第13話 再戦の約束

 ファミリーレストラン『ベアー・バーガー』。森ノ熊で唯一のファミレスである。オレンジや茶色を基調としたレンガ造りの建物は、森に住む熊をイメージした外装になっている。そして屋根の看板にはベアー・バーガーというロゴとともに、可愛らしい熊さんのイラストが添えられている。

 平日休日問わず、毎日多くの人々が訪れ、常に賑わっているお店だ。

 紗月が店内に入ると、すでに家族連れや学校帰りの学生で店内はごった返していた。普段こういった店に馴染みが無いので、あまりの人の多さに目が回ってくる。

「いらっしゃいませ、ベアー・バーガーへようこそ。お一人様でしょうか?」

 まだ同世代くらいに見えるウェイトレスが紗月に声を掛けてくる。

「あ、いえ、その……」

「紗月くーん! こっちだよー!」

 紗月が答え方に困っていると、奥の方で声が聞こえた。声がした方へ視線を向けると、奏がこちらに向けて手を振っていた。

「待ち合わせですね、失礼いたしました」

 ウェイトレスも奏の存在に気づいたようで、すぐに紗月の前から姿を消す。紗月もさっそく奏がいる席に向かう。

 奏は四人掛けの席に座っていた。奏の隣には鈴が、奏の前には律が座っていた。

「紗月くん、お疲れ様! 部活終わりにわざわざ来てくれてありがとう」

「いえ、今日は生徒会役員として、クラシックギター部を存続させるための作戦会議をするために来たので、全然大丈夫です」

 奏の言葉に謙遜しながら、空いている律の隣の席に腰を下ろす。すると、すぐ隣から声が掛けられる。

「この前は悪かった。改めて今日はよろしく頼む」

 紗月は思わず律の顔を凝視する。以前の律とはまるで別人だ。鈴と出会ったことで本来の自分を取り戻したとジュリアから聞いてはいたが……。律の変わりように内心驚きつつも、笑顔を浮かべながら謝罪の言葉に答える。

「いえ、俺も先輩に対して生意気な口を聞いてしまってすいませんでした」

 紗月も律に合わせてこの前の非礼を詫びる。そして今度は目の前の席に座る鈴が口を開く。

「初めまして、朝比奈鈴です。奏から聞いたよ。生徒会長代理として、クラシックギター部を廃部の危機から救うために派遣されたんだって? なんでもあの生徒会長の友達だとか。優秀な人が助けに来てくれて、僕たちもすごく心強いよ。これからよろしくね」

 鈴が手を差し出す。紗月は鈴の顔をまじまじと見る。

(メイクはまだ崩れたりはしてないみたいだな。これから食べたり飲んだりするから気をつけてフォローしないとな)

「はい。こちらこそ」

 紗月は鈴に差し出された手をとり、握手をかわす。

 今日もジュリアは鈴を演じていた。目の前に座る鈴は、紗月のメイクとジュリアの演技で成り立っている存在だ。

 この事情を知っているのは、ここにいるメンバーだと二人の他には奏のみ。律は知らない。

 ジュリアは鈴を演じることによって、律に本来の自分を取り戻させることに成功した。始めからそれを図っていたのではなく、切れかかっていた律と鈴の繋がりを繋ぎ止めてくれる存在は鈴しかいないことを信じての結果だった。

 しかしそれにはリスクが伴う。鈴はあくまでも鈴本人でないことだ。つまり、鈴はジュリアが演じている偽物である。本物の鈴は、未だ病院で深い眠りについたままだ。

 ジュリアは律を騙している。しかし、嘘をつくことを承知で鈴にことを選んだ。それはひとえに律と律にとってかけがえのない人たちとの繋がりを守るため。

 今もその状況は変わらない。鈴がいることで、律は昔のようにクラシックギターを楽しみ、奏や鈴との繋がりを大切にすることができる。

 鈴は律にとって、かけがえのないほど大切な存在。だからこそ、その存在が未だ生死の淵にあることを悟られてはならない。鈴が大切にしてきたクラシックギター部を守るためにも、今の律には鈴が必要不可欠だ。

 ジュリアはそれを深く理解しているからこそ、鈴を演じ続けている。そして紗月もそれを精一杯陰から支えている。全ては律と鈴と奏が大切にするクラシックギター部のために。ジュリアと紗月はその一心で今もこうして動いている。

 そして今日は今後の方向性について話し合うためここに集まった。

 本当は生徒会長から直接依頼を受けたのは紗月ではなくジュリアだが、ジュリアは鈴を演じるため、表向きは紗月が生徒会役員として、奏の投書に対する対応にあたることになった。

 じゃあさっそく話し合いを始めましょう、と紗月が口を開きかけたところで、目の前にメニュー表が出される。

「紗月くん、何か頼まないかい? 僕たちはもう先に頼んだから君も」

 鈴からの言葉に改めてテーブルを見渡すと、飲みかけの飲み物やケチャップか何かがついたような空のお皿があった。ちなみに鈴の目の前にはホットドリンク用のカップが置かれていた。そういえば、鈴は暑い日でもホットドリンクを飲むらしい。今日は比較的気温が高い日だったので、ホットドリンクを飲むのは辛かったのではないか。鈴の方を見ると、汗一つかいた様子もなく、涼しい表情を浮かべている。ジュリアの演技に抜け目がないことに感心する。

 もうすぐ夕飯の時間だし、家に帰るまで何か少しだけ腹に入れておくかと、メニュー表を一通り確認する。ヘアー・バーガー人気ナンバーワンのベアー・ベアー・バーガーというハンバーガーに目が惹かれたが、三段重ねの肉と間に挟まれたチーズとピクルスとブロッコリーの多さに断念する。このブロッコリーは森をイメージしているのか? ハンバーガーにブロッコリーという組み合わせを見るのは初めてだったので、今度ぜひ食べてみようと密かに決意する。そして結局はコーラとポテトという定番の組み合わせに落ち着いた。

 程なくして注文したものが運ばれてきた。みんなにもポテトを勧めつつ、自分はコーラを味見する。同じコーラでも、店によって若干の味の違いが出るものだ。ここのコーラは炭酸弱めで甘さを重視した仕様になっているようだ。好みの味に内心喜ぶ。

 他のメンバーも紗月が頼んだポテトを食べながら楽しそうにおしゃべりしている。隣に座る律は元々そんなに口数が多い性格ではないようだが、口元には笑みが浮かんでいる。奏の顔にも笑顔が戻ったようで、この中では一番元気だ。ジュリア演じる鈴も穏やかな笑みを浮かべている。鈴が目を覚ましたらこんな感じなのだろうと、今目の前で見ているかたちが当然に受け入れられるような、そんな自然なかたちが出来上がっていた。

 しばらくして場が温まってきたところで、紗月が口を開く。

「じゃあそろそろ本題に入りましょうか」

「そうね、クラシックギター部を廃部させないようにするには具体的にどうすればいいかを考えましょう」

「そうなると、まずは単純にクラシックギター部を辞めてしまった部員を呼び戻すことを第一に考えるのが得策かなって思うんだけど」

 鈴の言葉に律の表情が少し曇る。律の気持ちをいち早く感じ取った奏が律に向けて言葉を放つ。

「律、あんたがそんな顔するのは間違いよ。クラシックギター部がこんな状況になったのにはあんただけじゃなく、私や鈴にも責任があるの。鈴が事故に遭わなければこんなことにはならなかったし、私に力があればこんなことにはならなかったことでもあるの。だから、毎回そんなシケた面してんじゃないわよ! そろそろその顔が自分に似合わないことを自覚しなさいよ!」

「奏……」

 律は奏の言葉を静かに飲み込んだ後、いつもの偉そうな態度に戻る。

「フン、うるせぇんだよ。とっくのとうに自覚済みだ」

 律の言葉に奏は胸を撫で下ろす。鈴も奏の言葉を受けて続ける。

「そう、奏の言う通り、これは僕たち全員の責任だ。誰か一人がその責任を負うのは間違ってる。だって、クラシックギター部は僕たち三人が創った大切な繋がりだろう? その繋がりを守れるのは僕たちしかいない」

 鈴の言葉に答えるように奏と律もコクリと頷く。鈴は続ける。

「話は少しそれたけど、部員を呼び戻すっていうやり方について、何か意見がある人はいるかい?」

「呼び戻すっていっても、単純に一人一人に説得して戻ってもらうとしても五十人近くいるから、結構な数になるわね。まあ、それを面倒だとは思わないけど。私はその覚悟が出来てるわ」

 奏はガッツポーズでやる気十分な様子だ。

 しかし、説得に回る部員数の多さというよりも、実際のところ説得でどうにかなるものなのか? 紗月は顎に手を当てて考える。

 クラシックギター部員たちの退部理由としては、おそらくはその多くが律に対する不信感の高まりによるもの。いくら鈴との再会によって律が(言い方は悪いが)まともになったと伝えても、人間というものはそう簡単に変われる生き物ではない。仮に律自らが部員一人一人に謝罪と説得を行ったとしても、律が部員たち全員の信頼を取り戻すのは確実とは言えない。やはり言葉や態度ではなく、行動で示す何かがないと、信頼の回復は厳しいだろう。

 鈴も自分で言った案ではあるものの、良いアイデアではないと感じているらしい。難しい顔をして考え込んでいる。そんな中、律が口を開く。

「夏のコンクールはどうだ?」

「夏のコンクールって、毎年ブリランテ小劇場で行われる全国高校クラシックギターコンクールのことよね?」

「そうだ。そこに出場して入賞以上の成績を残す」

「えぇ!?」

 奏が放った大きな声に、隣のテーブルに座っていた女子高生のグループが驚いたような視線をこちらに向けてくる。紗月は聞いたことのない言葉に首を傾げる。ジュリア演じる鈴も初耳のようだ。鈴らしい柔らかな微笑みを浮かべつつも、紗月に助けを求めるような視線を向けてくる。紗月はすぐに確認する。

「えーと、全国高校クラシックギターコンクールって普通のコンクールじゃないんですか?」

「うーん、普通のコンクールなんだけど……。会場は毎年この森ノ熊地域の海岸沿いにあるブリランテ小劇場っていうコンサートホール。毎年多くの高校生が集まって行われるクラシックギターの祭典とも呼ばれるコンクールなんだけど、だからこそなのか、エントリーしてくる学生のレベルがとても高いの。鈴と律も一昨年エントリーして出場したことがあるけど、入賞することすらできなかったのよ」

「二人が入賞するすらできなかったなんて……」

 紗月だけが気づくように、ジュリア演じる鈴の顔にもそれとなくも驚いた表情が浮かんでいる。鈴も律も全国に通用するほどの実力を持っている。だけどそれでもダメだったということは相当なレベル感のコンクールだ。

「それに出場して入賞するなんて……一体何考えてんのよ!」

「まあまあ、奏。ひとまず落ち着いて。まずは律の話をちゃんと聞いてみよう?」

 怒ったように律に迫る奏を鈴が止める。律は目の前のシュワシュワとしている黒っぽい飲み物を口の中に少し含む。律が頼んだのも俺と同じコーラだな。紗月がそう思っていたところに、律の口が開かれる。

「俺はこれまでの自分にけじめをつけたい。そしてこれから一生、鈴と奏とクラシックギターを大切にしていくことを証明する。そのためにコンクールで入賞以上の成績を残す。それができなければ、けじめをつけることも証明することも叶わないと思っている。それに入賞以上の成績を残すことができれば、仮に離れていってしまった部員たちを呼び戻すことができなくても、部員が集まるきっかけになるだろう。もし、入賞以上の成績が残せなかったら、俺はクラシックギターを辞める覚悟だ。俺が辞めれば離れていった部員たちももしかしたら戻ってくるかもしれない。だけど、もう少しだけ俺のわがままを聞いてほしい。最後にコンクールに出場して、自分自身やお前らにけじめをつけるチャンスをくれないか?」

 律の言葉に奏も鈴も押し黙る。律がこれほどのことを考えているとは思ってもいなかった。そんな重い覚悟を含んだ空気が、沈黙としてこの場に立ち込める。しばらくして、奏がつぶやくように口を開く。

「律の言うことにも一理あるとは思う。けど、律が一人でそこまで背負いこむ必要ないでしょ? さっき言ったばかりじゃない、責任はみんなで負うって。私は律がクラシックギターを辞めるなんて許さないから!」

「いや、今回の問題は俺が原因だ。俺が負うべき責任だ。それに、そんな俺が入賞できなくてクラシックギターを辞める可能性が高いみたいな言い方するなよ。一応こんなんでも俺の実力は全国レベルだぞ!」

「なに偉そうなこと言ってんのよ! 自分で自分のことをすごいって言うやつほど、勝負事には弱いものよ! 強がりもいい加減にしなさいよ!」

「何だと? 事あるごとに俺の意見に反発しやがって。少しは俺のこと信じろよ! ったく、高校生になっても昔からガタガタうるさいのは直らないのは、本当に厄介だな」

「何ですって〜〜〜!?」

 早くも律と奏のバトルが始まろうとしている。ホント、この二人はよく喧嘩するよなぁ。紗月が呆れるを通り越して感心していると、目の前から落ち着いた声が挟まれる。

「コンクールには僕も出場するよ」

「……!」

「ええ!?」

「何だって!?」

 鈴の言葉に律、奏、紗月がそれぞれ目を丸くする。鈴はいつもの柔らかな微笑みを浮かべながら続ける。

「律一人がやるにしては負担が大きすぎるし、はなから律だけに重荷を背負わせる気はないしね。それに、あの時の僕たちの勝負のやり直しの場としては、申し分ないと思わないかい?」

 鈴の言葉に律がぷっと吹き出す。突然笑い出した律の様子に奏も紗月も驚く。声を立てて無邪気に笑う律は、まるで幼い子どものようだった。律は目に浮かべた涙を指で拭いながら答える。

「ああ、文句はねえ!」

 鈴と律が笑い合う。奏はその様子を見て、諦めたように肩の力を抜く。

「もう、わかったわよ。私は律と鈴を信じるわ」

 奏がテーブルの中央に自分の手を差し出す。その上に律が手を重ねる。鈴も後を追うように律の上に手をのせる。三人だけの儀式だと思っていたが、奏から声がかかる。

「ほら、紗月くんも。早く!」

「え? 俺もですか?」

「当たり前じゃない」

「お前ももう俺たちの大切な仲間だ」

「改めてよろしくね、紗月くん」

 奏、律、鈴からの言葉に、紗月は胸の奥に何か温かいものを感じる。

(ジュリアがこの人たちのために頑張りたいと言った理由がやっと分かった気がする)

 積まれた三人の手の頂上に、紗月の手が重ねられる。

 クラシックギターが繋いだ幼馴染三人の縁は、今やジュリアや紗月の元にも広がっている。その繋がりは今日という日を境に、より強く固くなったと感じずにはいられなかった。


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