Sid.24 深夜の話し合いを盗み聞きする
胃の痛みが吹っ飛んだ。
実に爽快な気分だ。わくわくして踊りたい。体が勝手に動いてしまいそうだ。
温泉に二人、ゆったり浸かりながら、ばるんばるんを愛でるとか。
まあ、さすがにそれは無いだろうけど、絢佳さんと旅行ができるだけで、全てのストレスが消え去る勢いだな。
問題は親父がそれを許すのか、だ。あれは頭が固い。絢佳さんを取られる、とか思うかもしれないし。幾らなんでも高校生如きに寝取られる、なんてあり得ないだろうけどな。
あくまで俺を自分の息子として、ケアしたいってことだろうし。
でも、少しは期待したいな。
部屋は一緒なのか、別なのか。一緒ならば寝る際に同じベッドでなんて。
ヤバい。股間の膨張具合がマックスだ。破裂しかねないが、今宥めるのもと思ってしまう。
眠れん。
目が冴える。
ベッドに潜り込み一時間は経過してるし。親父は帰宅したのだろうか。気になるからリビングにでも、こっそり覗きに行ってみるか。
起き上がり足音を立てず一階へ。
リビングの明かりは灯っている。ぼそぼそ声が聞こえてくるな。
リビングドアの横に立ち耳を
「その程度でストレスとは情けない」
「自信が無いから、少しのことでもストレスになるの」
「で、日本人教師にしろと」
「無理しても成績は向上しないから」
でっかいため息が聞こえた。
どうやら英語教師は日本人になるようだ。
「それとね」
箱根温泉旅行の件を切り出したようだ。
ゴールデンウィーク中も勉強ばかりで全く息抜きしていない。その原因は自分たちにあるのだから、息抜きで連れ出したいと交渉してるな。
親父の奴、ションベンガキとの確執に気付いて無いのか?
「絢佳が連れて行くのか」
「他に居ないでしょ。大祐さんは仕事で忙しいし」
「愛唯はどうする」
「留守番してもらうしかないでしょ」
またも、でっかいため息だ。
「任せる」
「じゃあ」
「言われてみれば、確かに無理を押し付けすぎたかもしれん」
出来の悪い息子との認識が不足していたと。
「違うでしょ」
「じゃあなんだ?」
「なんでも自分の思い通りにしようとした結果」
「そうか」
絢佳さんから見ると俺は萎縮し過ぎている、そう見えたようだ。学業最優先は学生ゆえに已む無しとしても、今通っている学校のレベルに付いて行けていない。それがストレスになっている。レベルの違いから友だちも居ないことで、発散することもできない。趣味すら持てない。それがまともな高校生の姿とは思わないと。
「つらい時に縋るものが無いの」
結果、自分を駄目な人間として認識してしまう。
子育てに関心の無い父親だから、子どもが哀れで仕方ないそうだ。
「大祐さんのは子育てじゃなくて促成栽培」
植物に水をやって肥料を与え、あとは知らん顔。しかも過剰に与えている状態で、見事に根腐れを起こしてる。農薬も使って虫が付かないようにしてる。その農薬も過剰に噴霧してるから、薬害を生じてる状態だとも。
挙句、日光に当てず室内で温室栽培。それでどうしてまともに育つのかと。
「翔真君が文句を言わないから、大祐さんは何も気付けなかったの」
言うだけ無駄と諦めてしまっている。
自主的に取り組んでるわけではないから、何も身に付かないし成長もしない。
「率先して取り組める何かを一緒に探してあげたいの」
「分かった。全部任せる。俺が何か口を出すと失敗するってことだ」
「大祐さんは経営のセンスはあっても、子育てのセンスは無いのね」
「仕方ないな。稼がなきゃ食っていけない」
ただ、都度報告はして欲しいと。
親父はそれでいいようだ。
「じゃあ早々に気分転換させたいから」
「まあ、頼む。将来困らないよう上手く導いてやってくれ」
「大祐さんにも、ひとつだけいいところあるの」
「なんだそれは」
少なくとも息子のことを真剣に考えている。やり方は間違っていたが、子どもを大切に思う気持ちはあると。
「褒めてるのか?」
「親権は譲らなかったんでしょ」
「まあな」
「翔真君を愛してる」
照れ臭くなることを言うな、とか、親父が照れてるよ。照れることもあるんだな。
それにしても絢佳さんって、やっぱり大人の女性だ。親父が惚れた理由が分かる。
あの石頭の親父が頭の上がらない相手。すげえな。
ばるんばるんの凄さだけじゃないんだよ。
そっとリビングをあとにしベッドに潜り込んだ。
以降の会話内容は夫婦のプライバシーに関わりそうだし。まあ、一発噛ますんだろう。
俺も、と思うが、絢佳さんから見れば、息子でしかないんだよな。
引っ張ってくれても隣には並び立てない。親父だけか。
朝になり目覚めると昨日よりは気分がいい。
胃の痛みもないし、すっきりした気分だな。それもこれも絢佳さんと旅行ってのがな。
いつ行くんだろ?
着替えて一階の洗面所に行くと、なんでだよ。
キッチンへ向かい絢佳さんに聞く。
「おはよう」
「あ、おはようございます。あの」
「二階は翔真君が優先」
毎回一階の洗面所を使わせて、俺を排除するなと厳しく言ったそうで。
起床してすぐに説教されて、少々機嫌が悪くなっているが、今後少しずつでも改善させるらしい。
無理にしなくても、と思うんだがな。
まあ一階を使ってるなら俺は二階へ行くだけだ。
顔を洗ってダイニングへ行くと、ションベンガキが視界に入る。仏頂面って奴だな。放置してりゃいいんだろうけど、親としては放置は無理か。親父の前で子育てに関して文句を言った手前、自分の子どもにも向き合う必要が出たのだろう。
男子と違って女子は面倒臭そうだけどな。理屈じゃなくて感情だけで動いてるし。
親父もテーブルに着くと朝食になる。
「翔真」
「なんだ?」
「羽目は外すなよ」
「なんだそれ」
寝取るな、ってことか?
「旅行だからって浮かれるなってことだ」
「それなら問題無い」
寝取ってやる、と宣言したいが、絢佳さんに相手にされないよな。まさか襲うわけにもいかないし。
絢佳さんから誘ってくれればなあ。まあ無理なのは理解してる。
子どもと大人だし。絢佳さんにとって俺は息子だからな。息子と情事に耽る母親は居ねえ。
朝食が済むとバッグを背負い玄関先へ。
絢佳さんが見送るが「聞いてたでしょ」と言われてしまう。
「え」
「もう」
バレてんのか。
「今日、学校に連絡しておくからね」
「じゃあ」
「明日出発」
ひぃやっはー!
表には出さないぞ。浮かれるな、と言われたばかりだ。
「あ、じゃ、じゃあいってきます」
「いってらっしゃい」
玄関を出てドアが閉まると思わずスキップだ。足が軽い。こんなの経験に無いな。
実に軽快な足取りで駅に向かえるし、嫌なことも全部忘れられる。
ションベンガキの居ない旅行だ。二人きりってのも最高だし。
電車に乗ってもテンション高いまま。学校に着いてもテンション高いまま。
授業中に先生に注意されたけどな。心ここに在らず状態だったせいで。まあ浮かれ過ぎてた。
放課後に補習と追試はあるが、これも今日で終わりだ。
死んだ魚の目も今日は気にならない。
補習一時間、追試一時間。
終わると速攻で学校をあとにする。
駅に向かうと、とろとろ歩く奴が居るし。さすがに後ろ姿も覚えたぞ。あの下級生だ。
追い越しざまに視線を向けると、やっぱり目が合うんだな。だが、こんな奴はどうでもいい。すぐに前を向きスキップしそうなのを、必死に堪え普通に歩く。
電車に乗るべく駅のホームに立つ。人混みの中、暫し待つと電車が入線し停車すると、乗降客でごった返し流れで車内へ。
ドア側に立ち車窓に視線を向け、明日はどうするかなんて、いろいろ考えを巡らせてみたり。
温泉一緒に入りたいなあ。ばるんばるんを拝みたいし、背中を流し合ってみたい。
絶対不可能だと理解はしているが。
一度くらいはなんて、淡い期待を寄せてみたりする。
だが、妙な希望は抱かない。
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