第17話 本当に採用されてしまった

 私はトワイズで安宿を借り、机と向かい合っていた。

 白紙の本を開いたままにし、私は万年筆を取り出す。

 黒いインクが万年筆の先に集まると、今日有ったことを日記として書き留めておく。


「あー、疲れた。って、なんで宿を自分で取る羽目になるの? 確かグリモア叔母、宿を取っておいてくれた筈だよね? それが改装中って……はぁ」


 私は色んな不都合が生じて溜息が出る。

 トワイズに来てから、まだ一日も経っていない。

 にもかかわらず、これだけたくさんのことが起こるなんて信じられない。

 コストに対するパフォーマンスが非常に合っていなかった。


「まあいいんだけどね。いいんだよ。硬くてもベッドに横になれるだけありがたいよねー……って、本当に採用されちゃったよ。いや、契約書にはサインしているんだけどね」


 どのみち契約書にサインをしているから、私は辞めることも逃げることもできない。

 逆に言えば、雇用主から直接切られるしかない状況だった。

 私が本来の目的通り旅に出るためにはここでの印象が大事。

 だけどそんな思惑は当然果たされることもなく、私にとっては有難迷惑だった。


「しかも好印象っぽい? あんな態度を取っちゃったのに。いや、だかた研修なのかな? 折角自由な期間に観光できると思ったのに残念だよ」


 私は溜息を吐きたくなった。だけどグッと押し殺し、喉の奥で留める。

 溜息なんて吐いたらダメだ。せっかくの出会いも幸運も全部逃げちゃう気がする。

 だからこそ、私は気持ちを引き締めると、逆のことを考えた。


「そうだよね。この歳で魔導書士として働けるだけ凄いことだもんね。しかもトワイズの魔導書は面白い。私のことも歓迎してくれたみたいだから、これから頑張らないと!」


 逆に気持ちを高めると、ネガティブをポジティブに変えた。

 そのおかげか、私の心が安寧を保つ。

 これからは魔力の宿った特別な魔導書にたくさん触れることができる。

 それだけで私の原動力になってくれて、明日も頑張ろうと気を引き締められた。


「そうと決まれば日記も書いて、早く寝よう! そうでもしないと魔力が回復ないもんね」


 私は日記を書き終えると、硬いベッドの上に横になった。

 今日一日だけでかなりはしゃいじゃったから、凄く眠たい。

 頭の中がボーッとして、薄っすらと瞼の内側で暗闇が手招きをする。


「はいはい、寝るから大丈夫だよ。それじゃあお休みなさい」


 私は自分から暗闇に歩み寄ると、そのまま深い睡魔に意識を奪われた。

 あまりの眠気に体が動かなくなると、私は静かに眠りに就いた。




 トワイズに構えた高級住宅街。

 そこには景観を気遣ったマンションがあり、その一室をヒノワは借りている。

 とは言え部屋の中はそこまで激しくは無く、むしろ物の少ない落ち着いた雰囲気さえあった。


「なるほど。確かにグリモワさんが推薦するだけありますね。むしろ期待以上でした」


 ヒノワは書斎で頬杖を突きながら、書類を読んでいた。

 それは採用通知書で、アルマ・カルシファーのことが書いてある。

 けれど情報は限りなく少ない。それもそのはず、年齢に不相応な成果をこれまで挙げてきており、どれが真実で偽りなのか、その真偽すら不明な程卓越したものを持っていて、グリモワやグリモア、その他多数の有力魔導士からのお墨付きが付いていた。


「とは言え実際にこの目で確かめるまでは分かりませんでした。金で買い取った成果の可能性もありましたからね」


 ヒノワは用心深かった。

 それは例え十三歳のアルマに対しても同様の扱いで、もしも真実を偽っているのであれば、雇用主の権限で採用を取り下げる気でいた。

 けれどそれも出会うまでの間で、初めて出会った瞬間から、何か光るものを感じた。


「ですがアルマは魔導書士として確かなものを持っていました。これだけは間違いではありませんね。グリモワさん、グリモア学院長。貴女方の親族は、確かに私が預かりました。この一年でなにを見つめ、なにを得られるのか、私がこの目で確かめさせて貰いますね」


 ヒノワは期待していた。否、それはアルマだけではなかった。

 トワイズ魔導図書館に集められている職員達はそれぞれ何かを持っている。

 磨けば光るものなのか、それとも邪悪に覆われた闇なのか、どちらとも言えないのだが、それでもトワイズにはそんな迷える魔導士達が日夜集まり切磋琢磨する。


 それを見届けることも、歴史あるトワイズ魔導図書館の館長の仕事の内。

 ヒノワは自分のするべきことに責任を感じつつも、何処か自分以上の素晴らしい物を見たい気持ちもあった。


 だからこそ、ヒノワは笑みを浮かべた。手元のコーヒーカップを手繰り寄せると、唇に添わせる。

 濃くて眠気を覚ます味わい。香りも立っていて、意識を覚醒させると、改めて一人残業を進めるのだった。

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