Melted - 天に捧ぐ君讃歌

萩野 郁 (はぎのいく)

プロローグ 【淡宵の君】

 肩から落ちかけたケースを背負い直す。少し格好つけて買ってみた黒のショートブーツの音を鳴らして歩きながら人で溢れかえる街中を進んでいく。

 目眩のしそうな高いビルたちを見上げてみると、大きな広告モニターが目に入った。

「あ!うちこの曲知ってる!この人たちのって毎回バズるよね!」

「それな!ガチ共感できる!!○○と△△のユニットだよね確か!……あれ?なんて名前だっけユニット名?」

「ユニット名?忘れたの?あれは――」

 女子高生らがモニターを見ながら話し込んでいる。

 モニターに写っていた人物は――私と、ある男だった。

 ポケットからスマホを取り出す。パスワードを打ち込んで、ホーム画面を開く。背景の画像を見る。

 それは私と、ある少女のツーショット写真だ。4年前に設定してから、一度も変えていない。写真に写る少女の色褪せることのない笑顔を見て、古傷を抉られる。

 都会の街の歩道の真ん中で、歩いていた足を止めて、雲ひとつない空を見上げる。

 失ってしまった感情を取り戻させてくれたのも、一度も得られないと思っていた愛情を与えてくれたのも、未来を生きたいと思わせてくれたのも「君」だった。

 虚空に手を伸ばそうとして、自分に向けられた人の目に気づいた。そうだ、私はもうただの一般人ではなくなりつつある。そう思い、上着のフードを深く被り直して逃げるように歩みを進める。

 届くことはないとわかっていながら、心の中で空に語りかけてみてしまう。

 ――ねえ、聞こえてるかな?私の歌が、曲が、あいつとの曲が、今や全世界で聴かれているよ。……宇宙までこの声が、曲たちが、届けばいいのに。そうしたら、きっと君は「私達」の元に顔を見せてくれるだろうに。


――ねえ、私、今でも「貴女」のことを想ってる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る