第2話 二十二歳 かがみさん

 つむぎ婆、二十二歳、昭和14年(1939年)のこと


ーーおばあさん、今日はお元気そうですね


 つむぎ婆はにっこり笑う。

 

 今日は天気がいい。

 施設の窓から、澄んだ青い空が見える。


「おい、洋一」


 突然呼ばれて、戸惑った。


ーー僕は洋一って名前じゃありませんよ


 誰かと間違えたのだろう。

 困ったように、こちらを見つめる。


ーー誰ですか、洋一さんというのは


「泣くな!」


 目の前にいるのが洋一ではないと、まだ理解できないようだ。

 繰り返し正すのはためらわれて、そのまま話を続ける。


「男の子が喧嘩で負けたからといって、泣くもんじゃない」


 どうやら、洋一というのは少年だろう。


ーー息子さんですか?

 至極当然といった表情でうなずき、つむぎ婆はふうとため息をつく。


「根性のない子や。そんなことではお国のためにならんぞ」

 昭和14年といえば、戦争の影が忍び寄ってきている頃だ。資料によれば、この年、政府は街頭や家庭からの鉄製不急品回収を決定している。

 二十二歳だった、つむぎ婆。どんな毎日を送っていたのだろう。


ーーおばあさんは、隣村に嫁いでいたんですよね?

 つむぎ婆がうなずき、口を尖らせる。


「姑が根性もんで、厳しゅうてな。こっちは子どもは五人、毎日寝る間もないくらい忙しいのにな、畑仕事のほかに、町へ薪を売りにいかされた」

 つむぎ婆の手は、百歳を過ぎているとは思えないほど、頑丈そうで大きい。


「そういやあ」


 ふと、つむぎ婆は、顔を上げた。


「町で不思議なことがあった。薪を売り終えて、村へ帰ろうとしたとき、箕輪の奥さんに会った」


ーー誰ですか、それは。


「箕輪の奥さんは、村の庄屋んところの若奥さんで、お雛様みたいなきれいな顔のお人じゃったが」

 つむぎ婆は、首を傾げる。

「町にできたばかりの映画館があってな、そこへ入っていくのを見たんじゃが、村に戻ってみると、庄屋の前で花の手入れをしておる若奥さんがおった」


ーー同じ人が別々の場所にいたってことですか?


 つむぎ婆は、少しばかり体を前のめりにして、続けた。

「あれは、かがみさんじゃろと、思う」


ーーかがみさん?


「一人の人間が、別々の場所で同時に現れるんを、村では、かがみさんと言うた。多分、町で見たのは、若奥さんのかがみさんだったんじゃろ」


ーー見間違いでは?

 すると、つむぎ婆は、怖い顔で睨み返してきた。


「かがみさんは、生霊やぞ。見たもんは口外はならんと言われておる。聞いた者は……」


 ぞくりとした。

 生霊の話を聞いてしまったらどうなるのだろう。


 尋ねたかったが、つむぎ婆は、もう口を開かなかった。






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