第12話 幼き日・その2(律の回想)
クラシックギターとフォークギターの違いを説明するのに、少し熱が入り過ぎてしまったようだ。悪いことをしてもいないのに、申し訳ない気持ちが溢れてくる。
「ごめん。いきなりこんなに話されても分からないよね」
好きなギターの話をせがまれ、一人だけ舞い上がってたことに今更ながら気づく。律は気まずそうに俯き、鈴と奏から目をそらす。恥ずかしい。きっとおかしいと思われた。ギターの話が通じる同い年の子なんているはずないのに……。
律が先ほどの自分の発言を後悔していると、そこにさっきのギターの音とは比べ物にならないほどの声が響く。
「律ってすごい!」
律は驚いて声がした方を向く。鈴は周りに「あ、大きな声出してごめんなさい」と頭を下げながらも、頬を上気させて身を乗り出す。
「ギター、本当に詳しいんだね。ギターの博士みたい。すごくカッコいい!」
「でしょ? 私がスカウトして連れてきたんだよ! どう? 見る目あるでしょ?」
「どうして奏が自慢するんだよ……」
腕を腰に当てて胸を張る奏に、鈴は呆れたようなため息をつく。
律は驚いていた。律は幼い頃からクラシックギターを習い、学校の勉強よりもギターの練習の方に重きを置いてきた。学校が終わればギター教室や家で夜までギターの練習をし、夕飯を食べたら寝るまでギターの練習、というようなギター中心の生活。今もそのスタイルは変わらない。そのため律はギター以外の話題にはとてつもなく疎い。アニメを見たりゲームをしたり漫画を読むクラスメイトたちは、そんな律とあまり遊ぼうと思わなかった。自分が好きなギターの話題ばかり話す律のことを、みんな一歩引いた目で見た。一時期、そんな状況が嫌でクラスメイトたちが好きそうな話題を持ちかけたことがあったが、結局会話が盛り上がることはなかった。何よりも、律自身が話していて辛かった。それ以来、律は周りのクラスメイトとは距離を取るようになり、よりギターの練習に精を出すようになった。よりギターに熱中するようになると、友達がいないことも特に気にならなくなり、気持ちが軽くなった。自分にはギターさえあればいい、そう思って生きてきた。
そう思っていたのに……。今自分の目の前にいる二人は、律が一生懸命話したギターの話に気後れすることもなく、素直に「すごい」と言い感動してくれている。得意げに自慢げに話す律を嫌味に思わないでいてくれる。律の口から無意識に言葉がこぼれ出る。
「どうして……。どうして鈴も奏もギターの話聞いてくれるの? 自分が知らないことたくさん話されて嫌にならない?」
鈴と奏がきょとんとした表情を浮かべる。少しして奏が答える。
「嫌になるわけないよ。だって今日は律にクラシックギターとフォークギターのお話してもらいたくて、私がお願いしたんだもん。律、ギターのことすごくよく知ってるから、鈴と一緒に話聞いてみたかったの。鈴も律の話、面白いでしょ?」
「うん! すごく面白い! 弦の種類によって出せる音の具合が違うのも、電気を使って音を出すギターがあるのも初めて知った。僕が知らないことを、同い年の子が詳しく知っていて、それを先生みたいに教えてくれるのがすごく嬉しい。ありがとう」
「ねえ、もっと教えてよ。ギターのこと!」
鈴が律に笑顔で答え、奏が律にギターの話をせがむ。
律はこの時気付いた。
自分は自分が好きなギターの話を、こんな風に友達に聞いてもらいたかったことに。自分の話を聞いてくれる人に会えるのをずっと待っていたことに。
好きなことを素直に話すのって、こんなにも清々しくて気持ち良いものなんだと、今日初めて知った。
「うん! もちろん!」
口先だけではなく、心の底から初めて出た言葉。自然と笑えたのはいつぶりだろう。久しぶりに感じる気持ちが心地良かった。
「鈴、どうしたの? どこか痛いの? 大丈夫?」
奏の心配そうな声が聞こえ、律はギターを弾きながら奏と鈴の方へ視線を向ける。鈴が泣いていた。演奏を中断し、慌てて鈴へ駆け寄る。
「鈴、どうしたの? 演奏、良くなかった?」
首を軽く振り否定する鈴に向けて言葉を重ねる。
「本当に良かった? 何か気に触ることでもしたんじゃ……」
不安だった。せっかく律を、律のギターを受け入れてくれる友達に出会ったのに……。律にとってすでに大切な存在になってしまった理解者を失ってしまうのが怖かった。鈴が涙を拭いながら口を開く。
「違うんだ。律のギターの音があまりにもあったかくて……。いつも寒くて暗いこの場所に日の光が差したんだ。そしたらすごく嬉しくなって、それから涙が出て……。ごめん、嬉しいのに涙が出るなんておかしいよね」
鈴から紡がれる言葉が自分への非難ではなく、賞賛であることを知る。嬉しいのに涙が出る感覚を律は知っていた。世界的に有名な女性クラシックギタリストのコンサートに行った時に見た母の顔。演奏を終えた母が「すごく良かったね」と言いながら泣いているのを見て律は聞いた。「どうして泣いてるの?有名な人の演奏が聴けて嬉しいんじゃないの?」と聞くと、母は「感動したの。だから泣いてるのよ」と言った。
そう、鈴は感動したのだ。律のギターで。それがとても嬉しかった。自分のギターの演奏を聴いてくれるだけでもすごく嬉しいのに、感動までしてくれるなんて、これ以上の喜びはない。
その時、律の心の中で何かがカチッと定まった音が聞こえた。気づいたら口が勝手に動いていた。
「ねえ、一緒にクラシックギターやらない?」
鈴と奏がいれば、今よりもっとクラシックギターが好きになれる気がする。
そんな予感がした。
カーン! オーライオーライ!
金属バットの甲高い音とよく通る男子生徒の声が聞こえる。
突然眩しい光を感じて目を覚ますと、自分が第二音楽室にいることに気づく。少し開いた窓からは野球部員のハキハキした声と、夏の強い日差しを感じさせるような、元気な太陽の日差しが入り込んできている。どうやらいつの間にか居眠りしてしまったようだ。律はよろよろとした足を引きずり、窓のカーテンを閉める。カーテンを閉めても部屋が明るいことに、今日が天気の良い日であることを知る。ポカポカした陽気を感じ、眠気がなかなかおさまらない。
今日はなんだかすごく気分が良い。久しぶりに夢の中で見た、懐かしい思い出のせいだろうか。それとも、鈴と再会することが出来たからだろうか。
律はギター立てに立てかけていた自分のクラシックギターを手に取る。小学生の頃から使っているクラシックギターは、律にとって鈴や奏と同じような存在だ。言葉がなくても、なんとなく気持ちが分かる。そんな存在だ。軽く調弦し音階練習を始めると、いつもより機嫌の良い音が聞こえてきた。こんな感覚を味わうのはいつぶりだろうか。律は束の間の幸せをめいいっぱい堪能した。
最終下校時間ギリギリまで、今日は集中力を切らすことなく練習することが出来た。心地よい疲労感を感じながら、帰る準備を始める。
あの時果たせなかった鈴との勝負、ずっと心に突っかかっていたライバルとの勝負の決着をつける機会が訪れるとは思ってもいなかった。もう叶わないと思っていた鈴との勝負が実現することに、今から緊張感に似た感覚が湧き上がってくる。
今度こそ最高の勝負をしてみせる。憎しみに満ちた苦しいだけの勝負ではなく、勝っても負けても自分のことを、相手のことを好きでいられるような、そんな勝負。
鈴と再会して気づいた。鈴が自分にとってどれほど大切でかけがえのない存在か。鈴がいなかったら、律はずっと一人でクラシックギターを弾いていただろう。仲間と弾くことの楽しさに気づけずに、孤独というライバルとともに人生を終えていただろう。だからこそ、鈴と出会えて、鈴とライバルになれて、一緒にクラシックギターを弾くことができて、本当に幸せだと思う。
もちろん奏の存在だって律にとってかけがえのないものだ。奏が鈴との再会を実現させてくれた。奏がいたから、奏が律を思っていてくれたから、律はまた昔の、本来の律に戻ることができた。感謝してもしきれない。
今度の勝負で鈴に証明したい。俺は鈴と同じくらい強くなったと。それは自分自身への証明でもあるから。
律は挑むように一歩を踏み出した。
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