第一章 代償と呪い

第一話 

「はい、異常なし。お疲れ様でした、シンラ君」


 学校法人カテドラル専門学院に勤めている女医、コルネリア・ファグによるカウンセラーと健康診断が終わり、ヒビキは脳波測定器を外してベッドから起き上がった。


 あの戦闘から丸二日。未知の素材ニューマテリアと〝オーブ〟が共鳴し、姿形が変わってしまったヴァルキリーは解析班に回す為、研究機関に収容されてしまった。


 パイロットであるヒビキも関連の研究施設で頭の天辺から足先まで調べ尽くされ、早朝にようやく解放されて一安心――。かと思いきや、学校へ戻ってきてからも様々な検査を受けされられ、すっかり夕方になってしまったというわけである。


「ったく、俺だけ隔離していろんな検査しやがって。俺はモルモットじゃねぇっつーの」


 ヒビキはブツブツと文句を言いながら、左肘の内側に貼られていた小さな保護パッドを荒々しく取った。無数の注射痕が紫がかって内出血しているのを見て、地球へ帰還した直後の事を思い出す。怪我もしてないのにストレッチャーの上に乗せられ、身動きできないように拘束した状態で大勢の研究者達にぐるりと囲まれた時は、さすがのヒビキも焦りを隠せなかった。


 一刻も早く地球を脱したい気持ちは変わらないが、逃げる算段もないまま暴れた所で意味がない。思い付きで行動に移すわけにはいかず、おとなしく検査を受けるしかなかった。

 

「それにしても、ヒビキ君。昨日は凄い活躍だったって聞いたわ。今度、英雄であるシャルム・ゴールディ直々に勲章が贈られるんでしょ? この学院でも初めての事で先生方も浮き足立ってるわ」

「あぁ、はい。あんまり興味ないですけどね」

 

 コルネリアの弾んだ声に対してヒビキは淡々と返事をし、シャツのボタンを留めていく。その間もコルネリアはヒビキの事を気にかけてくれているのか、カーテン越しに話しかけてくれていた。


「そんなに謙遜しなくても良いのよ? もう少し子供らしく喜びなさいな。貴方の活躍のお陰で私達はいつも通りの生活を送れてるのだから」

「全く喜べないです。俺、シャルム・ゴールディみたいにはなりたくないんで」


 カーテンを開け放ったヒビキは、ぶっきらぼうに答えた後、さようならの意味を込めて手を振る。コルネリアは腰辺りまである美しい金髪を揺らしながら椅子を半回転させ、「シンラ・ヒビキ君。悩みがあるなら聞くわよ?」と横を素通りした時に声をかけてきたが、ヒビキは無視して保健室を出た。


「馬鹿かよ。シャルム大好き人間のアンタに言えるわけねぇだろうが、こんな事……」


 保健室の扉を閉め、ヒビキは疲れた顔で独り言を呟く。さっきコルネリアと会話している時、シャルム・ゴールディに対する尊敬の念がひっきりなしに伝わってきたからだ。


 シャルムとお近付きなりたい。できるなら恋人として。可能なら夫婦になって、妻として彼を支えて。可愛い子供を二人以上作って、それから――。


「おぇっ……。う〜、思い出すだけで吐き気がする。なんで女ってのは、あんな生々しい想像ができるんだ……」


 ヒビキも男だから女体には人並みに興味はある。けれど、なんで女という生き物は付き合ってすらいないのに、夜の営みを想像するのだろうかと、いろんな人の心の声をキャッチする度に軽くトラウマになっていた。


「あっ、やっと出てきた! ヒビキ、こっちこっち!」


 保健室前の廊下を右に曲がった所にある休憩所で、見慣れた女子生徒が小さく手を振っていた。


 彼女の名前はダリア・マルキス。座学で優秀な成績を収めるヴァルキリーのパイロットだ。二年生ながら焔隊の副隊長も務めており、ミルクティー色の前髪を眉上で揃え、少し癖毛がかった髪の毛をヘアアイロンで綺麗にまとめたお洒落に気を遣う女の子でもある。可愛い見た目に反して明るくサバサバとした性格で、他の隊員からも信頼が厚い彼女は、ヒビキと同じスラムで育った経歴を持っていた。


「なんでそんなに笑顔なんだよ、気持ち悪りぃな」

「気持ち悪いって失礼ね! せっかく、マリウス隊長と迎えに来てあげたのに!」


 ダリアが頬を膨らませながら怒っていると、マリウスが背後からひょっこり顔を出した。「やっほー、シンラ君。焔隊を代表して迎えにきたよ」とヒラヒラと手を振っていた。


 フルフェイスヘルメットを着用していない時のマリウスは、天使のような癖毛の金髪が一段と輝いて見えた。ヒビキよりも頭一つ分くらい高い背はいつもすれ違う女子生徒の注目の的となっており、男から見てもかなり綺麗な部類に入ると思う。けれど、異性との浮ついた話が一切出てこないので、最近は男が好きなのではないかと心の内で疑っていた。


 二人がずっとこちらを見てニコニコと笑っているのを見て、ヒビキは怪訝そうに首を傾げた。


「俺を迎えに? なんだよ、今から何かやるのか?」


 ヒビキは休憩所に備え付けてあった時計を確認する。時計の針は夕方の五時を指していた。一日のカリキュラムを終えた学生達が寮へ帰っていく時間だったので、ヒビキはますます不審に思ってしまう。


「いいから早く行くわよ! 主役が来ないといつまで経っても始まんないでしょっ!」


 ダリアがヒビキの腕に手を掴み、この場から無理やり連れ出そうとしたので、「ちょっと待て」と声をかけた。


「どこに連れて行く気だ? あと主役って何の話だ?」

「決まってるじゃない。学生達の憩いの場、カフェ・プレジールで打ち上げをするの!」


 それを聞いたヒビキは「は? 打ち上げ?」と素っ頓狂な声をあげる。一方のダリアは「そうよ、打ち上げよ!」とにこやかに笑い、ヒビキが逃げないように腕にしがみついてきた。


「コルネリア先生も言ってたでしょ? ヒビキはこの学院で快挙を成し遂げた初めての学生だって! 勇気ある行動と類稀なる操縦技術を讃えて、軍から勲章が贈られるって聞いたよ? だからカフェを貸し切って、焔隊の皆で打ち上げをしようっていう話になったの……って、何よその顔。嬉しくないの?」


 ヒビキはあからさまにげんなりとしていた。それは英雄であるシャルム・ゴールディが濃く絡んでいる勲章だからだろう。受け取ってしまえば、勲章を見る度にシャルムの顔を思い出し、憂鬱な気分になってしまう気がしたのだ。


 ヒビキは大きな溜息を吐いた後、自分の思いを吐露し始めた。


「実は俺、勲章を辞退しようと思ってるんだ」

「えっ、どうして!? 貰える物は貰っておけば良いじゃない! 勲章を持っていれば、何か融通が効く事が出てくるかもしれないよ!?」

「何の融通が効くんだよ」

「それは知らない。けど、現役の軍人でも滅多に貰えないんでしょ? 何かの役に立つかもしれないじゃない!」


 ダリアが鼻息荒く言う。確かにダリアの言う通りなのかもしれないが、心がシャルム・ゴールディを拒否していた。ヒビキは頭をガシガシと掻き、「あの人と関わると碌な事がないって本能が告げてるんだ」と不貞腐れるように言う。


「それに俺は勲章なんて興味ない。勲章一つ授与されただけで生きていける程、世間は甘くないだろ。一人で生きていけるだけの金を稼げたらそれで良いんだ」


 ダリアが反論しようと口を開いた瞬間、背後からパンパンッ! と大きな拍手が鳴る。驚いたヒビキとダリアが音の鳴った方へ顔を向けると、マリウスがニコニコと微笑みながら見下ろすように立っていた。


「まぁまぁ、二人共。勲章を受け取るか、受け取らないかを決めるのは後で考えよう。皆待ってる事だし、早くカフェに向かおうよ」


 マリウスが二人の肩を持ち、早く歩くように促してきた。隣で歩くダリアは納得がいかなさそうな表情をしていたが、ヒビキは彼女の心の内を読もうとはせず、制服のポケットに手を突っ込んで歩き出した。


「で? どれくらいの人数が集まってるんだ?」

「全員集まってるよ。今日はなんと僕の弟も参加してるんだ!」


 マリウスは嬉しそうに答えたが、ヒビキは「え、お前の弟が?」と驚きの声をあげる。


 ヒビキは実際に会った事はないが、ニコはマリウスと一回り離れた弟だと聞かされていた。心臓が弱く、医師から余命宣告されているとも聞いていたのに、こんな大勢の人間が集まる場所に連れて来ても大丈夫なのかと心配になったのだ。


 ヒビキの驚いた顔を見たマリウスはフフッと笑う。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ニコの事はちゃんと考えてるから」

「なら良いけどさ、あんま無茶させんなよ。ドナーも見つかってないんだろ?」


 一昔前までは遺伝子操作をされていない〝純血種〟と呼ばれる人間が大勢いたから、臓器を提供・移植する手術が頻繁に行われていたという。


 けれど、今は厳しい地球の環境に適応できるよう、絶滅せずに生き残った動物の遺伝子を組み込まれた人間が九割を超えており、臓器提供できる人間が激減してしまった。なので、この地球には〝純血種〟のドナーは、ほぼいないと断言できる。


 それなのにマリウスはあまり深刻な顔をせず、「うん、まだ見つかってないよ」と飄々とした様子で答えていた。その返事にヒビキは心の内で違和感を感じたが「そうか」と返す事しかできなかった。


「ニコもいろんな人と話をして気を紛らわせた方が良いと思ってね。僕以外の人間ともあまり話した事がないし。でも、シンラ君は優しいね。血も繋がってないのに心配をしてくれるだなんて、なんだか感激しちゃうな」


 マリウスが嬉しそうに口角を上げたのを見て、ダリアも「そのギャップが堪んないですよねー!」と話に割り込んできた。


「ヒビキって昔からそうなんですよ! 冷たいように見えてちゃんとフォローしてくれるし、誰かが困ってたら絶対に助けてくれるんです! なんてったって、ヒビキは私の自慢の幼馴染なんですから!」


 何故かダリアが誇らしげに発言したので、「何が私の自慢の幼馴染だ、この馬鹿」と突っ込むと、思いっきり左肩を叩かれてしまった。


「いてっ! いちいち叩いてくるんじゃねぇよ、暴力女!」

「フンッ、失礼しちゃうわね! 私達は兄妹みたいなものでしょ? だから、何にもおかしい発言はしてませーん!」


 フンッ! とそっぽを向いたダリアを見て、ヒビキはいつものように言い返そうとしたら、背後からマリウスが大きな咳払いをしてきた。


「二人共、そこまでにしときなよ。ほら、僕達の気配を察知したのか、お迎えが来てくれたよ」


 マリウスが数メートル先にある大きな両開き扉に指をさすと、深い紫色の丸い目をした黒髪の少年が顔を出した。


 この少年の名前はルイス・セラム。一年生ながら焔隊の狙撃手を任されているパイロットだ。隊の皆からは親しみを込めてルイと呼ばれており、前髪の一部はメッシュを入れているかのように色が抜けている。ヒビキよりも一つ年下である彼も〝特異体質者〟であり、ルイは〝目〟に能力を宿していた。


「シンラ先輩、どこも悪くなってないですか?」


 心配そうな顔で近付いてきたルイも〝オーブ〟に〝悪魔〟が宿っていると知る数少ない人間である。「あぁ、問題ない」と答えると、ルイはホッとした表情になった。

 

「それは良かったです。ヴァルキリーの形状も変わっちゃうし、シンラ先輩もどこかへ連れていかれちゃうし、本当にどうなっちゃうのかと思いました」

「俺が一番驚いてるよ。明日、学校を休んで〝中央研究所セントラル〟に来いって命令されてるけど、マジで行きたくねぇんだよなー。良かったら、俺の代わりに行ってくれねぇかな?」


 意地悪く笑ったヒビキの提案に、ルイは慌ててかぶりを振る。


「絶対に嫌です。僕、あの人達の事が嫌いですもん」

「ハハハ、同感。つうか、好きな奴なんていねぇよな」


 ルイは深く頷いて「〝定期検診〟で呼び出される度に気が滅入っちゃいますよね」と答えたので、ヒビキが同調するかのように何度も頷く。すると、ヒビキ達が〝特異体質者〟であるという事実を知らないダリアが「え? 二人には〝定期検診〟があるの?」と口を挟んできた。


 この場にいるダリア以外の三人は驚いて、小さく肩を震わせた。「この二人は脳波の数値が高い部分があるらしくて、定期的に診てもらってるらしいんだ」とマリウスが説明すると、ダリアは「あぁ、そうなんですか」と納得してくれたようだった。


「二人共、あんまり無理しないようにね。ヒビキはともかく、ルイはまだ身体が出来上がってない年齢でしょ? 今日は学校からお金が出るし、たくさん食べて帰ってね」


 心配してくれたダリアに対し、「はい、そうします」とルイは頷いた。


「コホン。ここで立ち話もなんですし、早く中に入りましょう。皆、シンラ先輩を待ってますよ」


 ルイは両開きの扉を押し開けた。カフェの中で待っていてくれた焔隊の皆がヒビキの姿を視認すると、次々と椅子から立ち上がった。


「帰って来たな、今日の主役ぅ!」

「待ちくたびれたぜ! ほら、早く入って来いよ!」


 皆がヒビキに向かって手招きをしていた。完全な祝勝ムードの中、勲章を辞退する話を皆にするべきか迷っていると、背後にいたマリウスが「ほら、早く中に入って」と声をかけてきた。


「皆、シンラ君を労いたい気持ちは一緒なんだ。今は勲章の事は考えずに、皆と一緒に食べて飲んで騒ごうよ」


 ヒビキと同学年の仲間達が手を振って待ってくれている。マリウスに諭されたヒビキは「それもそうだな」と納得し、皆が待つカフェに入って行った。

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