第4話

話は前後するが、この事件が起こる一か月ほど前のことである。


五月裕の屋敷は諏訪神社の登り口にあり、その辺りでは名家で通っている。元々は鳥取の米子市日野の豪族の出であるようだ。それが何らかの理由により、智頭に移り住んだようだ。数百年前のことで、何らかの争いに敗れた・・・追われ・・・ということがいわれているが、その真相は定かではない。余りにも時が立ち過ぎている。


 五月裕の背は高くなく、少し細めの体をしている。背筋を伸ばし、歩く姿は気品があり、黒く長い髪はか細い肩を覆っている。整った顔立ちは生まれ持った美しさなのか、裕自身の振る舞いも清純さが漂い、自然の艶やかさが全身から醸し出されていた。

 元々五月家は智頭の者ではなく、智頭から西をいった米子市日野町にいた。その詳しいことは、裕には分からなかった。なぜかというと、裕が生まれたのは日野町の病院ではなく、智頭町であったからである。

 何でも、その昔は三つか四つの郷の中から美しい采女を侍女として天皇・・・差し出された、つまり帝に仕えていたらしい。しかも、その采女は帝さえも手を付けることができなかったという。

裕は、このことを祖母の久美から聞いていた。自分から聞いたのではない。八歳の時に、その日は六月のじめじめした雨が降っていて、家にいても何もやることがなかったので、一人、縁側で庭を眺めていると、

「お前は知らないだろうけど、五月の家はここ智頭から三十キロばかり西に行った日野の郷の出身なんだよ」

祖母の久美はゆっくりと話し始めた。いつものことである。裕は、また始まったのね・・・というが、久美祖母の話は話し上手で聞いていて、心地よい気分になり眠ってしまうこともある。

今日のこの日は、この五月の家にお客様があった。年老いた男の人で、九谷為也といった。そして、この老人の足元には非常に毛並みの美しい黒猫が付いて来ていた。

「あら、黒猫さん。あなた、きれいな顔をしていますね。あなた様の飼い猫ですか?」

「そうです。でも、この子はわがままで、なかなか私の言うことを聞いてくれないこともあります」

「あら、そうですか」

久美祖母は黒猫に手招きをした。すると、この黒猫・・・ビビなのであるが、素直にこの誘いに応じたのである。

「こら、こら」

といい、為也は、

「ははっ、気に入ったんだな、このご婦人を・・・」

 この年老いた男は黒猫を抱き、久美祖母の膝の上に下ろしたのである。


「あらっ、黒猫ちゃん!」

五月裕はじっとこっちを見ている黒猫に気付いた。実を言うと、ビビとここ智頭で知り合ったのである。だが、まだ名前は知らない。

「黒猫ちゃん、こっちにいらっしゃい。名前は何て言うの?」

「ビビです」

為也はいった。

その黒猫は人間の言葉を理解できるらしく、この少女に近付いて行った。

「いい子だね。さあ、おいで・・・」

裕は黒猫を抱き上げた。

「久美おばあ様、この猫ちゃん、とってもきれいな毛並みをしているよ」

「そのようだね」

ビビは五月久美の膝に乗っただけだったが、ビビの毛並みが滑らかなのが分かったようだ。

「さあ、きれいな黒猫ちゃん、今度は、こっちにおいで!」

すると、ビビは裕の手を離れ、ゆっくりと久美祖母に近付いて行った。

驚いたのは、裕である。

「久美おばあ様!」

久美祖母は近くに来たビビを抱き上げた。そして、

「裕、おいで。触ってごらん。とてもなめらかで光り輝いているよ」

裕もその黒猫が気に入ったのか、背中に触ると、

「本当だ。すっごく滑らかね」

感動というより満足している。

「この猫はお祖父さんの・・・」

「はい、いや・・・何時かしら私と一緒に旅をするようになったのですよ」

「旅を・・・へえ、私も旅をしたいな、久美ばあちゃん」

久美ばあちゃんは返事をしない。厳しい眼を向けている。

「名前は、ビビといって・・・彼女は余りこの名前が嫌いつていないようなんですが・・・」

「ビビ、ビビちゃん。いい名前じゃないの」

こういうと、裕は久美祖母からビビを取り上げ、抱き上げた。

「本当・・・滑らかなのね・・・気持ちいいわ」

裕はビビの背中に頬ずりをした。


五月久美は突然訪ねて来た老爺九谷為也を見て、威厳さ、逞しさに何か近づき難いものを感じたのか、

「こんな山奥までよく来て下さいましたね」

と話し始めた。

「ここは静かです。これより西に行くと、もっと素晴らしい所があります。まあ、私の話を聞いて下さい」

久美祖母はにこにこしながら何やら話し始めた。

「また、久美ばあちゃんの口癖が始まった」

「裕、何を言うんですか。まあ、そんなに長い話ではありません。時間はありますか?そうですか。じゃ、聞いてあげて下さい」

為也は頷いた。縁側に座り、ビビをびしゃりと睨み付けた。

裕は笑みを浮かべた。

「裕。お名前は・・・えっ、そうですか、九谷為也さんですか。為也さん、まあ聞いてください。今の日野市一帯を支配していた豪族たちは連という集合体を組んでいました。日野衆は、日野一帯を支配していた国人衆でね、山名氏、日野氏、進氏、蜂塚氏などで、我が五月氏も郡司に名を連ね、その連の中に入っていたのだけれど、実際は山名氏の家来で日野では守護大名で名が通っていたんですよ。山名氏にはたくさんの子供がいて、その子供たちに日野一帯を支配させていたんだ。自分は京の都から指示を出すだけで、一歩も都から出なかったと聞いています。

そんななか、五月の家には女の子が生まれたのだ。あやめ、と名付けられた。それは、それは美しい女の子で、誰もがその誕生を喜んだものだ。誰が見ても、稀に見る美しい女の子で、五月の家の宝物になった。当然、この先、あやめは帝に侍女として差し出されるに違いないと誰もが思っていたし、あやめも大きくなるにしたがって、自分でも自然とそう意識するようになっていった。そうだよ、裕が生まれた時もみんなが喜んだんじゃ。そういう時代だったなら、裕・・・お前は帝に仕えてもいい美しさを持っているんだ」

裕は微かに笑みを浮かべ、下を出し、久美祖母を睨んだ。どうやら、この話はききたくないようだった。

「ところがじゃ、その時、とんでもない事件が起きたのじゃよ。この辺りの夏はそれほど暑くはない。しかし、その日は余程だったのでしょう、五月秋の娘、あやめは川で沐浴をしていた。帝さえも簡単に手をお出しに出来なかったのです。五月采女と名付けられていました。彼女が九歳くらいの時だったようだ。その頃の九歳といえば、もうりっぱな女なのです。

その様子をある男に覗き見られてしまった。当時の山陰地方の守護大名だった山名氏の二男豊春様だった。この先、あやめは帝への侍女として差し出される身と決まっていたのだけれど、あやめは家に帰ると泣いてしまい、自分の部屋に閉じこもってしまったのです。こうなってしまってはどうしょうなく、とにかく秘密裏にことをなそうということになったのです。だけど、この事件は誰もが思わぬ方向に進んだのです。あやめが帝に侍女として差し出されることはまだ公にされてはおらず、五月の家の者でさえ知らぬ者のが多かったのです。まして、豊春様が知るはずがありません。

そこで、豊春様は、あやめを俺にわたせと五月伊右衛門定治さまに言いがかりをつけて来たのです。ええ、それはもう、五月の家は大騒ぎになったのですが、結局あやめを渡す羽目になってしまったのです。

五月の当主、定治は、山名氏の家来で、日野郷にて主に租税の徴収に当たっていたのです。五月貞治はそれ程名ある家来ではなかったのですが、民思いの人で民衆に慕われていたのです」

久美祖母の膝の上に黒猫は乗り、大きく目を開け、じっと老女を見上げて、話しの耳を傾けている。

ところが、九谷為也がいつの間にかいなくなり、何処からか別の男の人が現れたのである。

「あら・・・」

身体は外見華奢で細そうだが、見た感じはがっしりとしていそうな三十代後半の男である。口もとにうっすらと濃いヒゲをはやしていた。

「私は九鬼龍作といって、このビビの飼い主です。さっきから何処へ行ったのか探していたのですが・・・こんな所にいたのか・・・」

龍作はビビを睨み付けた。

フゥ

ビビはこの飼い主を睨んだ。やはり、この黒猫は人間の言葉が分かるようだ。

「そうですか、お前さんは、ビビって言うのかね。いい名前だね。こんな田舎に珍しいことで、今日はお客様が二人も見えたんだすね。まことに嬉しいことで・・・」

「そうですか、そういって貰えると嬉しいですね」

「ところで、何のお話をして見えたのですか?」

「あっ、そうでしたね。私の話が途切れてしまいましたね。ああ・・・また、今度お話をしますよ」

「そうですか、それは残念ですね。私はもうしばらくここ智頭町にいますから、ぜひ・・・続きを聞かせて下さい」


ところで、ランだが、種山良太郎警部はランと共に逃げた二人組の追跡していた。智頭町内を捜索していたが、山の中に入られると、やっかいだな・・・という不安があった。そのために、種山警部はランを預かったのだった。

 何分小さな町なので、ランの手助けもあり、すぐに彼らの行方は分かった。

「ここか・・・」

諏訪神社は牛臥山の山麓に鎮座し、鎌倉時代の創建である。五月の家はその麓にある。

「ラン、いいか。一人、女の子が人質に捕らわれているようだ」

ランはもう匂いを嗅ぎつけているらしかった。鳥居の前には三台のパトカーが止まり、警告灯の赤が異様な感じだった。

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