第1詞 【彷徨ひ真珠星】
某年5月中旬の土曜日。商店街の人の気配のない裏道にある、古びたビルの屋上へと続く、関係者以外立ち入り禁止となっている非常階段。私が最近見つけた、誰にも邪魔されない、絶好の楽曲製作場所。あぐらをかいて座り込み、ケースからギターを取り出す。
歌詞を口ずさんでギターを弾いては、おんぼろのノートにペンで音階を書き入れていく。
「有紗ちゃん今日も曲作りかい?精が出るねぇ!」
下の方から声が聞こえたので階段の上から覗いてみると、商店街で八百屋を営んでいる森口のじいちゃんが段ボールを抱えて手をこちらに振っていた。
「そう!でも、今日はもう終わりにするとこ!日が暮れてきたし!」
声を張り上げて答える。
「おお!気ぃつけて帰れよ~!叔父さんによろしくなぁ!」
「はぁ~い!」
腕時計を見て、門限の時間が迫っていることに気づく。荷物を雑にまとめて、錆び付いた金属製の階段を音を立てて少し乱暴に降りる。
駆け足で裏路地を抜けて、表通りを進んでいく。十分も経たない内に着いたのは、「楽器修理店"カフカ"」。私は今、ここの二階にある店主宅に住まわせてもらっている。一階のお店の入り口の扉を開けて、中に入いる。
「ただいま帰りました~」
「「お帰りなさい」」
店主とその奥さんは、店の奥で道具の手入れをしていた。
「これ、頼まれてた特売の卵です」
ここの店主は私の父方の叔父で、数ヵ月前から居候……匿ってもらっている。叔父さんとその奥さんとの、三人暮らしだ。
「ありがとう。冷蔵庫にいれておいてもらえるかな?」
「わかりました」
二階に上がって、冷蔵庫に卵のパックを放り込む。手を洗って、自分の部屋に向かう。ドアを開けると、ほのかに埃っぽくて少し咳き込んでしまう。
「……窓開けて換気しよ」
この部屋は元は叔父さんたちの娘さんが使っていた部屋だった。私が使うまで、五年以上は掃除もされていなかったらしいから、埃っぽさが残るのも仕方がない。
部屋の明かりをつけて、部屋の半分を占領しているベッドに荷物を投げ入れ、ギターの入ったケースをそっと勉強机の横に立て掛ける。時計を見ると、六時を過ぎようとしていた。
「有紗ちゃん!ちょっとお夕飯の手伝いしてもらえないかしら?」
下の階から奥さんの声が聞こえた。
「はい!今行きます!」
お夕飯の時間、話題は近所の人の息子さんの部活についてになった。
「バレー部だったか?運動部は送迎とか大変だろうなあ」
「有紗ちゃんは無所属なのよね?」
「はい。居候させてもらっている手前、タダ飯食ってるだけじゃ申し訳ないですし、部活より、趣味に時間を割いていたいので」
私は平日の放課後、叔父さんの店の手伝いをさせてもらっている。正式なアルバイトではないが、叔父さんはアルバイトの賃金と同等の金額を私に手渡してくれる。本当に、ありがたいことだ。
「ごちそうさまでした」
「有紗、僕はまだ仕事が残っているから、先お風呂入っておいで」
「わかりました」
お辞儀をして、自室から部屋着を取ってきて、そのままお風呂に入る。
上がった頃には、時刻は八時を過ぎていた。
自分の部屋に戻って、曲作りの仕上げをする。部屋に、ギターとペンの走る音だけが響く。
事前に掛けておいていたアラームが鳴って、我に返る。腕時計を見ると、もう十一時を過ぎていた。
「やばい!遅れる!」
慌てて黒い猫耳の着いたパーカーを羽織る。ギターをケースにいれて、ファスナーを閉めて背負う。荷物を雑にいれたトートバックを抱えて、階段を凄い勢いで駆け降りていく。
「叔父さん!一時半には帰ります!」
家を飛び出す。昼間にも夜中にも誰も利用しない公園を目指して、全力で走る。
運動を普段あまりしないからか、着いた頃には息が切れっぱなしだった。
少しずつ呼吸を整えながら、ベンチにミニ三脚を立てて、スマホを取り付ける。パーカーのフードを深く被る。
ギターをケースから取り出して、弾く体勢をとる。星の瞬く夜空を見上げ、目を閉じる。開ける。自分の視界から、モヤが消えていくのがわかる。
――「私」を見て。
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