第3話

武藤みどりはその夜なかなか寝られなかった。考えれば考えるほど背筋が冷たく震えて来た。

 「だけど、なぜ・・・この感覚は、何・・・?」

  でも・・・その女の人は何処となく・・・異様な印象をみどりに与えた。

 (何が・・・?手を差し伸べても触れない感覚、それでいてじっと見ていると心が和んで来る・・・)

 みどりには判然とせず、自分の気持ちをうまく説明出来なかった。

白い着物を着た女の人の名は、きくと名乗った。今はもう彼女だけしか住んでいないようだった。条太郎が得たことからもある程度分かるが、それも単に噂としてである。

真実を知りたい、とみどりは思った。それに、

(あの人・・・確かに、誰かに似ている?)

彼女の脳裏からこの感覚が、なぜか消え去らなかったのである。それに、もう一つ気になっていたのは、殺された若者の捜査の方も進展があったのか、刀根警部補に聞いて見たかったのである。


 武藤みどりは、今度は一人で小峰きく女を訪ねた。

 「今日はお一人・・・どうしたのですか?でも、よくおいで下さったわね。さあどうぞ」

 と、いって、みどりを中に入れてくれた。

 小峰の武家屋敷は二百年以上前のものだが、不思議なことに支柱や縁側の床は重々しく黒い輝きを呈していた。広い庭もかなり手入れされているように見え、その時期ということもあり、躑躅や山茶花が眩しい輝きを呈していた。もう庭には散った花弁はきれいに掃き清められていた。しかし・・・みどりは首を傾げた。躑躅と山茶花・・・開花時期は同じなのかな・・・ふっと、こんな疑問をみどりは抱いた。これに、この広い庭、

(誰が掃除をしたんだろう?)こんな疑問も突然沸いたが、突き詰める気はしなかった。

 「やっぱり、きれいな庭なんですね」

 武藤みどりは縁側に座り、正座した。

 「そうですか。喜んでいただいて、良かったです」

 きく女の眼は正座をしている少女を見て、嬉しそうな顔をした。

 「大丈夫ですか?近頃の若い人は、なかなか正座をしたがらないようですね。子供たちに叱ったものです」

 みどりは傍に来たきく女を見上げた。

 「えへっ」

 みどりは笑った。褒められて、嬉しいのである。

 「家のじいちゃんが、そういうの、結構厳しいんですよ」

 「そうですか、会って見たいですね」

 「何時の日か、連れて来ますよ。いいですか?」

 「はい、いいですよ、ぜひ・・・」

 みどりは聞いて見たいことがあったので、きく女を鋭い眼で見つめ、

 「お子さんは・・・」

 と聞いた。

 きく女は一瞬陰鬱な表情をし、じっと庭に眼をやったまま黙っていた。そして、

 「男の子ばかり四人いました。でも、とうの昔に亡くなりました。四人とも立派な武士として成長し、この国峰城の近くで亡くなりました。はい、立派な子たちでした」

 きく女の眼は潤んでいた。涙こそ流れていなかったが、その顔には満足感が漂っていた。きく女の肌は透き通るように清らかで美しかったのも、みどりには受け入れ難いことのように思えた。そうかといって、何が・・・どうなのか・・・みどりには今の所判然としていない。

 小峰の屋敷の中には川が流れて来ていた。

 「何処から・・・何という川なのですか?」

 「私どもが生まれ育ったのは国峰の城下です。でも、ここは上田です。紅川という小さな川ですが、千曲川の支流です。今は細い流れですが、支流ということもあり、雨が降ればかなり増水して、屋敷の中が大変なことのなったこともあります」

 小峰きくは眼を細め、笑みを浮かべたのだが、何処となく冷たい感じのする表情に見えた。

 みどりは首を傾げ、

 「・・・」

 言葉に出来ない怖気を感じた。

 (どうしたんだろう?)

 みどりは寒気がした。

 「あれは?」

 みどりは欄間の薙刀に眼を移した。

 「薙刀です」

 「本物ですか?」

 きく女は一瞬言葉を飲み込み、

 「木刀です・・・」

 と、首を振った。

 「扱われますか?」

 「昔はともかく・・・今は、もう・・・歳も歳ですから・・・」

 言葉少なに、きく女は答えた。

 信州上田の冬は早いが、今は八月の真ん中である。だけど、もうひんやりと感じることもある。もうすぐ冷ややかな風が日々感じる筈である。

 「きくさん」

 みどりは思い切って、訪ねて見た。

 「上田の町に出たことは・・・」

 すると、

 「ほほっ」

 と、声をあげて、笑った。

 きく女は首を振り、

 「私の生きた時代とは違いますね。歩くことなんか出来ませんよ」

 きく女は笑みを浮かべた。

 (生きた時代・・・?)

 「そうですか・・・でも、きくさん、行きましょう。私と・・・今から、上田の街中に・・・」

 きく女は躊躇していたが、みどりの誘いを受け、

 「はい、それでは・・・行きましょうかね」

 きく女は久し振りの上田の町に出たようだ。みどりには、彼女の戸惑う様子を見て、

 「何時ごろですか?何年前・・・」 

 みどりときく女は上田の街中を歩いた。

 「さあ・・・何だか、ずっと昔だったような気がしますね、みどりさん」

 きく女がこの時代の人ではないことは、みどりには分かっていた。それは、あえて言葉には出さずにいた。条太郎の話からも、きく女が何らかの事情によりこの時代の現れ出てしまったのだ。その事情は、きく女にもみどりにも分からないことだった。

ゆっくりと町の様子を確かめながら、いくらか興味をあるのかも知れないが、時々眼を輝かせた。そして、JR上田駅前に来ると、みどりに、

 「あれは、何?」

 と、聞いたりしていた。

 「あれは、マクドナルドといってファーストフードの店・・・」

 みどりにはきく女にどう説明していいのか、戸惑っていた。

「珍しい食べ物ですよ」

 と、みどりはいった。

 「美味しいですか?」

 「きくさん、食べてみます」

首を振った。食べてみたいという興味さえわかないように見えた。

 みどりは、何を・・・と、思った。これといってきく女の口にあうメニューは思いつかなかったので、

 「じゃ、ちょっとした食べ物を・・・」

 といい、きく女を店の外で待たせておいて、店の中に入り、しばらくして戻って来た。

 「これを、どうぞ」

 「これは・・・何ですの?」

 「フライドポテトです。ジャガイモを細かく切り、油で揚げたものです。うまいかどうか

は別にして、一口だけでも食べてみてください」

 みどりはMサイズを一つだけ買った。きく女に一つ取り、渡した。

きく女は渡されたフライドポテトを持ち、ゆつくりと口に入れた。

「変な味ですね」

そうなのかも知れない。みどりはそう思った。じいちゃんも、そんなことを言っていたのを

みどりは思い出した。

 みどりは条太郎から聞いていたことがある。それは、きく女の夫である小峰信定はもと国峰城城主であるらしい。信定は老いて長男に城を譲り、引退した。今の群馬県甘楽町にあった国峰城近くの城下にあった武家屋敷で夫婦そろって余生を過ごすように、長男は説得したが聞き入れられず、遠く離れた上州上田城の城下に住むことにした。その理由は分からない。

 「でも、ここは・・・上州よ。住まいの館からは上田城の城壁が見える。」

 みどりはこの疑問に答えを見つけ出せなかった。一層、きく女に聞いて見ようか・・・と、思ったりもしたが、きく女にさえ分からないのではないのか、と想像した。今も、条太郎が調べてくれているが、みどりには手に負えない事柄のように思えた。

 時々条太郎はみどりに言うことがあった。

 「この世の中にはなぁ・・・理屈に合わない出来事や現象が起こることがあるんじゃ」

 みどりは今このじいちゃんの言葉を思い浮かべていた。


 それから、しばらく上田の町をきく女と一緒に散策した後、上田の武家屋敷に戻った。

「ありがとうございました。とても楽しかったです」

 別れ際、

 「また来て下さいますか?」

 きく女はやさしい眼で、みどりを見て微笑んだ。

 「ええ・・・おじいちゃんと・・・」

 みとりは素直にうなずいた。この時、みどりの胸は一瞬だか激しく時めいた。

 (お母さん・・・)

 みどりは激しく首を振ったのだが、このときめきはこの先ずっと消えることはなかった。そう、きく女との死闘の最中にさえ消えなくて、動揺のまま結末を迎えるのである。

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