Sid.5 男の家庭教師の視線が気になる
一度注意されたことは二度繰り返さない。
絢佳さんに気持ち悪がられたら、ばるんばるんに顔を埋める計画が頓挫するからだ。ここは我慢して耐える必要がある。見たい。凄く見たい。揺れ動く至高の頂。
登頂困難にして致死率の高さを誇るアンナプルナ。困難だからこそ頂へと達した際の達成感は、また格別なものとなろう。
それにしても、目を逸らすのもひと苦労だ。
だが耐えろ、俺。関係性の醸成が済むまでは、嫌がられないことも重要だからな。
「翔真君。あの、ね」
困惑する絢佳さんが居る。
「そのね、無理して逸らさなくても」
耐えてる姿が見るに忍びないと言われてしまった。
「見ちゃ駄目、とは言わないから、もう少し自然体でね」
見るなと言って見られず済むならば、世の男性諸氏全てに言いたいらしい。しかし、現実には言っても詮無い話で無理がある。親しい間柄だと思っていて、少々見つめても文句は言わないから、無理に耐えないでと。
優しいなあ。しかも懐の深さも桁違いだ。学校の女子とかションベンガキとか、クソゴミでしかない。比較対象にすらならないな。
それにしても、相当つらそうな表情をしていたのか。
絢佳さんの目を見ればいいんだが、それはそれで照れてくるんだよな。で、視線を下に動かすとアンナプルナが迫りくる。横に視線を移動させると、どうにも不自然さが出てしまうようだ。
さて、我が家には定期的に家庭教師が来る。
学校では放課後に予備校に通わず済むよう、補習授業が多数用意されてはいる。しかしだ、学校は所詮学校。あの内容で最難関校には易々と合格できない。
そもそも理解できない。授業に付いて行けないのだから。
結果、親父の手配した家庭教師が度々訪れる。
「今日は数学かあ」
「家庭教師?」
「そうです」
「普通は予備校に通うと思うけど」
うちは特別だ。金に糸目を付けないからな。
家庭教師が来るまでの間、ダイニングで絢佳さんとお茶を楽しむ。絢佳さんを楽しむのもある。
ドアホンが鳴り家庭教師が来たことを告げられた。
「じゃあ、俺はこれから勉強なんで」
「大変だね。あとでおやつ持って行ってあげるから」
疲れた頭には糖分がいい、とか言ってるし。日頃の食事で間に合うと思うけどな。好意は素直に受け入れておこう。
笑顔、たぶん笑顔で絢佳さんの目を見ながら、お願いしますと言っておいた。
本当は、ばるんばるんを見ていたいのだが、さすがに関係性を壊しかねない。
後ろ髪引かれながら玄関に出迎えに出ると、いつもの男の家庭教師が立っていて「こんばんは。早速だけど今夜は極限をやろうか」と言ってる。
数ある科目の中で一番嫌いなのが数学だ。とにかく面倒臭い。脳みそをフル回転させても理解が容易に及ばないからな。
幸い家庭教師は理解が及ぶまで、何度でも執拗に叩き込もうとしてくれる。学校とは違う。
家に上がり込むと、キッチン越しに絢佳さんが廊下側に顔を出し「よろしくお願いしますね」とか言ってるし。
そんな挨拶は要らんと思う。
家庭教師だが絢佳さんを見て、目を丸くしていたな。ばるんばるんに俺同様、瞬時に目を奪われたか?
俺を見て「あの人は?」と聞かれる。
「新しい母です」
「え、じゃあお父さん再婚?」
「そうです」
「へえ。なんか、いろいろ凄いね」
恐れ入ったか。驚異のばるんばるんの破壊力。
確かに見るな、と言われても無理だろうな。絢佳さんもある程度は諦めてるわけだ。
だが見るな、と俺も言いたい。あれは俺だけのものにしたいとか、妙な独占欲が出てくるんだよ。
実際は親父がひとり、アンナプルナを堪能してるのだが。親父も排除したいぞ。
独占しやがって、俺にも余禄を与えろ。
二階に上がると部屋から出てきたのはションベンガキだ。
それを見た家庭教師が「こんばんは」と声を掛けてる。それに対して会釈するションベンガキが居るな。俺には会釈のひとつもしない癖に。ひたすらシカトしてるし。
まあいい。絢佳さんと比較したら、まじでションベン臭いガキだからな。
部屋に入ると「あの子が妹になる人?」と聞いてくる。
「そうです」
「仲は良いの?」
「悪いです」
「ああ、そうだろうねえ」
あのくらいの年齢だと丁度思春期真っ盛り。他人への反発も強く、ましてや他人でしか無かった俺を、急に兄と認識しろってのは不可能だと。
「まあでも、二年もすれば互いに打ち解けるでしょ」
「そうなんですか?」
「一過性のものだからね」
そうは思わないが、あれと仲良くする気は無いな。一生、俺に関わらないで欲しい。ションベン臭さが伝染しかねない。ああ臭い臭い。
雑談を強制終了させると、授業が始まり頭が痛い時間を過ごす。
最難関校に絶対に合格させる、と誓約した上での高額報酬が約束されてるらしい。そのせいで指導の仕方が尋常じゃないんだよ。
バカに無理やり詰め込むと脳みそ破裂するぞ。
小一時間もやっているとドアがノックされ、絢佳さんが「少し休憩しましょうね」と言って、コーヒーブレイクとなった。
俺と家庭教師共に揃って視線が、ばるんばるんに固定されたと思う。ちょっとだけ微妙な笑顔になった絢佳さんを見て気付いたけど。
絢佳さんが部屋をあとにすると互いにため息が漏れた。
「まあ多くは言わないよ」
「気になりました?」
「少しは。男の本能だからねえ」
揺れ動く物体に視線が吸い寄せられるわけで。
もう少し若ければ堕とそうと必死になったかも、だそうだ。年齢に上限があるのか、二十代後半くらいがいいらしい。
俺は三十代がベストだと思ってる。二十代はまだ世間を知らなすぎて、何でも高望みをするからだ。若さも手伝って相手に求めるものが大きくなりすぎる。
三十代になると現実を理解し、分相応ってのも見えてくる頃だろう。中には勘違いした永遠の少女も居るようだが。気色悪いだけで、そんなのは要らん。勘違いバカは男にも女にも居るけどな。
まああれだ、俺も相手にとって相応しいと思われるよう、努力すべきなんだろう。
己への戒めとして肝に銘じておく。
こっちが思うことは相手も思うってことで。
しかしだ、ハードルは高い。理想の頂は遥か彼方だ。手が届くようで届かない。親父と同格になれば気にするようになるかもしれん。いつになるのやら。
この日の授業が終わり家庭教師が帰り際、玄関先で「これから来るのが少し楽しくなりそうだ」とか言ってるよ。
勘弁してくれ。絢佳さんは俺が独占したいんだよ。見て欲しく無いのが本音。
無理なのは承知してるけどさ。現状、親父専用だし。あのクソオヤジ専用ってのも、なんか腹立たしい。
「じゃあ、また」
そう言って指二本で敬礼するが如く挨拶し、家をあとにする家庭教師だった。
なんか、ちょっと格好付けてないか?
部屋に戻りティーセットをキッチンに持って行く。
リビングには絢佳さんが居て「家庭教師の先生、帰ったの?」と。
「さっき帰りました」
「そう。他に何人居るの?」
「えっと、八科目分だから、あと七人」
「一週間で間に合う?」
土曜日の午後、日曜日の午前と午後に来てもらって、何とかなるレベルだ。
絢佳さんが来た日に関しては、引っ越しもあって授業は無かったが。
「休む暇も無いのね」
「中学の頃からずっとこんな感じです」
「少しは休んだ方が効率いいのに」
まともな頭を持っている人はそうなのだろう。だが俺は残念なことにバカだ。だから死ぬ気で勉強しないと即座に落ち零れてしまい、大学進学も不可能になる。
ああ、そうか。
起業なんて無理難題をやろうとして、学業と両立とか無謀なことを考えたんだっけ。
結局、起業の方は半ば頓挫した形になっているが。
何をするか定まらないし。
「あとね」
うん? これはあれか。
「視線ですよね」
「えっと、あの」
「先生には言っておきます」
「あ、あのね、翔真君が言わなくても」
まあ不快だよな。
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