第10話 鈴を演じるために

 椅子の前に譜面台と足台あしだいを用意し、爪の状態を確認する。少し右手人差し指の爪が欠けていたので、持っていた紙やすりで軽く削る。クラシックギターを持ち、ヘッド部分にチューナーをはめる。上から順に六弦から一弦までの六本のナイロン弦を調弦していく。

 クラシックギターを弾く前の一連の流れがやっと板についてきたようだ。以前よりもストレスなく、自然に体が動くのを実感する。これも、鈴を演じると決めた時からほぼ付きっきりで指導してくれた奏のおかげだ。ジュリアは心の中で、奏に感謝の思いを伝える。

 演奏に入る準備は整った。「さあ、弾こう!」という流れで、ジュリアは一度目を閉じる。

 ジュリアはクラシックギターを弾く人間である前に、朝比奈鈴という人物を演じる人間だ。鈴に前に、鈴の意識を呼び起こし、鈴として演奏するためのイメージを思い起こさなければならない。鈴にまつわる全ての情報、容姿や性格その他諸々に至るまでを頭の中に集約していく。そして体全体に染み込ませるように、馴染ませるようにイメージしていく。

 ジュリアはゆっくりと目を開ける。ジュリアとして見ていたさっきまでの景色と、今見える景色が違うことを確認する。これが鈴が見ている世界。そして鈴が感じ思っている気持ち。

 手が勝手に弦を弾き始める。奏からもらった鈴の演奏動画と全く同じ演奏が現実に再現されていく。

 そして、ついにジュリアは鈴を演じることに成功した。


*****


 鈴を演じる許可を奏からもらうことが出来てから、ジュリアはすぐに鈴にための準備を始めた。

 鈴を演じるにあたっての課題は大きく分けて三つ。鈴の容姿を完璧に再現すること、鈴の性格や特徴を掴むこと、クラシックギターの演奏技術だ。

 鈴の容姿に関する課題は、以前ジュリアに見せてくれたメイク術を持つ紗月に協力してもらうことにした。ジュリアは最近、放課後ほぼ毎日美術室に通い、紗月に鈴のメイクを施してもらっている。ちなみに使っているのは油絵の具ではなく、今度はちゃんとした化粧品で、だ。

 使う道具が絵の具から化粧品になっても、紗月の技術の高さは変わらなかった。ジュリアの顔の骨格や肌の色・質をしっかり把握し、それに合った色合いのメイクを施している。使ったことがないはずなのに、目のメイクに使うマスカラやアイライナーの使い方は、女性であるジュリアよりはるかに上手い。人物画で培った審美眼がこんなところにも活かせるなんて、ジュリアだけでなく紗月本人も驚いていた。紗月は最近はもっぱら自分の作品を作るよりもジュリアのメイクをする方が楽しいみたいで、毎日新しい発見がある度に喜んでいる。

 しかし、気分屋なところがどうしてもあるので、気分が乗らない日や眠い日や絵を描きたい日は相手にもしてくれない。そんなこんなで紗月を制御するのはなかなか骨が折れるが、それでもそういう日じゃない時は一生懸命手伝ってくれる。

 大切な自分の時間を、他の誰かのために使ってくれる人間はそんなに多くない。そういった意味で、紗月はそんな数少ない人間の一人であり、また思いやりのある人間だ。ジュリアはそんな紗月と出会うことができて、本当に良かったと感じている。


 二つ目の鈴の性格や特徴を掴む課題については、先日奏から教えてもらった鈴の話と、そこから考えられる行動や考え方の方向性を推理・予測することで対応することにした。また、それらを体に叩き込むために、一日を鈴として過ごす訓練を何度も行った。鈴として過ごすことで、幼馴染である奏でさえ気づいていない鈴の特徴があるかもしれないことを見込んでのことでもあった。

 人は一人では生きておらず、学校では友達、職場では同僚、家庭では家族というように、絶えず誰かと一緒にいる。それは、極端ではあるが、街を歩いているときにすれ違う人々や買い物に行ったときにレジに立つ人なども例外ではない。毎日そんなたくさんの人々と過ごしているにも関わらず、自分以外の誰かのことを自分以上に知っている者は存在しない。たとえ無二の親友であっても血を分けた兄弟であっても、それは同じだ。他人である以上、分からないことには変わりない。

 だから、誰かを知るためには、その誰かに以外に方法はない。第三者として相手を見るのではなく、本人として相手を見る。上手く説明できないが、とにかく今回の場合だと、ジュリアとして鈴を知ろうとするのではなく、鈴として鈴を知ろうとするべきだ、ということだ。

 鈴を完璧に演じるためには、些細なミスも許されない。今回の場合で言えば、律に鈴の正体がジュリアだとバレれば終わりだ。クラシックギター部の廃部も現実となってしまう。それだけは避けなければならない。

 ジュリアは寝る時間以外は、その全てを鈴の演技に費やすことにした。もともと演技は好きだが、好きなだけでは乗り越えられないほどの苦しさもある。上手く鈴を演じられない時もあったが、とにかく続けることに集中した。

 そして無意識にでも鈴の演技が日常生活の中に現れるようになって初めて、鈴の演技が血肉になったのだと感じた。


 そして三つ目のクラシックギターの演奏技術に関する課題については、奏に頼んで送ってもらった鈴の演奏動画を研究することと、奏からの直接指導を持って乗り越えることにした。この課題は、クラシックギターを弾いたことのないジュリアにとっては本当に難しいものだった。

 鈴のクラシックギターのレベルは全国レベル。素人のジュリアが短い期間で追いつけることは不可能だ。だからジュリアは別の方法を考えた。それは、並外れた観察眼と集中力
を持つジュリアにしかできない方法だった。

 まず鈴の演奏動画を何十回、何百回と見て、鈴の演奏をひたすら観察した。手の動き、癖、所作、しぐさ、表情等、動画を通して見ることができる鈴の動きや特徴全てをくまなく観察した。そして同時に、頭の中で瞬時に鈴の動きが再生できるに至るまで、集中して鈴の動きを覚えた。

 人は何か新しいことを始めるとき、まずは形から入る人がほとんどだ。その原理を素直に実践することがジュリアが選んだ方法。ジュリアは、この方法でまずは鈴の演奏をコピーしようとした。鈴の演奏をコピーして、それをジュリア自身の体に染み込ませ、演奏技術の課題を解決しようとしたのだった。

 しかしこのやり方には当然リスクがある。思いつく限りでは、動画で見た演奏の曲しかコピーできないことだ。つまり、鈴が弾いたことがない曲や鈴が演奏している姿が映された動画がない曲は弾くことが出来ないということ。また、一から練習して曲を習得するということも当然できない。鈴を演じると言っても、中身はジュリアだ。コピーすることはできても、初めての曲を練習してそれを習得するまでにどのくらいの時間がかかるか想像もつかない。しかも練習一つとっても、鈴としての演奏が求められる。ジュリアにとっては、練習であっても全国レベルの練習が求められるに等しいのだ。そのため、出来うる限りの曲をコピーして、今手元にある材料でなんとか鈴を演じきる必要があった。

 これだけリスクが多いと、鈴を演じる選択自体が無謀で間違いだったと感じずにはいられない。しかし、ジュリアの武器はあくまでも演技だ。クラシックギターの演奏技術は、演技で使用する小道具の一つにすぎない。大切なのは鈴らしい演技をすること。技術ももちろん大事だが、今回の場合は、いかに律が疑わないほど鈴としての演技ができるかどうかだ。演奏の中にも鈴らしさを出さなければならない。

 それにはひたすら鈴の演奏を研究するしかない。鈴と同じ表現者として、ジュリアは演技という立場から、音楽の世界における表現の仕方を考えた。立場は違うが、表現の仕方には演劇と音楽で通じ合うものがある。その点では、ジュリアは音楽の分野に関して全くの素人といえるわけではなかった。

 考え方一つで可能性は無限に広がる。無いものを無いと決めつけて絶望するんだったら、有るもので可能性を広げようとする方がはるかに有益だ。何事も気持ちを強く持ち続けた者が勝利する。ジュリアはただ上手くいく未来だけを見据えていた。

 奏の丁寧な指導は、ジュリアの努力と相まって、ジュリアの鈴としての成長に大きく貢献した。奏は全国レベルの演奏技術を持つ鈴と律に最も近しい存在だ。奏は長年二人の演奏を誰よりも間近で見てきた人間でもある。実力は鈴と律に及ばないとしても、目は肥えている。奏の的確な指導は、見る見るうちにジュリアの鈴としての演奏技術を高めていった。


 それぞれの課題に向き合う毎日は、ジュリアにとって楽しくもあり苦しくもあった。しかし、ジュリアは確実に鈴を演じきる力をつけていった。

 鈴として律と対面する日は、刻々と迫っていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る