第5話 転がし地蔵

   つむぎ婆、25歳、昭和16(1941)のこと


 歯が丈夫で、なんでもよく噛んで食べられる人というのは長寿だと、何かで読んだ憶えがあるが、つむぎ婆もその典型かもしれない。


 いつもより遅い時間に訪れると、施設はちょうどおやつの時間だった。


ーーおいしそうですね


 つむぎ婆は、なにやらむしゃむしゃと口を動かしている。


ーー干し柿ですか?」

 つむぎ婆がうなずく。


 昔はどこの山里でも干し柿を作っていただろうから、つむぎ婆には馴染みの味なのだろう。


「そば餅はうまかったなあ」

 つむぎ婆は目を細める。

ーー作ったんですか

 満足そうに、うなずき返す。

「おらはそば餅作りの名人じゃから」


 そば餅というのは、そば粉を使った餅のことらしい。中にあんこを入れて、焼いて食べるそうな。


 25歳になっていたつむぎ婆は、村の若い嫁たちの中でリーダー的な存在だったようだ。

 

「兵隊さんを送るときも、そば餅を焼いてみんなで食べたもんじゃった」

 つむぎ婆が25歳のときといえば、昭和16年。この年の暮には、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入している。村からもたくさんの若者が兵隊となって戦地へ送られていったのだろう。


 4年後の終戦時、村に帰れなかった若者もたくさんいたのではないかと訊くと、つむぎ婆は顔を曇らせた。


「学校の先生になるはずの壮太も、吉野んとこの富夫も、帰らんかった」

 知り合いの名前を出して、つむぎ婆は目を閉じる。


 きっと、この時代、日本中のあらゆるところで、つむぎ婆と同じ悲しみを味わった人たちがいたのだろう。

 想像がつかない。毎日、テレビやネットで外国の戦争のニュースは流れるが、正直、リアルな気持ちで見てはいない。


ーーご主人は戦争に行かれたんですか?

「当たり前じゃ。戦争が始まってすぐ兵隊に取られた」

 即座に返事があった。


 無事、帰ってきたのだろうか。

 ちょっと、聞くのが怖い。


「誰にも言えんけどな」


 つむぎ婆が、声をひそめた。


「おらんとこの洋太郎さんが生きて帰ってこられたんは、地蔵さまのおかげや」

 

 なるほど。村にある地蔵に願掛けでもしたのだろう。よくある話だが、生きて帰ってきたと聞けて少し安心する。


 だが、つむぎ婆の語る話はもっと恐ろしかった。


「村のはずれの街道沿いにな、転がし地蔵というのがおってな。ほかのお地蔵さんは、ちゃんと並べられておるんやが、一体だけが道に転がされておってな」

 誰かの無事を祈るとき、その地蔵に打擲を加えて、代わりに苦しんでもらうのだという。


「おらは、おとうに死なれるわけにはいかんかった。もう、子どもが二人、その上、お腹の中に三人目がおった。お地蔵さんにはかわいそうなことをしたが」


ーー何をしたんですか?


「火をつけてな、真っ赤に焼いて、それから川へ抱いていき、大きな石にぶつけて粉々にした」


 南無阿弥陀仏(なんまいだ)。


 つむぎ婆の唇が、そう動いた。

 


 



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