第2話 笑顔

目が覚めると、ベッドの上でした。そして、視界いっぱいにあの人の顔がありました。私よりも遅く寝たはずのあの人は、私より先に起きていたようで、私と同じように横になって、私の頭を撫でていました。その時の顔は今でも忘れません。快晴のような笑顔です。愛らしくて、すっきりとした清純そのもので、今までの人生で見てきた中で何よりも、素敵なものに思えました。そして寝室を出てリビングへ行くと、朝食が置かれていました。ありがとうございますといいながら、一緒に朝ごはんを食べました。それを一緒に片付けて、私がソファーにちょこんと座っていると、あの人が後ろから抱きついてきました。私の顔の左側に甘い、甘い匂いが漂い、すらっとした髪が頬に当たりました。私は少しびっくりして、思わず顔を向けると、お互いの鼻先がツンと当たりました。私は「ひゃぁ」と言ってしまいました。するとあの人は、そんな私を見て、「可愛いね、君は、本当に」と言いました。その顔は、朝、ベッドの上で見た顔と同じでしたが、どこか余裕のある微笑でした。そうして、あの人はソファーの手前まで回ってきて、私を再び強く抱きしめながら、自分は会社員であるということ、そして今日も会社があるから行かないといけないということ、自分が帰ってくるまでの間、家にいてもいいし、外へ行ってもいい、つまり、自由にしていていいということ、そして、できれば、私にはこれからも家にいてほしいということを伝えてきました。私は「はい、ありがとうございます」とだけ言って、玄関まで見送りました。


数時間ぶりの一人の時間でした。慣れかけていたはずの孤独がもう辛くなってきていました。ですが、その時の私には、孤独に耐えてでも考えなければならないことがありました。それは、あの人は何者なのかということでした。あの人と出会った時には、捕まりたくないという一心でいたものですから、正直なところあの人の言っていることなど殆ど聞いておりませんでした。ですが、今になって考えてみれば、あの人は謎だらけでした。あの人は最初、私に対して、慰めて、と言っていましたし、なぜ私のような小娘にこんな施しをしているのだろうと、疑問に思いました。その答えをソファーの上で色々考えた結果、あの人に直接聞くのが一番いいだろうという、ありきたりな答えになりました。この日は金曜日でしたから、あの人が明日休みだったとしたら、色々と話せるのではないかなと、思っていました。


あの人は、日が落ちてから少し経った程度の時に帰ってきました。「ただいま~」という明るい声が玄関から聞こえてきて、私はトコトコとそこまで向かって、「おかえりなさい」と言いました。言った途端のことでした。あの人は目をキラリと輝かせたと思いきや、靴を颯爽と脱ぎ捨て、私に抱きつき、私の左肩に顔をうずめて、「お迎えありがとね」と楽しげな口調で言ってきました。私は、この人は事あるごとに抱きつかなければ気が済まないのだろうかと思いました。そして、それは口に出ていたようで「抱きつかないと気が済まないの?」と言っていました。すると、「うん、そうだよ~」とニコニコしながら言うのです。あんな愛らしい笑顔をこれまでの人生で一度たりとも向けられたことのない、経験の乏しい私は、出会ってまだ1日程度しか経っていない、そんな僅かな時間であったのに、もうすでに揺れ動き始めていました。あの人の笑顔は魔性の笑顔です。見たものすべてを虜にしてしまう。結局のところ、私という人間にとって、何よりも大切な存在はあの人であって、より詳しく言えば、あの人の笑顔です。笑っているあの人が私にとって、この世で最も愛しく、大切な存在なのです。

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