第二話

「おい、ダリア。そんなくっ付いてくんなよ」

「嫌よ。こうでもしないと、ヒビキ逃げちゃうでしょ?」


 ダリアの言葉に疑問を抱いたヒビキは警戒していると、数歩先に人が一人乗れそうな台が置かれていた。今から何をする羽目になるのか悟った瞬間、「はーい、皆注目〜!」と逃げられないようにダリアが皆に召集をかけてしまった。


「この前の防衛戦について、一言お願いします!」


 ダリアが半ば強引に背中を押した後、すれ違い様にヒビキに向かってウィンクをする。ヒビキは眉間に皺を寄せ、「後で覚えてろ」と口パクで文句を言いつつも、仕方ないというように頭をガシガシと掻いた。


 ヒビキが壇上に上がると、仲間達が一斉に片手に紙コップを持って注目する。こういう場に慣れていないのか、顰めっ面のまま黙り込んでいたので、近くにいたマリウスが「ほら、シンラ君。早く早く」と急かしてきた。


「マリウス。お前も俺がこういう場が苦手だって知ってるだろ?」


 渋い顔をしながら話すと、マリウスは「そうだねぇ。アドバイスするなら、いつも僕と話してるみたいに言えばいいんだよ」と微笑み、ジュースが入った紙コップを手渡してきた。


「そんなに緊張するなら、僕があげようか?」


 愉快そうに笑うマリウスを見て、「分かったよ。ったく、二度とやらねぇからな……」とヒビキは小さく文句を漏らしながら、集まった焔隊の面々を照れ臭そうに眺めてみる。


 皆、肌の色も背丈や目の色が違う様々な人種が、この〝エリア5〟に住んでいる。遥か昔、地球が一つの国として機能していなかった頃は〝ヨーロッパ〟と呼ばれていたらしいが、現在は国という概念は存在せず、地球が一つの国として機能している。


 様々な人種が入り乱れているのは当たり前。肌の色や文化、信仰する宗教が違うのも当たり前なこの世界では、共通の敵がいるからか人種差別による争い等は一切起こっていなかった。


 この学院を卒業すれば、ここにいる者は全員戦場に出る事になる。そうすれば、こうやって皆で集まる事も難しくなるかもしれない。そう思うと少しだけしんみりとした気持ちになったが、今はそんな事を考えるべきじゃないとヒビキは軽く咳払いした後、紙コップを頭上に掲げた。


「皆、今日は俺の為に集まってくれてありがとう! 勲章が貰えることになるなんて思わなかったけど、これも皆がいてくれたお陰だ! 今日は学院側が全部持ってくれるらしいからな! 日頃の鬱憤を晴らす為に食べて飲みまくろうぜ! それじゃあ、乾杯!」


 ヒビキの声に合わせて一斉に紙コップを掲げ、「かんぱーいっ!!」と皆が笑顔になる。中に入っているジュースを飲み干した後、割れんばかりの拍手がカフェ内に鳴り響いた。


「いい演説だったじゃない! ヒビキはやればできる子だって、私は知ってるんだからね!」

「うっせぇよ、ダリア。俺の断りなく勝手に決めんな」


 労いに来たダリアの額に思いっきりデコピンを食らわせてやると「いった〜!」と大袈裟なくらい痛がり始めた。


「も〜っ、いきなり何するのよ!?」

「ハッ! 俺を嵌めてこれぐらいで済んでるんだったら、全然マシな方だ」

「私はレディなのよ!? 跡が残ったらどうするの!?」

「心配すんな。デコピンくらいで跡なんか残らねぇから――って、なんだこの子供は?」


 ヒビキとダリアの足元に青白い顔で震える五歳くらいの幼い子供がいた。ふわふわの癖毛の金髪に、少し長い前髪から覗く可愛らしい容姿は、まるで天使を思わせるかのようである。


 しかし体調が少し悪いのか、形の良い小さな唇が紫色になっている。ヒビキはこの子供の容姿と体調の悪さを見て、何者なのかピンときたようだった。


「お前、マリウスの弟か?」


 ヒビキが問いかけると、幼い子供はビクリと肩を震わせた。助けを求めるように視線をあちらこちらに向け、困ったような表情に変わる。


「ちょっと、ヒビキ! 小さい子を虐めないの!」

「はぁ? 俺は普通に話しかけただけだろうが」


 ヒビキがダリアを睨み付けると、幼い子供が「ぴぇ……」と小さく呻き声をあげた。大きな緑色の目に涙を溜めて俯く姿は、事情を知らない者から見れば、一方的に叱り付けているような構図にしか見えない。


「あらら、怖かったかな? ごめんねぇ、僕〜」


 ダリアは慌てて幼い子供と目線を合わせるようにしゃがみ込み、「このお兄さん、顔が怖いよねぇ〜」と優しく頭を撫でる。幼い子供は無言のまま小さく頷き、助けを求めるようにダリアにギュッと抱き付いた。


「なんだよ、俺が悪者かよ」


 ヒビキが不機嫌そうに腕を組むと、幼い子供は怒られると思ったのか、慌ててダリアの首元に顔を埋めた。ダリアがよしよしと頭を撫でながら、隣にいたヒビキをキッと睨みつける。


「ほら、怯えてるじゃない! いつも目がつり上がってるから、子供に嫌われちゃうのよ!」

「うっせぇよ! この顔は生まれつきだっ!」


 ヒビキとダリアの掛け合いを聞き、周りから笑いが溢れた。騒ぎを聞きつけたマリウスが人と人の間を縫うように顔を出し、「ニコ! 良かった、ここにいたのか!」と珍しく焦ったような声を発していた。


 ニコと呼ばれた子供は先程とは打って変わって、「マリウス!」と元気よく声を発し、顔を上げた。


「心配したよ。一人で倒れたらどうするんだ」


 安堵したマリウスが手を伸ばして抱き上げると、ニコはマリウスの耳元でゴニョゴニョと何かを呟き始めた。


「……え? シンラ君の顔が怖いって?」


 それを聞いたダリアはプッと吹き出し、ヒビキは「あぁん?」とニコを睨み付ける。眉間に皺を寄せたヒビキを見て恐怖を感じたのか、ニコがブルブルと身体を震わせ始めた。


「シンラ君。こんな小さな子供に対して、そんな態度を取るなんて大人気ないと思うな」


 マリウスが呆れたような声音で続けた。


「それにニコはまだ子供なんだ。そんな怖い顔で責めないでくれるかな」

「そうよ。子供にはもう少し優しい顔で接してあげた方が良いと思うな」


 二人の言い分に納得のいかなかったヒビキは声を荒げた。


「ふざけんな! 二人して俺の顔にケチ付けるんじゃねぇ! 何度も言うけど、これは生まれつきなんだよ! 整形でもしない限り、顔は変わんねぇんだよ!」


 ヒビキが大きな声で反論すると、「マリウス、あの人怖い……」とニコが小さく呟き、ポロポロと泣き始めてしまう。


 すると、近くのテーブルで談笑していた仲間達が騒ぎに気付いたのか、「おいおい。ヒビキの奴、あんな小さい子供を泣かせてんのか?」という声があがり始めた。


「仕方ねぇよ。ヒビキは声が大きいし、小さい子供は驚いて泣いちゃうよな」

「でも、もう少し明るく接してあげたら良いのにね。あんな小さな子には笑顔で接してあげないと可哀想よ」


 シクシクと泣いているニコを憐れむような声もあがり始め、ヒビキはガックリと項垂れてしまった。


「なんなんだ、この状況は……」


 小さな子供が泣いている為なのか、圧倒的にヒビキの方が不利だった。ダリアと隊の仲間達はともかく、同じ〝特異体質者〟であるマリウスは敵に回したくなかった。


 理由はマリウスの〝声〟にあった。マリウスが〝声〟を使って命令すると、命令された対象はその通りに身体が動いてしまうという非常に厄介な能力を持っているのだ。その能力のせいで、ヒビキは何回か泣きを見ている。


 ヒビキは観念したように長い溜息を吐き、「俺が悪かったよ」と頭を下げると、マリウスはいつもの柔らかい雰囲気に戻ってくれたのだった。


「理解してくれて嬉しいよ。小さい子供に対しては笑顔で優しく接してあげるようにね。ほら、ニコもシンラ君を許してあげてよ」


 ニコは少し顔を上げた。子供らしく唇を尖らせながらジッとヒビキを見つめた後、ニコは何も言わずにそっぽを向いてしまう。それを見て、マリウスが代わりに謝ってきた。


「ごめんね、シンラ君。ニコには後で僕が言っておくから」

「別に良いぜ。俺は大人だから特別に許してやるよ」


 ヒビキはできる限り柔らかい表情をしたまま、小さな背中を撫でようと手を伸ばすと、急にニコが大きく咳き込み始めた。コンコンと乾いた咳がカフェ内に響き渡り、辺りが騒然とし始める。


「おい、大丈夫か?」

「うん。いつもの喘息だから大丈夫」


 マリウスが背中を優しく撫で続けていると、ニコの呼吸が落ち着いてきた。しかし、先程よりもぐったりとしているのを見て、マリウスよりもヒビキの方がハラハラしてしまう。


「本当に大丈夫なのか? 顔が真っ青だぜ?」


 ニコの顔色の悪さを見たヒビキは念の為、もう一度聞く。マリウスから返ってきた返事は、またしても「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」だった。


「心配してくれてありがとう、シンラ君。君ってやっぱり優しい男だよね」

「いや、心配するのが当たり前だろ。でもさ、自分の弟がこんな状態なのに連れてくる方がどうにかしてると思うぜ? 俺達は少しくらい風邪をひいてもへっちゃらだけど、コイツにとっては命取りになる可能性もあるだろ?」


 ヒビキは至極真っ当な事を言ったつもりだったが、マリウスは落ち着いたまま微笑を浮かべているだけだった。


 マリウスの考えが全く読めず、ヒビキはあからさまに怪訝な表情に変わる。心を読むべきか迷っていると、マリウスが瞬きをせずに数秒の間、ヒビキの目を見つめてきた。これは〝心を読め〟という合図だと気付いたヒビキは意識をマリウスに集中し始める。すると、頭の中にマリウスの声が響き始めた。


『打ち上げ後、僕のヴァルキリーが置かれてる格納庫に来てくれるかい? 二人で話したい事があるんだ』


 ヒビキが心を読み終わると、マリウスはニッコリと笑って踵を返し、「皆で楽しんでよ。僕はニコを部屋に寝かせてくるから」と言って、カフェから出て行ってしまった。


 残された仲間達は心配そうに顔を見合わせていたが、少しずつ元の活気を取り戻していった。隣にいたダリアが「良かったら、何か持って来ようか?」と心配そうに声をかけてきたが、ヒビキはなんでもないというようにかぶりを振った。


「ほら、マリウスの分まで食おうぜ。本物の食材を使ったご馳走なんて滅多に食べられないからな」

「うん、そうだね。二人の分まで食べちゃおう」


 マリウスの事は気になったが、いろいろと想像した所で何も解決はしないと悟ったヒビキは、ダリアと一緒にバイキング形式で料理が置かれているテーブルへ向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る