第三話

 マリウスは戻って来なかったが、祝勝会はヒビキを中心に盛り上がっていた。しかし突然、法人事務局の事務員が現れ、「シンラ・ヒビキさん宛の荷物になります」と台車に乗せた大きな木箱をカフェまで届けに来てくれた。


 ヒビキが送り主を確認すると、シャルム・ゴールディ少佐からだったので、思わず渋い顔になってしまう。どうやら、不本意ながら彼に気に入られてしまったらしい。


「ヒビキ、早く開けてみてよ!」


 ダリアに促されて木箱の蓋を取ってみると、中には酒類がぎっしりと詰まっていた。ヒビキよりも周りにいた人間から喜びの悲鳴あがる。


 あぁ、また面倒事が増えてしまった――。


 ヒビキは疲れたように溜息を吐く。しかし、皆の前で贈り物を返品してくるだなんて口が裂けても言えず、「皆、良かったら貰ってくれ。むしろ、そうしてくれると助かる」と答えると、今度はどよめきの色が広がった。


「えっ、マジで? 本当に貰っていいのか?」

「あぁ。好きなのを持っていってくれ」


 皆はヒビキに向かって、「あざーっす!!」と頭を下げ、我先に木箱に群がり始めた。その様子を遠巻きに見つつ、ヒビキは気怠そうに机に突っ伏す。


「あー、なんでこうも面倒事ばかり増えていくんだ……うん?」


 人の気配を感じたヒビキは少し顔を上げると、ゼン・ニノマエというパイロットが、ヒビキを見下ろすように立っていた。


「よう、ヒビキ。なんだか疲れてるな」

「なんだ、ゼンイチかよ……」


 ゼンの名前は古語で『ゼンニノマエ』と表記するらしいので、隊の皆はゼンイチと呼んでいた。


 ゼンイチは目が少し吊り上がった白銀色の髪を持つ青年で、何の遺伝子を組み込まれているのか知らないが、瞳孔が細くなったり丸くなったりする体質を持っている。ヴァルキリーの操縦も上手く、過去にはヒビキと連携を取って敵を追い払った経験もある程の腕前を持っていた。


「そんな顔しないでくれよ、地味に傷付く。ほら、お前の分も持って来てやったぞ。多分、あの中で一番高いやつだ」


 ゼンイチが酒瓶を差し出すと、瓶の中で飴色の液体がチャポンと踊る。いつものヒビキなら仕方なく貰っているかもしれないが、今日はどうしても気分が乗らず、「いらない」と即答していた。


 ヒビキは再び机に突っ伏すと、ゼンイチは持っていたウィスキーの瓶をヒビキの近くに置いた。


「いいから貰っとけって。今は飲めない年齢でも、金持ちに売れば高値で買い取ってくれるじゃんか。それとも、よっぽど受け取りたくない理由でもあるのか?」


 ゼンイチに痛いところを突かれ、ヒビキは押し黙ってしまった。「もしかして、図星か?」と苦笑いするのを見て、「そのまさかだ」とヒビキもつられて苦笑いする。


「それで? うちのエース様は何で悩んでるんだ?」


 ゼンイチが向かい側の椅子に着席したのを見計らってから、「実は……」と話を切り出した。


「この前、〝観測手〟として防衛戦に参加しただろ? その時のシャルム・ゴールディの戦い方や言動が引っかかっちまってさ。そんな高い贈り物を受け取ったら、見返りを求められる可能性があるだろ?」


 ヒビキの言いたい事を理解したゼンイチは「成程な」と納得したようだった。


「そうか。ヒビキは軍には入りたくないんだな」


 ヒビキは返事に少し困った後、「あぁ、そうかもしれないな」と曖昧に答えた。この学校のパイロット科の殆どの生徒は卒業後、士官候補生として軍に所属する事になる。しかし、ヒビキは自分の意思でこの学校に入ったわけではなかった。


 スラム街出身のヒビキは、政府が身寄りのない子供達を強制回収し、事前の健康診断で〝特異体質者〟だと判明してから、特待生としてこの学校に入学させられた身だ。


 元々パイロットになるつもりも、軍人になるつもりもなかったが、地球から抜け出して自由になってやると決心してからは未来の事が全く想像できなくなっていた。


「ふーん、お前も悩む時があるんだな」


 ゼンイチは何を思ったのか、徐にポケットからプライベート用のデバイスを取り出し、見た事もないアプリを起動させ始めた。画面をつついて、見てくれとヒビキに指示する。


「なんだ、そのアプリ? 初めて見るな」

「今、学生達の間で流行ってる〝宇宙間通信〟っていう掲示板サイトだ。聞いた事ないか?」


 ヒビキは「ない」と即答し、デバイスの画面を覗き込んでみると、『友達になりましょう!』というタイトルから『異文化交流希望』や『彼氏になってくれる人、大・大・大募集中!』という文字がずらりと並んでいる。それを見たヒビキは出会い系のアプリだと察した。


「おいおい、らしくねぇな。お前が出会いを求めてるなんてよ」


 ヒビキは茶化したつもりだったが、「あぁ、そのまさかだ」と意外な答えが返ってきた。


 ゼンイチは画面をタップし、掲示板の内容を見せてくれた。どうやら、スレッド内では全て〝ゼン〟でやり取りをしているらしい。画面をスクロールしていくと、金髪の髪の長い女の子が笑顔でピースしている写真が表示されたので、ヒビキは忙しなく瞬きした。


「誰だよ、この女の子は……」

「俺のキャシーちゃん愛しき人だ」


 ゼンイチが真顔でデバイスを見せびらかしてきたが、ヒビキは眉間に皺を寄せながら画面を見つめる。スレッドのやり取りを見ると、どうやら互いに写真の送り合いをしていたようだった。


「お前、女好きだったっけ?」


 そう問いかけると、ゼンイチはにんまりと笑い、この手の話題にしては珍しく、自分の胸に手を当てて真剣に語り始めた。


「彼女は俺に初めて恋愛感情を抱かせてくれた女性なんだ。俺はキャシーちゃんの為にヴァルキリーに乗り、地球の平和を守っている。つまり、俺は愛する人の為に戦ってるんだ。今まで生きてきて、ヴァルキリーを操縦できる事がこんなに誇らしく思った事はない。ヒビキ、お前にキャシーちゃんを想う気持ちが分かるか?」

「いや、全く分かんねぇ。だって、自分の事で精一杯だし」


 バッサリと即答すると、ゼンイチは眩暈に襲われた時のように手で目元を覆った。


「お前はヴァルキリーの事や戦場の事ばかり考えてないで、もう少し別の事も考えてみろって。少し目付きが悪いだけで容姿は良い方なんだからさ。お前が押しまくれば、彼女の一人や二人くらいすぐにできるはずなのによ。あぁ、勿体無い……」


 それだけ言うと、ゼンイチは皿に残っていたナッツの残りに手を伸ばし、ボリボリと食べ始めた。一方のヒビキは〝宇宙間通信〟のスレッドではなく、デバイスに映った自分の容姿をジッと眺めていた。


 燃えるような赤い目と髪に、少し吊り上がった目。容姿は父親に似ているのか、母親に似ているのかすら知らない。赤ん坊の頃、町外れの教会の前に置いていったらしく、幼い頃は心を閉ざしていたヒビキだったが、いつも隣にダリアがいてくれた事を思い出した。


 もしかして、ダリアと恋仲に――?


 少し離れた所で他の仲間達と談笑しているダリアの横顔を見つめてみたが、ヒビキはすぐにかぶりを振った。ダリアとは小さい頃からずっと一緒にいた為、異性として見れなくなっていたからだ。


 今度は向かい側の席で、機嫌良くメッセージを打ち込んでいるゼンイチを見つめる。硬派な男として有名だったのに、ここまで女に入れ込んでいるのを見て、ヒビキは少し〝宇宙間通信〟に興味を持ち始めた。


「なぁ、ゼンイチ。そのアプリ、俺にも教えてくれないか?」


 ヒビキがプライベート用のデバイスをポケットから取り出すと、ゼンイチはしてやったり顔に変わった。


「ついにヴァルキリー以外の恋人を作る気になったんだな?」

「ヴァルキリーは恋人じゃねぇ。ただの兵器だ。ほら、さっさとアプリを教えやがれ」


 少しだけ赤い顔をしたまま急かすと、ゼンイチは手慣れたようにアプリを送信してくれた。


「サンキュ。それで次はどうするんだ?」

「自分でハンドルネームを決めてスレッドを立てて、誰かが書き込むのを待ってるだけだ。後は――」


 ゼンイチからスレッドの立て方を教わるヒビキだったが、そのやり取りをダリアが遠巻きに見ていた事に誰も気付かなかった。

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