第6話 壺の中

    つむぎ婆、46歳、昭和37(1962)年のこと


 つむぎ婆を訪ねて施設を訪れると、今日は先客があった。


 めずらしい。誰だろう?


 ロビーの窓際に、車椅子に座ったつむぎ婆の後ろ姿と来客者が見えた。

 来客者は青年だ。


 初対面の挨拶をした。青年は龍太という名のつむぎ婆の孫だった。長男洋一の末の息子だ。今日は洋一の代わりに来たという。

 

 たしか、IT関連の会社に勤めているのではなかったか。


「今日は引越しをする報告に来たんですよ」

 30歳ぐらいだろうか。目元がつむぎ婆に似ている気がする。

 孫との会話を邪魔してはいけない。黙って頷いていると、彼はこちらに顔を向けてきた。


「あんまり、話が通じなくて。ちょっと助けてもらえますか」

ーーもちろんですよ

 施設の職員ですら、つむぎ婆とスムーズな会話は無理だ。たまにしか合わない者には一層難しいだろう。


「引越しすると伝えてください。僕がじゃなくて、親父たちが」

 息子の洋一は、すでに85歳になる。目の前の青年は、ずいぶん遅く生まれた子なのだ。

 引越しといっても、父親が一人で住んでいた家を売り、施設に入るのだという。親子で別の施設に入るのだ。


 つむぎ婆に顔を近づけて、

ーー息子さんが引越しするらしいですよ

と言うと、うなずき返してきた。理解したかは、判断できない。


「壺はあったか?」


 え?と、孫がこちらを振り返った。

「なんのことですか?」

 わからない。


「壺は捨てちゃいかん」


 すると、孫はあー、あれかと声を上げた。


「うちは古い家なんですよ。引越しするのも初めてで。そういえば、引越し荷物の中に、日本酒のとっくりみたいな壺があったな。多分、あれのことだ。親父がおばあちゃんのものだって言ってたから」


「あの壺は、条南(じょうなん)さんから貰った大事なもんじゃ」


ーー条南さん?

 孫と顔を合わせたが、孫も知らないと首を振る。

 

「条南さんは近所にあった神社で知り会った占い師でな」

 つむぎ婆が46歳のときのことだという。

 当時、つむぎ婆は、夫のことで悩んでいた。どうやらよそに女ができたらしく、家に寄り付かなくなったのだ。


 46歳のときといえば、昭和37年。日本の経済が高度成長期に入った頃だ。戦後、町に出て、サラリーマンになったつむぎ婆の夫はモーレツ社員だったのかもしれない。

 夫は、仕事もしたが、遊びもした。


「条南さんは、おれの気持ちをよくわかってくれた」

 離婚したくても、子どももいれば、手に職もない。どうすることもできなくて、悶々と日々を過ごすしかなかったつむぎ婆の話を、条南さんは聞いてくれたのだろう。


「辛いときは、これにぶちまければいいと言って、あの壺を売ってくれたんじゃ」

「買ったんだ」

 孫は呆れたように言う。

「だって、きったない壺なんですよ」


 だが、慰めにはなったのだ。日々、愚痴を壺に吐き出して、少しは気が晴れただろう。その後、つむぎ婆に離婚歴はないはずだから、夫婦仲はおさまったに違いない。


「大事な壺なんだね、捨てないで取っておくよ」

 洋一の家は、龍太の兄妹の誰かがリフォームして暮らすという。それなら、取って置いてもらえるかもしれない。せめて、つむぎ婆が存命のうちは。

 

 ところが、数日後、孫の龍太から連絡が入った。

 彼はなんとも言いようのない暗い声だった。


「例のおばあちゃんの壺。割ってしまったんですよ、引越しの最中に」

 事実は言わないほうがいいだろう。そう思ったとき、彼は続けた。


「それが、中に……」

ーー何か入っていたんですか?

「信じられないんですが、花が咲いてたんです。鮮やかな赤い色の、見たこともない奇妙な形の花が。すぐに、数分のうちに枯れてしまいましたけど」

 彼はそう言ってから、すうっと息を吐いた。

「信じられません。注ぎ口がほんとに小さい壺で光なんか入るはずないし、まして水なんかあげてないのに。それに、おばあちゃんが46歳のときのものなら、62年前のものでしょう? 花が咲きますか、普通」


 奇妙な壺を売ってくれたという条南さん。

 それは何者だったのだろう。

 もう、いまでは知る手立てがない。

 

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108歳 つむぎ婆の怖い話 popurinn @popurinn

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