第4話 ジュリアの挑戦

 太陽が大分傾いてきたようだ。カーテンの隙間から差し込む陽の光は、さっきよりも濃いオレンジ色に染まっている。光を受けた石膏像は、彫りの深いその顔立ちをさらに際立たせてたたずんでいた。

 平穏を邪魔されたことに腹を立てたような、厳しい表情を向けてくる石膏像や自画像の主たちに、不良の一人は少し及び腰になる。

「おい、そろそろけりつけちまおうぜ」

「そうだな、長引かせるのはよくない。誰かに気づかれると面倒だ」

「そういうことだ。残念だが、お前にはあいつの代わりになってもらう。恨むならあいつを恨め」

 不良の一人が俯いたままの紗月の胸ぐらを掴み、握った拳をふりあげる……。

「そこまでだ」

 静かでありながら、どこか威厳を感じさせるような声が教室内に響く。

 不良たちは声がした方向を振り向く。美術室前方、黒板の前に突然現れた人物を見て、不良たちは目を見張る。

「お前は……! 天川!」

「生徒会長のお前がどうしてここに……?」

「どうしても何も、それはこちらのセリフだ。お前ら、ここで何してる?」

 天川は、少しずつ不良たちに向けて歩き出す。

「僕はすごく忙しいんだ。だからあまり手をわずらわせないでくれ」

 天川が金髪の不良の目の前に立つ。金髪の不良は少したじろぐも、相手を恨めしそうに睨みつける。

「な、なんだよ! 俺たちが何したっていうんだ! 証拠もないくせに偉そうにしやがって!」

 ニット帽と長髪の不良も側から口を出す。

「そうだ! そうだ! 俺たちは何もしていない!」

「どちらかといえば、何かやってきたのはテメェが先じゃねーか!」

 金髪の不良が天川をねめつける。

「その通りだ! もとはといえば、お前が俺たちにあんなことしたから……ゔっ!」

 天川が金髪の不良の口を両手で押さえつける。そして不良の目線に自分の目線を合わせる。

「言い訳なんて見苦しいと思わないの? 男でしょ!」

「へ……?」

「ゴホンッ! ……この期に及んでまだ言い訳を続けるつもりか? 証拠が上がっているからこそ僕がここにいる。まさかこの僕が何の証拠も掴まずにのこのここんなところへ足を運ぶとでも思ったのか?」

「そ、それは……」

「確かに……」

 ニット帽と長髪が顔を見合わせる。

 天川は立ち尽くす紗月を横目で見た後、金髪の生徒の顔に自分の顔を近づけ脅すように耳元に囁く。

「……もう二度とこいつに近づくな。約束を破ったら……どうなるか分かるな?」

「くっ……。分かった」

 天川が金髪から離れる。よろけた金髪をニット帽と長髪が支える。

「お前ら、行くぞ」

「あ、ああ」

 不良たちは逃げるように美術室を後にする。

 天川は廊下を覗き、不良たちの姿が見えなくなることを確認すると、大きくため息をついた。

「ふぅ、何とかなったか」

 そして額を腕で拭い、ずっと不良たちに囲まれていた紗月の元へ駆けつける。

「大丈夫? 怪我はない?」

 紗月の顔を下から覗き込もうとした時、後ろから抱き込まれるように紗月にひきつけられる。

「えっ!? な、何!?」

 徐々に近づいてくる紗月の顔に耐えられなくなり、思わず目を瞑る。

「なるほど、よく生徒会長に化けたね。さすがはジュリア。でも完璧というにはまだ足りないかな」

 顔に何かが触れている。それが何なのか考える余裕があるはずもなく、ジュリアはその感覚が無くなるのをただただ待っていた。心臓が持たない。どうしようと思っていると、紗月が自分から離れていくのを感じる。

 恐る恐る目を開けると、紗月が笑っていた。そしてどこから持ってきたのか、比較的大きめの手鏡をジュリアの目の前にかざす。手鏡を覗き込んだジュリアは目を丸くする。

「これ、紗月くんがやったの? 私が自分でやったメイクよりも全然良くなってる! どこからどう見ても天川生徒会長の顔そっくり!」

 鏡に映るのは生徒会長・天川の顔だった。さっきと違うのは、その精度の高さ。ジュリアは顔をいろんな方向に向けながら天川の顔を確認する。どの角度から見ても天川の顔そのままで、ジュリアを感じさせる要素や雰囲気の一才が削ぎ落とされた、完璧な顔だった。

「紗月くん、メイク得意なの? モノマネメイクどころの完成度じゃないよ、これ! すごい!」

「メイクなんてやったことないからよく分からないけど、生徒会長の人物画をジュリアの顔に描くことを考えたら、今のジュリアの顔には足りないものが結構あったから……」

「足りないものって何だったの? どうしたらこんな風にできるの?」

 ジュリアは手鏡を見ながら手を顔に滑らせる。すると、べちゃっとしたものが手につく。……ん? 何、これ……? 

「ああ、手近にあったのが油絵の具だったから……」

「油絵の具……」

「俺も顔に描くのは初めてだったからどういう仕上がりになるのか分からなかったけど、案外どうにかなるもんだね。あ、油絵の具は乾くまで時間かかるから気をつけて」

「気をつけて、じゃないでしょ!? 人の顔にいきなり絵を描くなんて! 落書きじゃないんだから!」

 ジュリアは怒って立ち上がる。ジュリアの様子にただならぬものを感じた紗月は、咄嗟とっさにジュリアから距離をとる。

「どうして怒るんだよ! だって君もさっき俺の技術を褒めてくれたじゃん。しかも俺が君の顔に描いてる時じっとしてたし……」

「あ、あれはあれ、これはこれよ! もう容赦しないから!」

 ジュリアは紗月を捕まえようと追いかける。紗月はジュリアから逃げるために室内を走り回る。

 しばらく二人の攻防は続いた。しかし、いつの間にかお互いの顔には笑顔が浮かんでいた。

 こんな風に誰かはしゃいだのは久しぶりだ。何だか今の状況がおかしくなってきて、どこからともなく笑いが込み上げる。それは紗月も同じだったようだ。さっき一瞬見えた表情のない顔が嘘だったかのような柔らかな笑みに、ジュリアはほっとする。

「まあ、今回は許してあげる。なんとかなって本当によかった。紗月くん、怪我はない?」

「俺は全然大丈夫。それよりもどうやって生徒会長になったの?」

「ああ、これは……」

 ジュリアは頭に被っていたカツラと履いていた上履きを脱ぐ。

「演劇部の副部長さんに頼んで、カツラとこの上履きを借りたの。上履きは演劇部専用のシークレットシューズ。これを履けば身長を10センチ前後高く見せることができるんだ。ついでに今着ている男子用の制服も演劇部員の人から借りたもの。メイク道具は自分のだけど。あとは全部演技」

「これだけで生徒会長を演じるなんて……すごいよ。本物そっくり、いや、同一人物だといえるぐらいだ。本当に感動した」

「感動したなんて……言い過ぎだよ」

「あと、声ってどう出したの? さっきは確かに生徒会長の声が聞こえた」

「私、結構声域が広くて。アー、アー、アー、アー、アー……」

 ジュリアは、高い声から低い声をドレミ調で出していく。女性が出せないはずであろう声域の音まで出していく。

「すごい……」

「あまり低いすぎる声は出せないけど、生徒会長くらいの声までだったらギリギリいけるかなぁと」

「でもどうして生徒会長を演じようと思ったの?」

「今日、天川生徒会長を見たの。その時、側にいた演劇部の副部長さんから、生徒会長の話を聞いて……泣く子も黙るほどの力を持つ生徒会長だったら、不良たちも太刀打ちできないんじゃないかって思って」

「そんな無茶な……」

「でも無茶じゃなかったよ。紗月くんを助けることができた」

 ジュリアは嬉しそうに笑みを浮かべる。

 紗月は諦めたようなため息をつきながらも微笑む。

「まあ、そうだね。君らしい、というか君しかできない助け方だった。ありがとう」

「どういたしまして。でも、紗月くんの絵が……」

 ジュリアは床に落ちていたキャンパスを拾い上げる。木枠に貼られた布は無惨に破かれ、修復不可能な状態だった。

「紗月くんが一生懸命、時間をかけて描いた絵を守れなくてごめんなさい」

「ジュリアが謝ることはないよ。この絵は、もういいんだ」

「あ……」

 紗月はジュリアが抱えていた絵を近くのゴミ箱に投げ捨てる。

「そんな、せっかくの絵なのに、そんな風にしなくても……」

「いいんだ。もっと描きたいものが見つかったから」

 自分の作品を捨てたことに少しの未練もないように、紗月はジュリアに笑いかける。

「だから、また新しいものが描けるのが楽しみなんだ」

「そっか、じゃあ私も紗月くんの絵が出来るの楽しみにしてるね」

 目の前を柔らかな春の風が通り抜ける。

 心地よい風が気持ちよかった。


*****


 太陽もすっかり山の端に沈み、空にはすでに濃い藍色の帷が下ろされていた。

 カーテンを閉め、空いていた椅子の一つに腰を下ろす。

「……報告は以上です。では失礼します」

「今日は助かったよ、ありがとう」

 扉がガラガラと音を立てて閉められる。

 室内には自分だけ。これまで使っていなかった椅子の背もたれに、だらしなく体を預ける。かけていた眼鏡を外し、手を腹の上で組み、軽く目を瞑る。このまま目を閉じていたい衝動に駆られるが、我慢して早くも目を開け、姿勢を元に戻す。

 机の上には、たくさんの写真が散らばっていた。その一つを手に取る。そしてそのまま側にあったホワイトボードに写真を磁石で貼り付ける。

「なかなか面白い人材のようだ」

 机の上に置いた眼鏡のレンズに軽く息を吹きかけ、ほこりをはらい掛け直す。

「真白ジュリア、か……」

 

 



 

 


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