは神妙な面持ちで話し始めた。


「ニコの身体はもう限界だったんだ。ここの医者はあてにならないし、心臓のドナーも見つからない。正直、途方に暮れたよ。だから、僕はこのヴァルキリーオーパーツを使って、ニコの意識とオーブの中にいる〝悪魔〟を入れ替えたんだ」


 ヒビキは考えが追いつかず、少し頭の整理をしてから「……どうやって?」とだけ声を発すると、マリウスがにっこりと笑い、側に来いと手招きしてきた。


 マリウスの足元に置かれていたのは、整備用の端末だった。画面を確認すると〝EINHERJARエインヘリアル SYSTEMシステム〟と表示されている。


「エイン……ヘリアル? なんだ、このシステム?」


 見た事もない文字にヒビキは近くで見ようと片膝を着くと、「ヴァルキリーのシステムを弄ってる時に偶然見つけたんだ」とマリウスが教えてくれた。


「不用意に弄ると危ない気がしたから、部屋に篭って一人で解析を進めてたんだ。そしたら、僕達じゃ考えもつかないような相互互換システムが搭載されてたってわけ。なんでこんな代物がヴァルキリーに搭載されてるか分かんないけど、シンラ君が前に言ってたでしょ? オーブの中にいる〝悪魔〟がヴァルキリーをオーパーツって呼んでたって」

「あ、あぁ……。確かにそんな事を言った気がするな」


 マリウスにはいろんな事を喋りまくっているせいか、ハッキリと思い出せなかったので、ヒビキは曖昧な記憶のまま軽く頷く。


「だからこのシステムを使ったら、ニコの意識とオーブの中身を入れ替える事ができると思った。ニコの身体もギリギリの状態だったし、ぶっつけ本番は嫌だったけど試してみたんだ」

「試したって……ニコに確認は取ったのかよ?」


 マリウスの事だ。本人に確認を取ったに違いないが、聞いておかないと気持ちが悪かったので、念の為に聞いておく。すると、マリウスは「もちろん、取ったよ」とだけ言い、視線を僅かに落とした。


「ニコも分かってたんだ。自分の命が後少ししかないって。少しでも楽になれるなら、なんだってするって言ってくれたんだ。だから、僕は〝EINHERJARエインヘリアル SYSTEMシステム〟に賭けるしかなかったんだ」


 本当はこんな事はしたくなかったという思いが、心を読まずともひしひしと伝わってきたので、「まぁ……他人で試すよりは良いんじゃねぇの」とヒビキなりの言葉で励ますと、マリウスが「ありがとう、シンラ君」と僅かに眉を下げて笑った。


「それで? 今、ニコの身体にいるのは〝オーブ〟に入ってた〝悪魔〟ってわけだ?」


 ヒビキは足元に置かれていた懐中電灯を持って立ち上がり、パイロットシートに座っているニコの顔辺りをライトで照らしてみる。今は眠っているお陰か、初めて見た時よりも穏やかな表情に見えた。


 しかし、ヒビキは同時にこうも思った。


 もし、〝悪魔〟に人間の身体を与えてしまったら、どうなってしまうのだろう?


 考えるだけで懐中電灯を握る手に汗が滲んだ。得体の知れない存在に人間の身体を与えてしまったら、どんな行動をとるのか想像がつかない。だからこそ、機体の形状が変わってしまった事よりも、今はニコの身体に宿っているという〝悪魔〟の方が気になって仕方がなかった。


「そのはずだよ。このシステムを使ったから、ニコの意識は僕のオーブの中にあるはずだからさ」


 ヒビキはマリウスの首から下げられたオーブに意識を集中させてみる。何も喋ってはくれなかったが、確かにいつも感じている悪意のようなものは感じられなかった。むしろ、穏やかに眠っているような感覚が伝わってきて、ヒビキは一先ず安堵する。


「……って事はさ。〝悪魔〟が人間の体に宿ってるんだったら喋れるんじゃねぇの? もし攻撃されたとしても、ニコの身体はまだ小さいから俺達でなんとでもできるだろうし。この際、聞いてみたい事は聞いてみようぜ」


 マリウスに同意を求めると「僕も同じ事を思ってた」と笑った。


「よし。そうと決まれば、早く叩き起こそう」


 ヒビキ達はキャットウォークの踊り場からコックピットの開閉口に足をかけた。シートの上で眠るニコを近くで見てみると、呼吸が浅いのか胸の動きが常人に比べて少ない気がした。顔色は相変わらず真っ白で、死んでいると言われたらそうしか見えない。


 ヒビキとマリウスは互いに顔を見合わせ、緊張の面持ちで頷き合った。「おい、起きろ」と試しに話しかけてみる。しかし反応がなかったので、マリウスがニコの頬に触れようと手を伸ばすと、突然、ニコの両目がカッと見開いたのだった。


『ガガッ、ガッ……ギィィィィ――――!!』


 金属音に似た嫌な音が格納庫内に響き渡った。人間の声とは思えない声に二人は驚いて耳を塞ぎ、距離を取るように後退りする。


『ギッ、ギギッ……ギィィィィッ!!』


 ニコの眼球がギョロギョロと動き、視線がこちらに向いた瞬間、蛇に睨まれたように身体が動かなくなってしまう。


 人がこんな声を出すなんて、あり得ない! それに、どうして身体が動かないんだ!?


 ヒビキはニコから視線を逸らせなかった。指が一本も動かない。呻き声すら出ない。ヤバいという感覚が脳を支配し、心臓の鼓動だけが早鐘を打つように早くなっていく。


『あうぅ……ぐぐ……ゲホッ、ゴホゴホッ!』


 ニコは苦しそうな表情で喉に手を当てていた。先程の金属音に似た音から、徐々に人が発する声に近付いてきたように感じる。


 ヒビキは額から頬にかけて汗が伝うのを感じた。ニコの口から発せられた声は〝シェムハザ〟の声ではなく、全く聞いた事のない声だった。もしかすると、〝オーブ〟の中にいるのは〝シェムハザ〟だけでなく、――そんな悪い考えが頭を過ってしまった。


『ハァッ……ハァッ……! お、おぉ……お前達の仕業か!? この脆弱な肉の器に我の魂を定着させたのは!?』


 ニコは何度も大きく咳き込みながら、パイロットシートから降りようともがいていた。しかし、身体が上手く馴染んでいないのか、手足が痙攣しっぱなしで眼球が揺れているように見える。


『答えろ! なんなのだ、この身体は――ゲホッ!』


 大きく咳き込んだ拍子にバランスを崩し、パイロットシートから転がり落ちた事で、ヒビキ達はようやく動けるようになった。だが、足にうまく力が入らず、前のめりに倒れてしまう。それは隣にいるマリウスも同じようだった。


「なんなんだ、アイツは……?」


 ヒビキは肩で息をしつつ、髪の間からニコの身体に宿っている〝悪魔〟を見やる。この暗がりの中でも目の奥に薄らと赤い輪が宿っているのが確認できた。


『ぐっ……こんな欠陥品の身体を寄越しよって! 貴様等〝代償〟を受ける覚悟はできてるんだろうな!?』


 ニコの身体に宿った〝悪魔〟が震える指でヒビキ達を指す。まだ身体に力が入らないヒビキの代わりに、マリウスが「〝代償〟って何の事だ?」と聞くと〝悪魔〟は激昂し始めた。


『我という〝神〟をこの脆弱な身体に閉じ込めているのだぞ!? 〝代償〟を与えるくらいじゃ物足りぬ! お前達には絶望と苦しみを与えて殺さねば――うっ……ガハッ!』


 自称〝神〟は口から血を吐き始めた。口の端から唾液に混じった血をだらだらと流し、地べたを這いながら『シェムハザァァッ! 傍観してないで助けろ!』とヒビキに向かって怒鳴る。しかし〝オーブ〟から反応がないのを見るに、〝シェムハザ〟は敢えて無視をしているような気がした。


 自称〝神〟は胸の辺りを抑えて苦しみ抜いた末にピクリとも動かなくなった。


 恐らく、もう虫の息だろう。だらりと力無く手足を伸ばし、眼球だけをヒビキとマリウスに向け、最後の力を振り絞るかのように睨め付けてきた。


『我はお前達に〝代償〟を授ける。お前達を起点に戦いが起こり、お前達の大切な者達が不幸に陥り、お前達が死ぬまで追っ手が追うだろう。忘れるな、忘レるな、忘レルナ……必ズ、我等ガ、オ前達ヲ……オ前達ノ……ヲ……』


 話している途中で事切れてしまったのか、何も喋らなくなった。


 ヒビキとマリウスは緊張の糸が切れたのか、身体中から冷や汗が噴き出てきた。二人ともニコの死体から目が逸らせないまま時間だけが過ぎていく。とりあえず、誰かが来る前にここから離れた方が良いと判断したヒビキは疲れ切った声でマリウスに話しかけた。


「マリウス、動けるか?」

「うん、なんとか大丈夫……」


 ヒビキは初めてマリウスの声が震えているのを聞いた。ブルブルと震える足に力を入れ、ゆっくりと立ち上がる。「立てるか?」と声をかけて手を差し伸べると、マリウスはニコの死体を見つめたまま辛そうな表情をしていた。


「僕はなんともない。なんともないんだけどさ。中身は違うって頭では理解してるけど、ニコの苦しんでる表情を見てたら辛くなっちゃったなぁ……」


 ヒビキ自身もあんな事が起こるだなんて微塵に思ってもいなかった為、気の利いた言葉もかけられないまま黙り込んでいた。


「でも……なんだったんだろうね、最後の。〝代償〟って言ってたよね?」


 マリウスが確認するように聞いてきたので、「あぁ、言ってた」とヒビキはすかさず肯定する。


「やっぱり、僕の聞き間違いじゃないか。しかも僕達を起点にして戦いが起こるとも言ってたよね」

「言ってたけど、ハッタリかもしれないだろ? 得体の知れない存在の言葉なんかに惑わされるなって」


 マリウスを励ましている間、ヒビキは冷や汗が止まらなかった。手が汗でびっしょりと濡れ、今すぐにこの場から逃げ出したい衝動に駆られてしまう。だからなのか、「……実はさ、俺も地球を出ようと思ってたんだ」と本音を吐露していた。


「〝オーブ〟を使い続けて、俺が俺でなくなるのが怖くて堪らなくてさ。シャルム・ゴールディみたいに戦争狂になっちまったらと思うだけで、ずっと手の震えが止まらないんだ。この学院に居続けたら、いずれ軍に入る事になる。そしたら、俺もシャルム・ゴールディみたいな戦争狂になるんじゃないかって。こ……この前の戦闘で敵機を破壊した時みたいに、人殺し――」


 そこまで言うと、マリウスがヒビキの両肩を掴んできた。気をしっかり持つようにと言わんばかりに強めに肩を掴み、軽く前後に揺さぶってくる。


「しっかりしろ! 奴等に付け入る隙を与えたら向こうの思うツボだって言ってたじゃないか! いいか、追っ手が来ても僕達で追い払えばいい! 僕と君がいればなんとかなる! 君だってそう思ってるから、僕に話してくれたんだろ!?」


 声を荒げたマリウスは自分自身にも言い聞かせているように見えた。「そうだ、そうだよな……」とヒビキは何度も頷き、マリウスの目をしっかりと見据える。


「悪い、マリウス。珍しく弱気になっちまった」

「大丈夫、問題ないよ。むしろレアなシンラ君を見れて良かったかもね」


 綺麗な顔で笑うマリウスを見て、ヒビキは拳を前へ突き出す。すると、マリウスも拳を合わせてきた。


「よし、当面の目標を簡単に確認するぞ。俺達は地球から抜け出して、地球の外で生きていく。敵に追われようと、二人で追い払う。これでいいな?」

「そうだね、その為に色々準備しないと。あー、僕の機体も形状が変わっちゃったし、シンラ君みたいに〝中央研究所セントラル〟に缶詰になっちゃうかもなぁ」


 マリウスは形状が変わってしまったヴァルキリーを見ながら苦笑いする。


「俺達の機体は謎が多いままだし、どっかのタイミングで模擬戦をやっても良いかもしれないな。後は……地球の外に出てからが問題だな」

「そうだね。僕達、学校で敵とヴァルキリーの操縦くらいしか教わってないもんね」


 外の情報の少なさに二人は沈黙してしまった。プログラミングや情報収集が得意なマリウスでさえ良い案が浮かばないのか、腕を組んだまま苦笑いしている。


「情報を漁るにしても政府や軍部のシステムはセキュリティが厳しいから、無闇にハッキングをかけるわけにはいかないし。地球の外に知り合いでもいれば話は別なんだけど、そんなのいるわけないもんね」


 マリウスが何気なく呟いた言葉に、〝宇宙間通信〟の存在を思い出したヒビキは「それだ、マリウス! 良い案を思い付いたぞ!」と声をあげた。


 マリウスが瞬きしながら「良い案って?」と聞いてきたので、ヒビキはポケットからデバイスを取り出し、〝宇宙間通信〟のアプリを起動させる。


「外に知り合いがいないんだったら、作れば良いんだって! 〝宇宙間通信〟っていう掲示板アプリの事、知ってるか!?」

「あぁ……今流行りの出会い系アプリの事?」


 マリウスはなんとなくヒビキの言いたい事を察したのか、あまり期待していないような顔付きに変わった。


「このアプリは若者を中心に流行ってるんだろ!? もしかしたら、地球の外で暮らしてる人間も密かにやってるかもしれないぜ!?」


 ヒビキがデバイスに向かって指をさすと、マリウスは言い難いような表情になった。


「確かにそうかもしれないけど、かなり確率が低いよね。相手の素性も分からない人間の言葉なんか信用できないよ。僕は何か情報がないか色々洗い出してみるから、シンラ君は〝中央研究所セントラル〟の研究員にヴァルキリーの解析結果を教えて欲しいって、お願いしてみてくれないかな」


 ぐうの音も出なかったヒビキは「わかったよ……」と渋々返事をしていた。


 しかし、せっかくゼンイチに〝宇宙間通信〟の存在を教えてもらったのだ。僅かな可能性を無駄にしない為にも、必ず地球以外の所で暮らす人間とコンタクトを取ってみせると、密かに誓った。

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