第3話 七歳 猫のたたり
つむぎ婆、7歳、大正12年(1923年)のこと
施設を訪ねると、つむぎ婆は今日もロビーにいた。
車椅子に座って、膝になにやら大きなポスターを広げている。
ーー何を見ているんですか?
つむぎ婆はおだやかな顔をこちらに向けた。
「かわいいなあ」
膝の上のポスターは、猫の写真だった。三毛猫だ。
ーー猫がすきなんですね
つむぎ婆は、こっくりとうなずく。
「みっちゃんが猫を連れてきたとき、嬉しくってなあ」
ーーみっちゃん? 村のお友達ですか?
「東京から逃げてきた」
ーー逃げてきた?
「家が焼けてしまって、一家でうちに暮らしとった。みっちゃんのおじいが、もともと村の人じゃったから」
つむぎ婆が7歳のときだという。
7歳というと、大正12年。東京で大きな地震があった年だ。
ーーみっちゃんの家は、関東大震災で被災したんですね
「地震の話は怖かったな。みっちゃんは話さんかったが、大人たちが話しているのを聞いた」
未曾有の大災害だったのだ。この災害での死者数は、十万人を超えていると何かで読んだおぼえがある。
東京の下町に家を構えていたみっちゃん一家は、すべてを失ったが、幸運にも命だけは助かったという。
「ゴーッと地響きがしたと思うと、地面が波打ったらしい。あっという間に家は崩れて、火が上がって」
つむぎ婆は、おそろしそうに顔を歪める。
「みっちゃんは猫が大好きでな」
つむぎ婆は、ふたたびおだやかな表情になった。
「かわいい猫じゃった。三毛猫で、名前はチロ。みっちゃんはいつもチロを抱いておった。ちょっとでも姿が見えんようになると、探しに行ってさ。おれも何度もいっしょに、チロを探して山を歩いた」
ーーチロはみっちゃんにとって、大切な存在だったんですね
「命の恩人じゃから」
大きな揺れが来る前、チロが一目散に庭に飛び出して、あとを追ったみんなが助かったという。
「だがなあ、チロは村に来てからしばらくして死んでしまってなあ」
ーー病気かなんかですか?
つむぎ婆は首を振った。
「ある日、チロがうちの裏山で死んどるんを、みっちゃんが見つけた。なんか悪いもんでも食べたんじゃろ。口から黄色い汁を吐き出しとった。餌を十分にやれんかったから」
食べ物の乏しい山の中だ。増えた人間の食い扶持で精一杯だったのだろう。猫にまで十分な食事を与える余裕はなかったのかもしれない。
現代と違って、昔はペットに、人間の食べ残しを与えていたというから。
「猫はかわいいが」
そう言ってから、つむぎ婆は、眉をひそめた。
「たたりは怖い」
ーーたたり?
「チロが死んでからな、奇妙な事が起こって」
村に住む嫁入り前の娘が、チロが死んでから、おかしくなったという。
「きれいな娘じゃったが、妙なしぐさをするようになってな。猫が顔を洗うみたいに、手の拳を丸めて顔を撫でるようになったんじゃ」
ーーのりうつった?
「そう言われて、結婚は破談になるし、娘の家は気味悪がられて村八分になった」
ありそうなことだ。そもそも、東京から戻ってきたという一家への反感が、関係のない娘の家に及んだのかもしれない。村人は不満のはけ口を探していたのかもしれない。
「娘はますますおかしくなって、とうとう……」
村の川に飛び込んで死んでしまったという。
「それからじゃな、たたりが起きるようになったのは」
村では凶作が続き、山崩れが起きた。みっちゃん一家が、どうにか暮らしを立て直して町へ戻ってから、たたりはおさまったという。
「猫は、かわいいが恐ろしいもんじゃ」
つむぎ婆が呟いたとき、介護職員が食事の時間だと告げに来た。
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