第5話 生徒会長
帰りの
ジュリアも席を立ち、荷物をまとめる。そしてすぐ右斜め後ろの席の人物に声を掛ける。
「紗月くん」
「うん、行こうか」
ジュリアと紗月は並んで教室を後にする。
廊下に出ると、多くの生徒で賑わっていた。二人は人の波をかき分け、やっとのことで階段に行き着く。そのまま四階から二階まで、出勤ラッシュの波に乗るが如く、流れに身を任せながら降りていく。やっとのことで目当てのフロアに流れ着いた時には、言いようのない疲れを感じていた。
「この時間帯はやっぱり廊下も階段も混むよね」
「本当だよ〜。だからいつも少し時間ずらして美術室に向かってるのに……」
「そういえば、今日は部活の方、大丈夫だったの?」
「美術部は顧問も来ないし先輩も受験だから、好きな時に行って好きな時に帰れるから全然大丈夫」
「そっか……」
「……緊張してるの?」
「うん。……紗月くんは?」
「全然」
二人はとある教室の扉の前で立ち止まる。後ろの窓から差し込む光が反射して、扉についている窓からは中の様子が見えない。
ジュリアは意を決したように、軽く握った拳で扉をコンコンコンと三回叩く。
「どうぞ」
部屋の奥から声が聞こえる。扉に手をかけ、ゆっくりと横に引いていく。足を踏み入れ、後ろ手に扉を閉める。ガラガラという立て付けの悪い音が鳴った。
ジュリアは部屋の奥に視線を向ける。視線の先には見覚えのある長身と眼鏡をかけた男子生徒の姿あった。
「ようこそ、生徒会室へ」
それが、昨日ジュリアが演じた生徒会長・天川本人と
部屋の中央に並べられた五つの机。二、三人がけの机を四つ向かい合わせに並べ、残りの一つは誕生日席と呼ばれる位置に配置されている。どの席に座っても見やすい位置にホワイトボードが置かれ、その他の壁際のスペースは棚で埋め尽くされていた。一つ一つの棚には、歴代の学校行事や生徒会活動に関連した資料がびっしりと隙間なく整然と並べられていた。
誕生日席から見て右側の机の席に、二人は腰を下ろす。教室の椅子と違って、背もたれがなく座面が丸い事務椅子の座り心地に顔をしかめる紗月の顔が横目で見えた。
天川は誕生日席には座らず、ジュリアと紗月の正面の机に腰を下ろした。そして、懐から何かを取り出しながら口を開く。
「突然呼び出してすまなかったね。はい、これ」
目の前に小さな紙パックが置かれる。パッケージには、かわいい牛の顔と赤や黄色の花のイラストが描かれていた。さらにイラスト上部には『やさしいミルクコーヒー』というポップな文字が踊っていた。
「え、いいんですか?」
ジュリアは嬉しそうにミルクコーヒーを手にする。学校の売店にある自販機でよく目にするものの、売り切れになるのが早いので、なかなかありつけないものでもあった。甘いもの好きにとっては、毎日の生活に欠かせない貴重な存在である。
「もちろん。そのために用意したんだ。遠慮なく飲んでいって」
「ありがとうございます!」
ジュリアは早速紙パックにストローをさし、ミルクコーヒーを口の中に含む。濃厚なミルクの中に、ほのかに香るコーヒーの苦味。ミルクのこってり感がしっかりと感じられるものの重すぎることはなく、爽やかな甘味として喉を通り過ぎていく。程よい甘さを堪能した口の中は、まるで優しさを体の中に満たしたような、そんな満足感でいっぱいだった。
「……甘い」
隣から聞こえた不満そうな声をジュリアは聞き逃さなかった。
「そこがこのミルクコーヒーの醍醐味! 滅多にありつけないんだから、ありがたく味わって飲まなきゃ! ほら、飲んで! ……って、あれ?」
紗月のミルクコーヒーを持ち上げたジュリアは首を傾げる。そしてミルクコーヒーのパックを左右に振る。
「え、空? もう飲んだの!?」
「うん」
「紗月くんって、甘いもの好きなの?」
「うん」
「じゃあさっきの不満そうな声は何だったの?」
「うん」
「話聞いてないでしょ!?」
ジュリアが紗月を問い詰めようとした時、笑い声が聞こえる。
「ハハハ、気に入ってもらえてよかったよ。二人は仲が良いんだね」
「そ、そんなことありません!」
「前よりは仲良くなったじゃん」
「そ、それはそうだけど……それとこれとはまた違うというか……」
「どう違うの?」
「えーと、それは……」
ジュリアは真面目に答えようとして、頭を抱える。
(あれ? いつの間にか紗月くんに言い負かされてる……?)
頭の中が混乱してきたところで、横から気だるそうな声が聞こえる。
「ねぇ、そろそろ本題に入ってもらってもらいたいんだけど」
「紗月くん! 生徒会長にタメ口なんて……」
「ああ、ごめんごめん。ちょっと待ってね」
紗月の言葉を気にも止めず、天川はいそいそと席を立つ。後ろの棚からファイルを取り出し、さらに中から一枚の用紙を抜き取る。
「これが二人をここに呼んだ理由だ」
「これは……?」
「目安箱に投書されたものだ」
目安箱。森ノ熊高校に通う生徒たちがより良い学校生活を送れるよう、生徒会が設置した意見箱だ。目安箱によって集められた生徒たちからの意見・要望は、生徒会を通してその一つ一つが吟味され、学校生活水準の向上や改革にあてられる。なお、投書については記名をしても匿名で出してもどちらでも良いこととなっている。より自由で柔軟な意見・要望を尊重するがゆえの、生徒会としてのささやかな配慮であるといえる。
ジュリアは天川に差し出された投書を手に取る。名前のない文章だけのただの紙切れ。しかし、癖のない綺麗な字で書かれた文章からは、その見た目に反して差し迫ったものを感じさせた。
「これって……!」
横から覗き込んでいた紗月が、投書を見て固まっているジュリアの代わりに内容を読み上げる。
「『クラシックギター部を廃部の危機から救ってほしい』……? クラシックギター部が廃部の危機?」
クラシックギター部は、吹奏楽部が相手にならないほどの実績を誇り、演劇部に引けを取らないほどの勢いがある部活動だ。去年も地区のクラシックギターコンクールで金賞を獲得したばかりだったはずだ。そんなクラシックギター部が廃部の危機だなんて……。
「一体、どういうことなんですか? クラシックギター部が廃部するなんて、信じられません」
ジュリアの問いに、天川は静かに答える。
「新学期が始まって一ヶ月の間に、部長と副部長を除いた全部員が、顧問に退部届を提出したそうだ」
「……!」
「えっ! 全部員が!? どうしてそんな……」
クラシックギター部の部員数は確か50名近くいたはずだ。そのほとんどが退部するなんて、一体何があったというのか。
天川はジュリアたちからの問いを予測していたかのように、表情ひとつ変えずに淡々と説明する。
「これまで部長を務めていた者が、去年の冬、交通事故に遭い、今も意識不明で入院している。彼の代わりに今年から部長を務めることになったのが、元副部長でもあり彼の親友でもある者だった。しかし、新部長は部員に対して非常に厳しく、その行き過ぎた言動や行動が原因で、部員のほとんどが辞めることになったそうだ」
「クラシックギター部でそんなことがあったなんて……」
「へぇ〜。今時そんな部長いるんだね」
デリカシーのなさを感じつつも、紗月の発言につい納得してしまう。
音楽系の部活は、特別なものでない限りは、合奏を中心とした部活動だ。そのため、部活動においてチームワークは必須であり、それがないと演奏すら出来ない。チームワークを乱す原因となった新部長の行動は、音楽系の部活動にとっては非常に致命的であったといえる。しかし、部長を務めるほどの人物が、本当にそのチームワークの重要性を疎かにしていたのだろうか?
ジュリアが考え込む前で、天川が机の上で手を組みながら続ける。
「そして最終的に残ったのが例の新部長とその幼馴染の二人のみ。入院している元部長はまだ部に在籍しているものの、部に戻れるのはいつになるか分からない、いや、戻れるかどうかすら分からない状況だ。このままだとクラシックギター部は廃部を免れないだろう」
「それで、この投書に繋がるわけか……」
(そういえば、数日前、第二音楽室で言い争っている三年生を見かけた。あの時の二人が今も部に残っているという二人なのかな?)
ジュリアは紗月と初めて出会う前に目にした第二音楽室での男女の口論を思い出す。あの時すでにクラシックギター部は危ない状況だったのかもしれない。
「話が少し脱線してしまったが、君たちにはこの投書の内容の解決を頼みたい」
「か、解決ですか!?」
ジュリアは天川から発せられた言葉に唖然とする。
「どうして私たちが……こういったものは生徒会役員が対応するものじゃないんですか?」
「君にお願いしたいんだよ、真白ジュリアさん」
「私に……?」
天川は眼鏡のフレームを軽く直した後、ゆっくりと顔を上げ、ジュリアをまっすぐに見つめる。全てを見透かされているような切長の瞳に、ジュリアは少し身じろぎする。
「昨日、そちらの彼を助けたそうだね。この僕を完璧に演じるなんて大したものだ」
「べ、別に、そんなことは……」
「あの不良たちには前々から悩まされていたんだ。それを君はあっという間に解決してしまった。生徒会の代わりに、彼や生徒たちを守ったんだ。君のその力を埋もれさせたままにしておくのは非常にもったいない。ぜひその力を生徒会に貸してもらいたい」
この通りだ、と天川は頭を下げる。学年一位の学力と教師や生徒からの厚い信頼を受ける人物からの思いもよらない懇願に、ジュリアは目を丸くし慌てる。
「あああ、あの、顔を上げてください! 私は生徒会長に頭を下げられるほどの人じゃないです! 昨日のことだって、紗月くんを助けることに必死だっただけで……」
ジュリアは天川の顔を上げさせようとするが、相手の顔は一向に上がらない。生徒会長の意思の強さを感じ、ジュリアはあっという間に折れてしまう。
「……分かりました。至らないところばかりですが、ぜひ生徒会のために使っていただけたらと思います」
「本当かい? ありがとう、真白さん!」
ジュリアの承諾の言葉を受けた途端、喜びに満ちた顔で握手を求めてきた天川に、ジュリアもつい握手で答えてしまう。
「い、いえ……」
(とはいったものの、何からどうやってやれば……)
「自分の土俵に持ってくればなんとかなるんじゃない?」
これまで黙っていた紗月が、だらしなく腕を頭の後ろで組みながら口を開く。
「自分の土俵?」
「つまり、自分の得意分野で解決するってこと。分かりやすくいえば、今回のクラシックギター部の廃部危機を、ジュリアの得意分野、つまり演技で解決するってこと」
「ええ!? 部活の廃部を演技で何とかするってどういうこと?」
「そんなの知らないよ、それを含めて考えるのが今回の任務なるってことでしょ」
紗月の言葉を受けて、ジュリアは前に座る天川を見る。天川は不自然すぎるほどニコニコしていた。
「な、なるほど……」
ジュリアは顔を引き攣らせながらも、紗月の言葉を頭に浮かべる。
(得意分野を活かせるなら、なんとかやりようもあるかもしれない。でも私は……演技の道を進んではいけない人間だ)
ジュリアは唇を噛む。
(本当はもっといろんな演技に挑戦してみたい。天川生徒会長を演じた時だって、すごく楽しかった。幸せだった。本当の自由を掴んだ気がした)
ジュリアは天川を演じた時のことを思い出す。自分は確かに生きていると、そう感じられた時間だった。
(でも、これ以上はダメだ。あの時と同じことになってしまう)
ジュリアはぎゅっと目をつむる。ここで引かないと後戻りできなくなる。心の葛藤で胸が苦しくなってきた時、気遣うような声がかけられる。
「大丈夫? 具合悪い?」
紗月がジュリアの顔を覗き込んでいた。ジュリアは首を振る。
「ううん、大丈夫」
「……さっきの言葉は適当に言ったんじゃないよ」
紗月が語りかけるように口を開く。
「生徒会長を演じている時のジュリアはとても幸せそうだった。そしてジュリアだったら、その幸せをいろんな人に分けてあげることが出来ると思ったんだ」
「私の幸せをみんなに……」
「俺は人物画を描くから分かるんだ。ジュリアがなんとなく演技することに対して引きぎみなのも、どうしようもなく演技することが大好きだってことも。二つを天秤にかけて、いつもその重さを計りかねている」
ジュリアは目を見開く。紗月は気づいていた。ジュリアの苦しみに。
「だからこそ、いい加減、自分自身に証明すべきだ。君の本当の気持ちを」
紗月はジュリアをまっすぐに見据えていた。まだ見たことがない紗月の真剣な表情からは、ジュリアを責める感じではなく、打ち勝ってほしいという応援に似た感じが伝わってくる。
「この依頼をこなすことが、それを証明することの鍵になると、俺は思う」
(紗月くんが一生懸命応援してくれている。私もいつまでもこんな気持ちを抱えているなんて嫌だ。……証明するんだ、私自身に。私が本当に進みたい道を)
紗月の言葉に、これまで慌しかった心臓の音が少しおさまる。
「ありがとう、紗月くん。私、頑張ってみる」
「そっか」
紗月もジュリアの様子を見て安心したように微笑む。そしてさらに続ける。
「とりあえずはまず、投書した人に会って、話を聞くのがいいんじゃない?」
「うん。そうだね。多分投書した人は、クラシックギター部に関係のある人だと思うから、まずはクラシックギター部に行ってその人を探すところから始めよう」
「俺もそれがいいと思う」
「よし! じゃあ行こう、紗月くん!」
「え、俺も?」
「当たり前でしょ、ここに一緒に呼ばれたんだから、紗月くんと二人でってことだよ」
「え、だって、さっきジュリア一人に頼みたい、みたいなこと言ってなかったっけ」
紗月は天川に向かって確認するが、天川は眼鏡を拭いたまま答えない。
「お、おい!」
「ほら! 行こう、紗月くん! じゃあ、天川先輩、失礼します!」
ジュリアは紗月を無理やり引きずるようにして、生徒会室を後にする。
(今日クラシックギター部は活動日だったかな? 誰かいるといいけど……)
気付けば、左手で引きずっていたはずの紗月が消えていた。開いている生徒会室の扉から見える紗月の後ろ姿に声を掛ける。
「紗月くーん! 早く行こう!」
ジュリアの呼びかけに紗月がすぐに駆けつける。
「何してたの? 忘れ物?」
「忘れ物といえば忘れ物かな? 聞き忘れ?」
「何それ」
いつもの要領をえない紗月の回答に笑みを浮かべながら、ジュリアは階段をゆっくり登り始めた。
*****
「あ、そういえば」
ジュリアに掴まれた腕からさりげなく逃れ、紗月は生徒会室を出る寸前で立ち止まる。
「昨日のあいつの武勇伝、一体誰から聞いた?」
天川がゆっくりと振り向く。窓からの光が逆光となり、顔がはっきり見えない。
「この学校で起こるすべてのことは、どんなに小さなことでも僕の耳に毎日届けられる。生徒会長である以上、それは避けられない」
紗月は後頭部をかきながら、面倒くさそうに答える。
「まあ、そう答えるだろうな」
「……何が言いたい?」
「分かってるくせに聞くなよ。……あいつを選んだ理由は何だ?」
紗月は睨みつけるように天川を見据える。相変わらず逆光で表情は窺えないが、一瞬、相手の顔に笑みが見えたような気がした。
「紗月くーん! 早く行こう!」
後ろからジュリアの明るい声が聞こえる。紗月はため息を落とし、いつもの気怠げな表情を浮かべる。
「ま、いっか」
紗月は扉を閉め、ジュリアの元へ駆けて行った。
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