第2章

第6話 クラシックギター部

 森ノ熊高校の校舎は四階建てでL字型の造りになっており、L字型の直角にあたる部分を支点として、L字の最初の長い一画目にあたる部分は教室棟、短い二画目にあたる部分は特別教室棟と、それぞれ呼ばれている。教室棟には主に各学年の教室が配置されており、特別教室棟には音楽室・美術室・化学室・家庭科室・図書室・視聴覚室等といった特定の教科に関する教室が配置されている。各学年の教室については、一年生が四階、二年生が三階、三年生が二階というように割り当てられている。一階に関しては、教室棟にあたる部分には、下足箱がある玄関をはじめ、保健室や校長室・職員室等がある。特別教室棟にあたる部分には体育館が、外にはグラウンドがある。

 ジュリアと紗月は今、四階の特別教室棟にある第二音楽室前に来ていた。クラシックギター部の活動場所だ。第二音楽室は準備室と美術室の間に挟まれている。準備室を挟んだ反対側には、吹奏楽部の活動場所である第一音楽室がある。

 今日は吹奏楽部の活動日のようで、第一音楽室からは金管楽器や打楽器の力強い演奏が漏れ聞こえてくる。新入部員を加え、新しい体制での練習が始まったばかりにも関わらず、廊下には統一感のある息のぴったり合った演奏が響きわたっている。

 ジュリアは目の前の教室に目を向ける。吹奏楽部とは対照的に、クラシックギター部の活動場所であるはずの第二音楽室からは何も聞こえてこない。

(今日は活動お休みの日だったかな? それとも……)

 動きを止めたままのジュリアの耳に紗月の声が届く。

「中に誰かいるみたいだね。カーテン閉め切ってるみたいで、よく見えないけど」

 紗月は扉の窓からじっと中を覗くようにして見ていた。

 ジュリアは意を決したように扉に手をかける。

 室内はすべての窓にカーテンがかけられ薄暗かった。教室前方には黒板があり、第一音楽室と同様、そこには五線譜が引かれていた。教室後方には歴代のクラシックギター部員が勝ち取ったであろう賞状やトロフィーの数々が、透明なガラスが嵌められた棚の中に保管されている。そして教室中央には、数十台ほどの椅子が半円状に並べられている。合奏等で使用するために、常に並べられているのだろう。その左右には大小様々なクラシックギターが並んでいる。

 ジュリアは、たくさん並べられた椅子のうちの一つに座る人物に目を向ける。相手も突然教室に入ってきたジュリアたちを見ていた。

 癖がなく清潔感のある黒髪、整った眉、少し吊り目の瞳は、神経質で気難しそうな雰囲気を感じさせる。上履きのラインは三年生を示す青色。三年生だというのに、上履きも制服も使い古された感じがなく綺麗だ。ネクタイもきっちり締めており、この青年が几帳面であることがうかがえる。

 ジュリアははっとする。数日前、ジュリアがこの第二音楽室で見た二人のうちの男子生徒の方であると気づく。男子生徒はクラシックギターを抱えたまま、こちらに不機嫌そうな目を向ける。

「……誰だ」

「あの、一年三組の真白です。クラシックギター部の方ですか?」

「だったら何だ」

「生徒会の依頼で来ました」

「依頼?」

「先日、目安箱にこのような投書がありました」

 ジュリアは目安箱に投書された紙切れを男子生徒に渡す。男子生徒はいぶかしげに内容を確認する。ジュリアはおどおどしながらも、説明を続ける。

「クラシックギター部を廃部の危機から救うために来ました。まずは状況把握のため、クラシックギター部の方からお話しを聞こうと思って……」

かなでのやつ、余計なことを……」

 男子生徒は苛立ったように舌打ちする。そして興味を無くしたように、投書された紙切れを床に捨てる。ジュリアはさっきよりも気まずくなった雰囲気に冷や汗をかく。

「あ、あの……」

「話すことは何もない。練習の邪魔だ、出て行け」

「で、でも……」

「出て行けと言ってるだろう!!」

 突然の怒鳴り声にジュリアは目を丸くする。その場から逃げたい衝動に駆られるが、足がすくんで動かない。怖いという気持ちが体を支配し尽くそうとしている時、目の前に紗月の大きな背中が現れる。

「いきなりそんな風に怒鳴らないでくださいよ、先輩」

「紗月くん……!」

 突然目の前に出てきた紗月に少し驚くと同時に、ジュリアは少し安心感を覚える。

「誰だ、お前」

「同じく一年の紗月です。少しでも良いので話を聞かせてくれないすかね」

「部外者には関係のないことだ。さっさと出て行け!」

 紗月の飄々とした説得も、呆気なく失敗に終わる。紗月はめんどくさそうに頭をかきながら口を開く。

「出て行け出て行けって、そればっかだな。あんたみたいな人がいるから、みんなクラシックギター部辞めていったんじゃないんですか」

「何だと!?」

 男子生徒が片腕で紗月の胸ぐらを掴む。男子生徒が立ち上がった瞬間、支えを失ったクラシックギターが勢いよく倒れる。ボーンという重低音が部屋の中に響き渡る。ジュリアは慌てて二人の間に割って入ろうとする。

「お、落ち着いてください! 悪気があったわけじゃないんです! ほら、紗月くんも謝って」

「悪気はあったから、謝らない」

「お願いだから、今はそんなこと言わないで〜〜〜」

 男子生徒が胸ぐらを掴んでいない反対の手で拳を作り、紗月に殴りかかろうとする。

りつ! 何やってるの!?」

 大きく鋭い声が律と呼ばれた男子生徒の動きを制止する。男子生徒の拳は紗月の目の前まで迫っていた。

 男子生徒はちっと舌打ちをし、掴んでいた紗月の胸ぐらから手を離す。それから倒れたクラシックギターを拾い上げ、様子を確認した後、側にあったギターを立てる場所にゆっくりと置いた。そして机の上に置いてあったリュックを手早に背負い、第二音楽室後方の扉から教室を後にする。

「ちょっと待って! 律!」

 教室前方の出入り口には女子生徒が立っていた。肩下までのセミロングに気の強そうなぱっちり二重。身長はそんなに高くなく小柄だが、学年を示す上履きのラインは青色。そしてさっき発せられた高い声。間違いない、数日前にジュリアが見かけた女子生徒だった。

 女子生徒は去っていく男子生徒を呼び止めるのをやめ、諦めたようにため息をつく。ジュリアたちもひとまず予想された展開が間一髪のところで免れたことに安堵のため息をつく。

「た、助かった……。紗月くん、大丈夫?」

「大丈夫だけど疲れた」

「ごめんなさい、怪我はない?」

 いつの間にかさっきの女子生徒が近くに立っていた。申し訳なさそうな顔をしながら、ジュリアと紗月に頭を下げてきた。

「大丈夫です! そんなに気にしないでください」

「そう?」

「私たちが急に押しかけてしまったのが悪いんです。……あの、クラシックギター部の方ですか?」

「そうだけど……あなたたちは?」

「一年三組の真白ジュリアです。こっちは紗月くんです」

 紗月は軽く頭を下げる。

「実は目安箱にこのような投書があり、生徒会の依頼を受けてここに来ました」

 ジュリアはさっき男子生徒に捨てられた投書の紙切れを拾い上げ、女子生徒に渡す。女子生徒は内容を見た瞬間、驚いたような表情を浮かべる。

「これ、私が書いたものよ」

「え!?」

 女子生徒はゆっくりと頷く。

「私は三年四組の深山みやまかなで。クラシックギター部の副部長をしているわ。生徒会に頼んだのに、まさか一年生が来るとは思わなかったわ。あなたたち生徒会の人、よね?」

「生徒会の者ではないんですが……えーと」

 ジュリアは頭を抱える。うーん、この場合どう答えたら良いのか。

 ジュリアに疑わしそうな目を向ける奏に、紗月が答える。

「いろいろあって生徒会に欠員が出たので、俺たちがその代わりを務めることになりました。学年は違いますが、生徒会長とはこの学校に入学する前から交流があって、その縁もあり今回生徒会長から直接依頼を任されました」

「なるほど、そうだったのね。あの生徒会長のお友達なら信頼できるわ」

 ジュリアは紗月をこっそり睨むが、当の本人はとぼけたように明後日の方向を向いている。

(あんな作り話がすぐに思いつくなんて……嘘はつきたくないけど、とりあえずはこれで押し切ろう)

 心苦しさを胸に秘めつつも、ジュリアは奏に改めて向き直る。

「それじゃあ、さっそく話を聞かせてもらって良いでしょうか? できれば部長さんからも話を聞きたいのですが……」

「さっき出て行ったやつが部長よ。今日はもう会うのは難しいかも」

「え!? さっきの人が部長!?」

 ジュリアは思わず紗月と顔を見合わせる。いつも眠そうな紗月も、眠気が吹き飛んだような顔をしている。あの人が部長……。数日前に見た時も今日会った時も怒鳴ってばかりだったため、ジュリアの中には怖い人というイメージがついてしまっていた。

 奏は二人の反応を見て、またもや申し訳なさそうな顔をする。

「そうよ。彼が部長。ごめんなさい、でも本当は穏やかで優しい性格なの。ちょっといろいろあって……」

 奏の気が強そうな瞳に、寂しげな光が宿る。しかしそれも一瞬で、奏はすぐに言葉を続ける。

「名前は常盤ときわりつ。律と私は小学生からの幼馴染なの。だから、あいつがいなくても、あなたたちが聞きたいことはある程度話せると思う」

「わかりました。じゃあ、さっそく聞かせてください。この投書の理由を」

 ジュリアは奏をまっすぐに見据える。奏はゆっくりと口を開いた。

 

 





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