第36話 怪しげな用務員

 私はマリーナさんに任される形で隠し通路の前に立った。

 椅子を運んできて腰を下ろすと、精霊の魔導書を手にする。

 両手で掴み絶対に逃がさない。もしも手を離せば、このまま何処かに飛んで行っちゃいそうで怖かった。


「とは言われても、暇だなー」


 天井を見上げ、ボーッとしながら私は呟く。

 隠し通路の前に陣取り、私の小さな体で塞ぐことは当然できない。

 かと言って、適当な大きさの布もなく、できるだけ体を大きく見せて不動で座っているしかなかった。


 そうなると手持無沙汰になるのも仕方がない。

 トワイズ魔導図書館だから適当な本や魔導書を読めばいいとも分かる。

 だけどそれができない事情があった。私は自分の手元を見る。


「私に付いて来たってことは、読んでいいってことだよね?」

『……』

「無視なんだ。せめてなにか相槌をくれないと、私も会話に困るよ」


 精霊の魔導書にいくら声を掛けても何の返答もない。

 私は独り言の地獄を味わされると、挙動不審な態度を取ってしまう。

 視線がウロウロし始め、肩がキョトンと落ちてしまう。


「精霊の魔導書は私のことを気に入ってくれたのかな?」

『……』

「私の会話に興味があるとか? それとも経歴とか? でもそれって、魔導書にとっては意味ないもんね。人間が勝手に作っただけのステータスだもん。魔導書はそんな所見ないよね」

『……』

「ねぇ、なにかお話してよ。私は貴女の言葉が分かるんだよ?」


 諦めずに言葉を掛け続けた。

 しかし精霊の魔導書は何の言葉も発しない。私に届けてくれない。

 ほんの少しだけ貴方を貴女に変えた程度の口調の変化を残してみても、精霊の魔導書は気が付いている筈なのに、全く私の気苦労を労ってくれなかった。

 ちょっと悲しくて苛立ちが生まれるも、すぐに首を横に振り烏滸がましい考えを否定した。


「ダメダメダメダメ。そんなこと言ってたら、精霊の魔導書に嫌われちゃうよ……って、その時点で嫌われて……」

『ふふっ』

「あれ? 今笑った? 笑ったよね?」

『……』

「精霊の魔導書! なんでそこまでやっておいて黙るの! ちょっとくらいはコミュニケーション取ろうよ」


 軽く癇癪を起してしまい、私は頬を膨らませる。

 少しだけ苛立ってしまったことを後悔するが、そのおかげで精霊の魔導書がほんの少しだけアクションを取ってくれた。


 そのおかげか精霊の魔導書との仲がほんの少しだけ縮まったかもしれない。

 そう思えるだけで安心し、口角が緩やかに上がると奇妙な笑みを浮かべてしまった。


「なにしておるんだ!」

「ひいっ!? その声、ウェルジさん?」


 視線を上げ、目の前に人の影があることに気が付く。

 聞こえて来たのはウェルジさんの声。今日は掃除用具を持っていないので、フラッと立ち寄っただけらしい。


 しかしマズいことになった。私が笑っていた所をまんまと見られてしまった。

 もの凄く恥ずかしい。一人で何愉悦に浸っているんだと、後で罵られるに決まっている。

 ウェルジさんは物事をはっきり言う人だとこの間の一件で悟ったからこそ、私はあんな笑みを浮かべたことに後悔する。がしかし、そんなことよりも大事なことを忘れていた。


「ぬーわっと!」

「ん? 今なにか隠したの。儂に見られたらマズい物なのか?」

「えーっと、はい。マズい物です。と言うより見せるのダメ系な奴だと思います」


 私は精霊の魔導書を後ろ手に隠した。

 この魔導書をウェルジさんに見せてはいけない。私に直感が囁いている。


 もちろんそれだけじゃない。ウェルジさんはあくまでも用務員で、魔導書士じゃない。

 魔導書に正式に触れることができるのは、魔導書士だけで、精霊に魔導書は本来Sランク魔導書士しか触れることができないが、今は緊急事態だった。


 だからこそ、ウェルジさんには見せないようにする。

 きっとウェルジさんの性格的に考えて、魔導書に興味は無いのだろうが、余計な真似をされても困る。トワイズ魔導図書館の魔導書達はウェルジさんのことを嫌っているので、下手に触られると困るのだ。


「一体なにを隠した! 儂にも見せるのが礼儀じゃないのか?」

「えっと、魔導書は魔導書士が……」

「年長者を敬う気はないのか?」

「そういう問題じゃないと思います。それにこの魔導書は……」


 私が目を逸らしてしまうと、ウェルジさんはイラっとしたらしい。

 眉根を寄せ、額に深い皺を作ると、ズンズン歩みを寄せて私に腕を掴んだ。

 完全にセクハラ。そんなことを解っている筈が、ウェルジさんは痛いくらい腕を引き寄せる。


「痛い、痛い痛い痛い痛い!」

「いいから見せろと言っておる!」

「せ、セクハラですよ! これ、横暴ですよ!」

「儂に見せれば済む話じゃろ。一体なにを隠したんじゃ!」


 ウェルジさんは知らぬ間に血眼になった目を剥き出しにすると、私の腕を引き寄せ続けた。本当に折れてしまうんじゃないかと怖くなる。

 ギュッと涙目になってしまい瞬きをすると、精霊の魔導書をウェルジさんに見せてしまった。


「ん? これは……」

「分からないですよね。でも、見せちゃダメだったのに……」


 どのみちウェルジさんに精霊の魔導書の価値は分からないとは思っていた。

 だから見せたって特に問題は無かった筈。

 けれど魔導書士としては大失格で、魔導書士でもない一般人に精霊の魔導書を触らせてしまった。穢れるとは思わないけれど、こんな乱暴な形で見せる羽目になるなんて、私はキョトンと肩を落とした。


「むむっ、これは魔導書か?」

「はい、魔導書です」

「むーん。それにしても見たことの無い魔導書じゃな」

「そうですよね。私も初めて見た魔導書です」

「お前が見たこともない魔導書か……と言うことはかなりの価値が期待できる……」

「えっ?」


 急にウェルジさんの口調が変わった。血眼になっていた目がゲスく見える。

 もちろんそれで終わりではなく、精霊の魔導書を掴んだ手に下手な力が加わる。

 全く放してくれない様子で、むしろ自分の下へと引き寄せようとしていた。

 如何にもな予感がしてならず、私は当然抵抗する。


「ウェルジさん、そろそろ放して……」

「……」

「ウェルジさん? 聞こえてますか? 聞こえてますよね? あの、本が傷むのでそれ以上引っ張らないで貰え……」

「……」


 ウェルジさんは一切力を緩めない。むしろ抵抗する私に抗って来る。

 これは明らかにマズい状況だ。精霊の魔導書には悪いけど、私に中で嫌な予感が爆裂のサイレンを鳴らしている。

 このまま問答を繰り返していても埒が明かない。私は精霊の魔導書を引っ張ったまま、奥歯をギュッと噛み締めた。

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