第4話 山童(やまわろ)
大正5年、1916年に生まれたつむぎ婆は今年108歳になり、その長い人生で、世の中の大きな変化を直に体験している。
そもそも、1916年、世界は第一次世界大戦という、前代未聞の総力戦の真っ只中だった。
つむぎ婆は、二つの大きな戦争や戦後の混迷期、高度成長期を経て、経済大国として日本が世界に認められた時期も見てきた。大正、昭和、平成、令和と変わる時代を生き抜き、20世紀を駆け抜けて、今、21世紀を迎えている。
世の中の流れは、日本の山村で畑仕事をしながら子どもを育て、その後、町に居を変え生きたつむぎ婆にとって、遠い場所の出来事でしかなかったが、時代の変化は、つむぎ婆の暮らしのそこかしこに影を落としている。
つむぎ婆、19歳、昭和10(1935)年のこと
ーーつむぎ婆は生き字引だな
そう思いながら、施設を訪ねると、つむぎ婆はロビーにいなかった。職員によれば、昼寝の最中だという。
起こしては悪いから、帰ろうとしたとき、
「おばあさんが呼んでますよ」
と、職員が声をかけてくれた。
つむぎ婆も、僕の訪問を楽しみにしてくれているようだ。
ーーよく眠れましたか?
ベッドに横たわるつむぎ婆は、まだ夢の中にいるのか、目を閉じたまま何やら呟いている。
「行こうよ、行こうよ、スクラム組んで~」
歌を歌っているようだ。
「心ほがらか、ハイキング~」
曲調といい歌詞といい、ずいぶん古い歌かもしれない。
ラジオから流れてきた曲なのだろう。資料によると、昭和10年、ラジオ契約者が200万人を突破している。
楽しそうなので、そのまま聞いていることにした。つむぎ婆の話し相手になるために訪問しているが、たまにはただ顔を見るだけでもいい。
「そこは、入っちゃいかん!」
寝言かと思ったが、カッと目を見開いたつむぎ婆の意識ははっきりしているようだ。
「山童(やまわろ)は、油断すると、すぐに風呂釜の中に入る」
妖怪の名前だろうと、すぐにわかった。どこかで聞いた記憶がある。
「子どもだが、見た目はすごいぞ。毛むくじゃらで、目なんか、三つある」
ーー悪者ですか?
「悪もんじゃあない」
つむぎ婆は、かかかと笑い声を上げた。
「さびしくなると、いたずらをしに、里へ降りてくるだけなんじゃ。いたずらといっても、風呂釜に入ったり、牛や馬を脅かしたりするだけじゃ」
「山童は斧や鉈が嫌いじゃから、見つけると、斧を持って追いかけた。逃げ足が速くてな。追い掛け回して、家中ドッタンバッタン」
よほどおかしいのだろう。肩を揺すって笑う。
皺くちゃな顔がかわいかった。栗きんとんをつまんだみたいに見える。
昭和のはじめ、山の奥には、まだ妖怪がいたのかもしれない。
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