エピローグ[愛は死ねない、死なせないから]

 

 ヒバリがぱちりと目を覚ましたのは、災厄から二週間後のことだった。

 傍には看病でもしていたのか、ベッドに突っ伏して寝ているロトの姿があった。

 ロトを起こさないようもぞもぞと動くが、しかしロトは僅かな振動で目覚めてしまった。

「おはよう」

 ロトは一瞬の沈黙の後、ヒバリが起きたという理解をし、「ちょっと待ってて」と言って部屋を出てしまった。

 部屋に取り残されたヒバリはやる事がなくなり、体を寝かせた。

 現状に思考を巡らせる。

 レティシアは、死んだのか──

 ふとそのことに思い当たった。ヒバリには何かが欠けたようで、何の感慨も湧かなかった。だからと言って、彼女の死を受け入れているわけでもない。

 取り返しのつかないことが起きた、という現実をただただ真正面から見つめていた。

 少しして、バタバタと物音を立ててロトが人を呼んできた。

 以前見たことのあるクロエ三等曹長、ロヴェイン、そしてインディゴが揃っていた。

「ようやく起きたな旦那」

「昏睡してからちょうど二週間になります」

「二週間……?」

 ヒバリが驚きの声を上げた。

「レティシアは──!」

 一瞬で朝靄が晴れたような気分になる。喪失感が徐々に襲ってくる。

「待て待て、そう焦るな。ちゃんと教えてくれるから」

 インディゴが手を振って制止した。ヒバリはインディゴに抵抗するほどの気力はもはや無い。

 ヒバリにとっての世界はもう、終わってしまったのだから。

「わかった。聞こう」

「ま、それをするのは俺は適任じゃねえから、役を譲るが」

 インディゴが一歩後ろへ下がると、代わりにロヴェインが前へ出る。

「僭越ながら、私が説明させていただきます」

 こく、とヒバリは頷く。初めに語られるのはなんだろう、と他人事のように考えた。

「まずは、あの日の終末から……」

 ロヴェインが切り出すと、インディゴはひっそりと部屋を出た。


 レティシアの死から数秒──。ヒバリは意地で最期を見届けると、意識を失った。それは体力の限界でもあったし、精神の臨界点でもあった。

 孤児院で誕生日を祝っていたパーティから、全てが終わるまで時間にしてみれば、僅か十数分のことだった。

 教会に静謐が訪れたことに気づくと、孤児院の面々は恐怖を露わにしながら窺い始めた。

 そこに一人の軍人がやってくる。それがクロエだった。

「ベラ院長の連絡で参りました、クロエ三等曹長です」

 簡潔にそう挨拶し、クロエはくたばっているヒバリとレティシアの身体を持ち運んだ。

 途中、共和国軍の黒い靄の異能を持つ軍人が五分と少し前の連絡を受けてやってきたが、全てを悟るとぱっといなくなった。

 クロエにも用意があったものの、交戦したら勝てる相手ではないことは容易に想像ついた。

──院長と共和国に繋がりは見られませんでした。

 ロヴェインは二週間で並行して調査していた結果を述べる。あくまで皇国が探っていたのは、貴重な戦力であるレティシアが今どうなっているか、というだけでありそれ以外の情報は求めていないということだった。

 あれだけ疑いをかけていたのに何もなかったということで、ヒバリの無駄な努力だったという事がわかる。それをヒバリは悔いた。もっと別のことに注意を向けていれば、と。

──そしてベラ院長は教会の瓦礫に埋もれて亡くなっていました。

 あの場で修道女と一緒に死んでいたことを知ると、ヒバリはやるせない気持ちが募った。

──今はクロエ様の御宅で養生させてもらっているのです。

 クロエは駆けつけるとすぐさまレティシアの安否確認を行なった。しかし、確認するのが億劫になるほど見てくれが真実を物語っていた。

 クロエはそれがわかるとヒバリ諸共引き取ることを決めたという。

 現場にいる人間では、レティシアを調べることは出来なかった。ロトの発案で、インディゴを呼んだ。彼は懸命に事に当たっているが、最初から望み薄だと言っていたという。

 そして治療もとい修理は今日という日まで続いている、という話だった。

「詳しいことは彼に聞いた方がよろしいと思いますので。ただいま呼んで参りますね」

 言い終えると話を切り上げ、足早に出て行った。

 一人になって、ヒバリは改めて、自分が生きていることの不浄さを感じた。

 五体満足でいることの苛立ちと幸福さが入り混って、激しく燃えた。

 彼女に言った、最後の言葉が、もう何でもないような事だった気がしてくる。自分の不甲斐なさが身に染みてわかるせいで、ヒバリは何もかも信じられなくなった。

「願わくは──、」

 そう言いかけたところで、インディゴが招いているという伝言を聞いた。


「来たか」

 ヒバリの存在を認めると、インディゴは早速ガラス張りの台へ目を落とした。

 四肢が欠け、何もかもを失った機械がそこには在った。頭の一部が欠如し、中身が剥き出しになっている。目と鼻と口はどうにか形を保っており、それだけが元の美しさを表していた。

 インディゴは台の下からプラスティックプレートに置かれた部品を取り出した。

 腕、足、胴、完成間近のそれらのパーツをくっつけていく。

 はっ、と乾いた笑みを浮かべるとインディゴが手を止めた。

「許せねえ……こんなん継ぎ接ぎだァ」

 インディゴははじめからわかっていたとでも言うように、部品が載っていたプレートをぞんざいに投げた。ヒバリはその物言いに、インディゴのふつふつとした怒りを感じた。

「旦那、一ついう事がある」

「なんだ」

 ヒバリは言葉を返すか迷ったが、結果今までにないインディゴの様子に返さざるをえなかった。

「一昨日のことだ。どうにか治せねえかと頑張っていたところ、これを見つけたんだ」

 そっと頭に隠されていたのは、一つのコアだった。真紅の色をした、一眼見て目を奪う手のひらよりも幾分か小さい石のようなものだった。

「これは前に言った、記憶を司る部分だ。あん時は記憶ツール、と言ったな」

「──それが?」

 ヒバリは何が言いたいのかさっぱりだった。インディゴはその先を言いたくないのか、渋る。

「俺の力不足を呪ってもいい。何だっていい。旦那が、今ここで彼女の死を認めるなら、これを形見にしねえか。って言ってんだ」

 認めたくないなら、認めなくてもいい。インディゴはそう付け足した。

 ヒバリは本当に欲しいものを掴みきれなかった手で、そのコアを受け取った。

 人の形見が生前身につけていた物であることが多いように、レティシアもそれは同じだった。

「悪ィな。治せなくてよ」

 最後まで粘った上での諦念がそこにはあった。

 ヒバリは何も言わない。掛ける言葉が見つからない。感謝を伝えるべきなのに。「ありがとう」という言葉が見つからない。

 感傷に割り込むように、横で見ていたロトが不思議そうに言った。

「それ、本部の人に渡せばいいんじゃないの?」

「どういうことだ、それは」

 インディゴが噛み付く。技術者としての元からあった皇国の科学力への興味と、自分が匙を投げた問題にまだ先があるのかと疑う気持ちが重なった。

 インディゴの剣幕に、ロトがたじろぐ。ロトはごめんと謝った上で、

「レティシア姉ちゃんを作った人ならどうにかなると思って。……もしかして、作ったのインディゴのおじさんだった?」

 そんなことはない、とその場にいる全員が思いながらも誰もその先の言葉を紡がなかった。

「そうか──」

 ヒバリの頭の中で、希薄な線が繋がる。

 あれは二回目に本部を訪れた時のこと。冷凍されたレティシアのことを思い出す。

「ロヴェインさん、今すぐ車を!」

 その発言を受けて、ロヴェインは脱兎のごとく飛び出した。追うようにヒバリも走り出す。

 適当に入れ物をこさえてコアを持った。


 *

「ヒバリくんの話は、ここでなら可能だよ」

 少し驚いた様子を見せつつ、スミノフはどかんと構えて言った。

「レティシアくんにまた会いたいんだろう?」

 見透かしたようにスミノフは言葉を継ぐ。

 ヒバリは肯定とも否定ともとれぬ返事をする。

「まあいい、少し準備をするから待っててくれ」

 白塗りのテーブルに出されたコーヒーをヒバリは啜る。ロトはオレンジジュースを手持ち無沙汰で飲んだ。

 冷気を漏らしたケースが雑多とした研究室の真ん中に置かれる。

「見ない方がいい」

 スミノフはヒバリにそう告げた。

「いや、結構です」

 そう言いつつ、ロトの目は隠す。ロトにはまだ早いと思った。

 特定の動作を踏んで、レティシアの脳内にコアを埋め込む。

「ねえ、ヒバリ。何が起こっているの?」

 ロトは割と強めの口調で目隠しの先はどうなっているのか訊いた

「レティシアが……起きるぞ」

 自然とその言葉が漏れた。騒いでいたロトがびっくりするぐらい静かになって、ヒバリは手を払った。

 プシュー、と長い空気の抜ける音が響いた。中に入っていた冷気が一気に抜け、代わりに肉を融かす暖かい空気が充填する。

「開けるぞ」

 ケースに装備された解凍機能が動作したことを確認すると、スミノフはそう言った。

 近未来的なデザインの病衣を着たレティシアが、スミノフと助手の力を借りて半身を起こす。

 ヒバリは最愛の人の顔をまじまじと眺めた。レティシアを収めていたケースの明かりが消える。

「……──ふにゃあ、はわぁ〜」

 突如、レティシアは欠伸をした。普通の人間が、眠い時は体を仰け反って体から眠気を追い出そうとするのと同じように、レティシアは緩やかに上半身で伸びをした。

「ティア!」

 喪った気持ちが急速に萎んでいく。それは花火が満開に咲いた後萎んでいくように、ヒバリの胸にぽっと明るい気持ちを残した。

 何もかも放り出したくなっていた。心が世界を受け付けなくなった。

 唯一の人がこの世を去って、生きる意味を失いかけていた。

 ヒバリはそういう心を縛り付ける足枷を、今の瞬間だけ放り出して、レティシアに抱きついた。

「わ! え、何? ヒバリくん。ここって」

 記憶の中にあった感触そのものに、ヒバリは涙を零した。二の腕の柔らかさ、まだ成長途中のおっぱい。細く折れてしまいそうな身体に思えるのに、本当は誰よりも強いこと。

 レティシアも抱きつかれた事にびっくりしつつも、馴染んだ感覚に安心を覚え、ヒバリの頭を撫でた。

(レティシアだ。これがレティシアだ)

 頭の上でレティシアの声がする。乾燥しているのか、少しがさついた声だった。

「私、あれからどうなったの? 記憶を、移植して生き返ったの?」

 はっとしてヒバリはレティシアの顔を見た。くっつけていた肌の感覚が愛おしくなりつつ、ヒバリの背中に回った腕が抵抗せず解ける。

 レティシアの翠色の瞳は、変わらず翠色をしていた。

 教会で自爆したレティシアとの最後の会話が思い出される。レティシアの死に際の顔がフラッシュバックする。

 ヒバリはひどく顔色を悪くした。

「どうしたの? ヒバリくん」

 ヒバリは大丈夫だよ、と気丈に答える。だが──。

 ──レティシアは死んだんだ。死んでしまったんだ。

 怒りとはまた違う、烈火を孕んだヒバリのどすぐろい感情が胸中に込み上げる。

 裏腹に、ロトは手放しで喜んだ。

「レティシア姉さん! 良かった……本当に良かった。生き返ってくれて」

 レティシアはロトの純粋無垢な愛情に、ぽりぽりと頬を掻くことで誤魔化した。

「ありがとう、ロト。また会えて嬉しいよ」

 家族の感動の再会に、スミノフは黙って見入っていた。

「いやあ、感動したよ。良かった良かった」

 しらけることすら気にしないで、スミノフは手を叩いて称賛する。

 ヒバリはレティシアの手を握った。もう離したくないと思う。

「でだ、この感動はいずれ返してもらうよ、ヒバリくん」

「どういうことです?」

 言葉の意味を測りかねてヒバリはじっとスミノフを観察し、凄みのこもった口調で訊いた。

「言葉の通りだ、」

 ひらひらと手を振りながら、スミノフは続けた。

「そろそろ彼女が来る」

 スミノフは意味のわからない発言で、場を惑わす。

 研究室の自動ドアから、必死の表情のカトライエが現れた。

「カトライエ二尉、今レティシアくんが目覚めたと──、」

「室長、緊急事態です──! 共和国側が、皇国に宣戦布告しました!」

「なっ」

 スミノフの顔に焦燥感が募った。人当たりのいい笑顔が剥がれ、途端に醜さのある老骨に変貌した。

「どういうことです⁈」

 敵との会話から、レティシアはすぐにでもそうなると想定していた。しかし、目覚めたこの瞬間にその報せを受け取るとは思っていなかった。ヒバリもそう考えていた。戦争はすぐにでも始まると。

 スミノフはこの事態を想定していなかったらしい。彼が想定していたのは、レティシアがナンバー0に意識を移す事だけで、それ以外は異分子に過ぎない。敵の深夜の襲撃も、教会の襲撃も、スミノフの元には情報は入っていない。だから、それ以外繋がりのない孤児院にはジャケットは置かれていなかった。

 共和国側とは、新たに協定を締結した三カ国のことだった。

 カトライエは衝撃を隠せずぶつぶつと物草を言うスミノフを尻目に、ヒバリに向き合った。

「ヒバリさん、以前私が言ったことを覚えていますか?」

 反射的にヒバリは目を逸らす。すぐに思い当たったからだ。

「……必要な時に必要な物を手にしていない。その事が身に沁みてわかったんじゃないですか?」

 カトライエはレティシアに視線を移す。そしてヒバリに戻した。実直な眼差しに、ヒバリはその視線から逃れずに、「はい」と頷いた。

「今度こそ、私の提案を受け入れてくれませんか? 私なら、ヒバリさんに彼女を守り切るだけの力を与えられます」

 ヒバリは何も言わず、頷いた。

「こんな思いは二度とごめんですから」

 目を伏せ、自虐の笑みを浮かべる。

「少し、二人になりましょう」

 レティシアはロトと話す事にかかりっきりだが、この会話が耳に入らないとは限らない。レティシアなら、自己犠牲の精神でヒバリくんにそんなことはさせないと言うだろうから。

 研究室を出て、突き当たりを曲がったところでカトライエは切り出した。

「私が最強であることの一つに、人工骨格があります」

 皇国の科学力で作られた、人工の脊椎。特殊なフィラメントは、身体能力を何倍にも向上させ、生身でありながら、パワードスーツとほぼ同等の戦闘力を誇った。

「簡単ではないですか?」

 力を手に入れるのは──

 カトライエが提案したのはその手術を受けることだった。改造した肉体と軍での訓練を積めば、それはそのままレティシアを守る力となる。

 二つ返事でそれを引き受けてもヒバリは良かった。残された良心が、一瞬決断を遅らせた。

 ヒバリの愛するレティシアが好きでいる肉体に、手を加えるのはいかがなものかと。

 しかし、もう結論は出ている。

「お願いします」

 かくして、三年遅れでヒバリも軍に入る事になった。


 雪が降っていた、あの日を思い出す。

『ヒバリくん、ごめんね。私、軍でお役目を果たして来るよ。だから、帰ってくるまでちゃんと待っていてね』

『……ティア、ごめん。君だけを行かせるなんて』

 ヒバリは膝をついて身体中の水分を枯らす。思えば、あの時が一番悲観的で感傷的で、泣いていたかもしれない。いつしか、喜怒哀楽がうまく表現できなくなっていた。

『私は行きたいからいいの、ヒバリくんを守れるなら、それでいいの』

 ヒバリは、レティシアの言ったことが今ならわかる。君のためなら、どうなってもいい。君の想いなんて関係ない。


 一方、ようやく事態を受け止めたスミノフがしかし、したり顔でレティシアに話しかけた。

「ふふふ……レティシアくん、さっきは戸惑ってしまったが、もう大丈夫だ。ここで君の秘密をひとつ、教えよう。君のその体は、通称“0”と呼ばれる。その0が意味するのは──」

 スミノフが白衣のポケットから、リモコンを取り出した。

 研究室の照明が落ち、と同時にスミノフの背面、レティシアの正面にあたる壁が透ける。

 ぱっ、と映し出された景色にレティシアは絶句する。ロトは悲鳴を上げた。これ以上にないほど、気色悪い光景だった。

 ずらりと並んだレティシアが、何に使われるのかわからないまま、眠っている。

「君は無数の人形兵器を操ることが出来る! 0を基点とし、意識の回路を通じて、このヒューマノイドを操れる。なんて素晴らしいんだ! 実体はなにひとつ傷つかずに、だ!」

 最後にスミノフはこう付け足した。

「パラレイド部隊。そう名付けよう」

 悦に入り、この研究者は笑う。研究室内に、その男の笑い声だけが響いていた。


 これは三年戦争と呼ばれた戦争が終わって間も無くのことだ。

 正義はもう、どこにも存在しない。


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残酷無体のパラレイド 無為憂 @Pman

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