第2話

その時、

 「誰ですか?」

 女の声が聞こえ、みどりと真理はびっくりし顔を見合わせた。

 二人そろって、その声のした方を振り返ると、白く濁りのない着物を着た美しい女の人が立っていた。見た処、みどりには、その女の人が三十を少し過ぎたくらいに見えた。そして、なんだか懐かしい女性に会った気分になった。

 「あっ!」

 みどりは一瞬大きな声を張り上げた。

 (似ている・・・誰かに?)

 みどりは誰に似ているのか、はっきりと思い浮かべることが出来なかったのだが、何だかほっとした気分になった。

 その女性はみどりと真理をゆったりとした目で見つめ、微笑んだ。

 白地の着物には空に向かう何羽かの白鳥が描かれていた。

 みどりと真理は、すぐにその武家屋敷に忍び込んだことを詫びた。

 「誰も住んでいないと思ったもので・・・」

 真理がわびた。

 「すいません。私、武藤みどりといいます。この子は私の友達で真理・・・香川真理といいます。本当にごめんなさい」

と、頭を下げた。」

 真理は怖さ半分と興味半分でわくわくしているのか、呆然としている。

 「いいんですよ。こんなに可愛いお客様は久し振りですね。どうぞ、こちらにお上がりください」

 その女の人は縁側に座り、こっちに来るように促した。

 二人は顔を見合わせ、互いに頷いた。

 二日前の風雨がなかったら、武家屋敷の中は庭もきれいにされていて、今は躑躅や山茶花などの花卉も満開であった。しかし、躑躅や山茶花のいくつもの花弁や木の枝が庭に散らばっていた、少し前までは。

 二人は顔を見あわせ

 (おかしいわね・・・)

 と、思った。

確かに、少し前に眼にした情景とは違っていた。躑躅や山茶花の花弁も散り、庭の草木も折れ曲がったり倒れたりしていたのが、なぜか躑躅の花弁はピンク色に輝き、山茶花は咲き誇り、庭の草木も青青とした気持ちいい色を呈していた。真理はみどりの腕をつかんだ。

 恐る恐る二人は案内され、そのまま座敷に上がり込んだ。

 「どうぞ、ここにお座り下さい」

 女の言葉に、みどりは頭を下げた。

 女の人の肌は透き通るように美しかった。その眼はどこか悲しげではあったけれど、今の世に女性に見られない美貌が感じ取れた。

 「ねえ」

 真理はみどりの脇腹をつついた。真理も同じように感じ取っているのだろう。みどりは少し頷いた。

 「この屋敷には私以外誰もいないのですよ。私・・・その昔に夫を亡くし、一人なってしまったのですから・・・」

 というと、飲み物をお持ちしますから・・・といって、女の人は奥に引き下がって行った。

みどりは軽く吐息をついた。言い知れない緊張感が、彼女に襲い掛かっていた。ふっと欄間を見ると、薙刀が立て掛けてあった。

 「薙刀の木刀・・・?」

 みどりは最初その印象を受けた。しかし、すぐに、

 (違う!)

 と、みどりは思った。

 真理はみどりが見ている方に眼を向けたが、興味がないのか、すぐに目を逸らした。

しばらくすると、彼女は戻って来て、漆で黒光りした盆には二つのコップには茶が入っていて、コップに雫が浮いていた。冷たいお茶なのが見て取れた。この間、二人は立って大きな庭を見て、大きな吐息を何度もついた。

 「みどり、変ね!」

 「そうだよね。ちょっと目を逸らしただけなのにね」

 「さあ、立っていないで、ここに座って、冷たいお茶を飲んで下さい」

 二人は顔を見合わせ、互いに頷き、座敷机の前に座った。最初にコップを手に取り飲んだのは、真理だった。

 「みどり、冷たくて、美味しい」

 みどりも飲んだが、目の前に女の人が気になり、眼を離さなかった。

 (誰だろう・・・誰かに似ているような気がするんだけど・・・まさか、お母さん?)

 みどりの母は、みどりが二歳の時に死んでいた。彼女には写真以外に母の顔を知らない。


 一昨日は季節外れの大嵐が一日中吹き荒れた。みどりが香川真理と一緒に武家屋敷に忍び込んだのは二日後なのである。

 次の日は嘘みたいに晴れ、真っ青な空が上田の空に見えた。

みどりは気になり一人でその武家屋敷に行って見ると、パトカーが何台も止まっていた。

 「どういたのかな?」

 何時も締まっている長屋門が空いていた。みどりが近付いて行くと、その武家屋敷の中に多くの警察官が入って行くのが確認出来た。そこには、顔なじみになった刀根尚子警部補がいた。

 「刀根さん、何かあったのですか?」

 「あら、みどりさん」

 聞いて見ると、二十代の男の死体が庭の池に流れ着いたらしい。

 その前日、大雨が降り、この中も水量が増し、大変だったようだ。

 「昨日、ここの庭の池に若い男の死体が浮いていたの。それで捜査をしているんだけどね」

 「ふうぅん。それで、何か分かりました?」

 この時点で、みどりはそれ程興味がないらしかった。

 「ここには、誰かが住んでいるのですか?」

 みどりは訊いた。

 「小峰きくという女の人が一人で住んでいるのよ」

 刀根警部補は説明した。

 「えっ、人が住んでいるのですか。だって、ここ・・・白い着物を着た女の人の幽霊が出るって噂があるの、知っています?」

 「まさか。みとりさん、信じているんじゃないわね」

 みどりは返事をしなかった。みどりはもっと話を聞きたかったのだが、捜査の邪魔をしてはいけないとおもい、そのまま帰った。

  

 その夜、夜の食事終えると、じいちゃんが、

 「みどり、話しがある。余り詳しくは分からないが、渡ったことだけ話す」

 条太郎は茶を飲みながら話し出した。その武家屋敷で刀根警部補と会ったことは言わなかった。もちろん、若い男の遺体が池に流れ着いたことも言わなかった。明日はみどりは香川真理と武家屋敷に行くつもりだった。

 「国峰城主・小峰信定の住まいだったようだ。夫婦して余生をすごしたということだ。それ以上の詳しいことは分からなかった。ずっと向かいの話だ。だから、その信定も夫人であるきく女ももうとっくに亡くなっていると思っていい。ただ、可笑しな噂が以前から立っていて、誰かは分からないが人が住んでいる気配がいつもする、というのだ。それを確かめて人は誰ひとりとしていないと聞いた。あっ、そうだ。これを忘れてはいけないな。そんなに古い話ではないのだが、そこで人が死んだという噂が立ったらしい。なぜだか分からないのだが、とにかく・・・人が死んだんだ」

 みどりには条太郎の言っていることがよく理解できなかった。夢の話を聞かされている感じだった。

 「誰かは分からないけど、人が死んだのは間違いないのね」

 「そうだ。しかし、それ以上は確かめる術はないんだ。第一、誰もそこに入っていないんだからな。噂では人が住んでいて、そして噂では人が死んだ・・・どういうことなのか?じいちゃんにもよく分からないな。その内にいろいろな事実が分かって来るだろうが・・・」

 (事実ねえ・・・まだ分からないが・・・)

 事実なんて・・・ないことが起こっているのかもしれない。 

 武藤条太郎は孫のみどりを見て、

 (この子はまた余計なことに首を突っ込む気なのかもしれないな)

 こんな不安に襲われたのだが、まあ、仕方がないな、と内心諦めている。代々続いている武藤の家系は、ここでおわるのか・・・こんな不安に時々駆られることが条太郎にはあった。みどりの母はごく普通の男と一緒になり、死んでしまった。残してくれたのが、この子、みどりであった。昔なら、それ相応の武士を許嫁に選ぶのだが、今の時代は・・・みどりはまだ十歳だから、とてもその話を進められない。

 (そうだ、あの人なら・・・)

 と、ふっと思うのだが、今ごろ日本のどの辺りを旅しているのか・・・また、上田に来てくれるといいのだが・・・と思う条太郎だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る