第40話 私にしかできないことを

 精霊の魔導書の姿が無い。ウェルジさんが持っていたはずが、気絶した瞬間に手放してしまったのかもしれない。

 そうなれば結局盗まれたのも同じだ。見つかっていないものを見つけるなんて、凄まじい時間と労力を要する。私は意識を集中させると、ヒノワ館長とマリーナさんの姿が目に留まる。


「ヒノワ館長、マリーナさん!」

「ヒノワ、一度落ち着いて。精霊の魔導書なら古の魔力を持っている。だから見つからない訳がないよ」

「そ、そうですけど……私がちゃんと持っていれば」

「後悔したって後には絶たないよ。むしろ、後悔をするよりも先に行動を起こす方が正しい判断だと思う。精霊の魔導書もそれを望んでいる筈だからね」


 ヒノワ館長は私のことを励ましてくれた。

 そう言って貰えるだけで嬉しくて、心がホッとした。

 もしかすると精霊の魔導書も見つけて欲しいのかもしれない。取り返すことができた私のことを讃えてくれるかもしれない。

 そんな気持ちが強く押し寄せると、顔を上げることだけに意識が向いた。


「精霊の魔導書が……応えて、私に貴女の存在を知覚させて」


 私がそう願うと、頭の中がクリアになった。

 周りの雑音が意識を掻き回し、精霊の魔導書の存在を知覚できなくなる。

 けれど必死に魔力を束ねると、すぐ隣から熱を感じ取った。

 ヒノワ館長の魔法かな? そう思ったのも束の間で、ヒノワ館長は突然私に叫んだ。


「アルマ、避けて!」

「えっ?」


 私は目をソッと開けると、左目の端が赤く見えた。

 熱を迸らせながら、私のことを狙っている。

 不意に視線を預けようとすると、精霊の魔導書が大きめの火球を作り出していた。

 火球は私のことを狙い、逃げる前に放った。


「に、逃げられない」

水流ウォーブルの大海=マリーナ


 火球が私のことを焼き払おうとした瞬間、マリーナさんは魔法を放った。

 水流の勢いは強く、鋭いスクリュー回転を生み出して火球を弾き飛ばす。

 精霊の魔導書がいくら強力な魔法を放ったとしても、それすら貫通してマリーナさんは精霊の魔導書を圧倒してしまった。


「マリーナさん、ありがとうございます」

「いいわよ、アルマちゃん。それよりどうして精霊の魔導書は攻撃をしてきたのかしらね?」


 確かにマリーナさんの言う通りだ。

 精霊の魔導書は先程まで攻撃の意思は一切無かった。

 しかし今の精霊の魔導書はかなり好戦的で、火球を防がれたのならば次は突風を起こしてアルマ達を忌み嫌った。


「精霊の魔導書、どうして私達を襲うの? 私達は貴女のことを」


 私は必死に語り掛けた。精霊の魔導書には強い意思があるからきっと言葉が伝わっている筈だ。

 けれども精霊の魔導書は私の声を聴こうとしてくれない。

 何度も攻撃を続けると、私は突風に押し出され、背中を書架に叩き付けられた。


「がっ!」


 口から唾が吐き出た。あまりの痛みに私の心が折れそうになる。

 それでも膝を付きながら立ち上がると、私は今一度精霊の魔導書に言葉を投げ掛けた。


「どうしたの? もしかして私のことが怖いの?」

『……』

「それとも私のことが嫌いなの?」

『……』

「もしかして助けてくれた? 穢れた人に触れたことを嫌っていたから?

『……!?』

「そうなんだね。そうだよね、怖かったよね。ごめんね、私が貴女のことを手放しちゃったから。でももう安心して、私は貴女の味方だから。精霊の魔導書、私の下に帰って来てよ。お願いだから」


 私はすんなり手を伸ばして精霊の魔導書を待ち侘びた。

 自分から私のことを信頼してくれているのなら、きっと帰って来てくれる筈だ。

 そんな願望を強く抱くと、私は精霊の魔導書を柔らかな笑みを浮かべて待つ。

 けれど精霊の魔導書は私の下に一瞬だけ変える素振りを見せると、すぐに離れてしまった。まるで磁石のような関係で、私は表情を濁してしまった。


「そうだよね。よく分からない今時の魔導書士なんて信用ならないよね。でもね、私は貴方のことをもっと知りたい。だから貴女も私のことを知って欲しいんだ。そうすればきっと何でもかんでも上手く行くと思うの。お互いの気持ちが重なり合えば、なんでもできる。私はそう思うから、貴女のことをもっと私に見せてよ。ねっ!」


 私が笑顔で精霊の魔導書に答えると、何か思う所があったのか、言葉は一つもないけれど突風に寄る魔法攻撃を止めてくれた。

 しかし攻撃を止めてくれるだけで、私の下にはやっぱり返って来てくれない。

 むしろ扉の方に横移動をすると、本当ならば閉っている筈の扉の前で立ち止まる。


「精霊の魔導書、なにをする気なんですか?」

「分からないけれど、最悪を想定した方が良いかな」

「最悪ってなんですか?」

「いわゆる保険だよ。私の予想が正しければ……」


 ウィーン!


 急に自動扉が開いてしまった。

 マリーナさんは驚き口元に手を当てると、ヒノワ館長は予想していた素振りを見せる。

 しかし私はあたふたしてしまう。自動扉を魔法を使って開けたということは、やることは一つ。気が付けば精霊の魔導書の姿は無くなっていて、トワイズ魔導図書館の中から出てしまった。


「ヒノワ館長、マリーナさん!? 精霊の魔導書の姿が……」

「落ち着いてアルマ」

「落ち着いてなんていられませんよ! どうするんですか、あんなみすみす逃すなんてこと、絶対魔導書士がしちゃダメですよね?」

「だから落ち着いて。そのために私が壁を作ったから」


 精霊の魔導書が目の前から消えてしまったこと。未然に防げた筈なのにできなかったこと。二つの思いに苦悩してあたふたと目を回してしまう。

 そんな私のことを落ち着かせるように優しい言葉をヒノワ館長は掛けてくれる。

 だけどヒノワ館長の言葉は結局の所、一瞬の時間稼ぎに過ぎない。そんな甘い言葉は無いと思ったが、本当に未然の策を練ってくれていた。


「壁ってなんですか、ヒノワ館長?」

「そのままの意味だよ。精霊の魔導書が街の方に逃げないように、炎の壁を築いておいた。これで精霊の魔導書は何処にも逃げられないよ」

「……凄い」


 ヒノワ館長が本当に凄い人だとこの瞬間を以って知覚した。

 Sランク魔導書士だからこその冷静な判断ではない。

 館長として、今までの経験則から策を講じてくれていた。あたふたしていた自分がバカらしく思えて仕方がなく、瞬きを何度もしてしまう。感嘆とした言葉が胸の鼓動を激しく昂らせ、私はゴクリと息を飲む。


「だからアルマ、急いで追いかけて」

「このタイミングで私ですか? 無理ですよ、さっきは精霊の魔導書に拒絶されて……」

「そんなことはない筈だよ。今追えるのはアルマだけ。ここは私達に任せて、早く!」

「で、でも……」


 ヒノワ館長は私のことを励まして、背中を押してくれた。

 だけど私には精霊の魔導書を追う資格があるのか分からない。

 頭の中がイカれそうになると、落ちこんだままジッと立ち尽くす。

 完全に人形のようになってしまった体は何を言われても応えない筈だった。


「アルマ・カルシファー。今やるべきことは落ち込むことではない。不安になることでもない。行動を起こし、自分がやるべきことに目を向けるだけだよ」


 ヒノワ館長の言葉が耳の奥、否、頭の中に響き渡った。

 声が想いになって反響すると、小さくなっていた私の中で何かを目覚めさせる。

 どんな魔法を使ったのか。私は顔を上げると、そこにはヒノワ館長とマリーナさんの顔がある。二人共私を信じてくれていて、一生懸命励ましの笑みを浮かべていた。


 そんな顔を見ていると、段々私の中で勇気が溢れる。

 不安な気持ちがバカらしくなり、ここまでの悲しみが吹き飛ぶ。

 起こったことは変えられない。だったらこの後を変えてしまえばいいと、胸騒ぎのように私を突き動かさせ、私は浮かんでいた涙を拭き取り凛々しい顔立ちになる。


「分かりました。アルマ・カルシファー。できるだけのことをやります!」

「うん、良い顔だ」

「アルマちゃん、頑張ってね」


 私はヒノワ館長とマリーナさんの前で宣言をした。

 具体的なものは一切無いけれど、やるべきことも果たすべきことも決まっている。

 ならばもう背中を押される心配は無く、私はトワイズ魔導図書館を飛び出すと、精霊の魔導書を追うのだった。

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