第3話 紗月の危機

 次の日の放課後。

 ジュリアは今日も演劇部が練習している体育館を覗いていた。

「見つけたぞ、姫。もう諦めろ」

「嫌よ! 絶対諦めない! 信じてるんだから!」

「残念だったな。お前の求めているあいつは、もうこの世にはいない」

「え……」

「はい、カーーーット!」

 ステージ上に立つ男女二人の間に、例の如く、丸めた台本を片手に持ったあの女子生徒が割って入る。どうやら姫役の表情がイマイチだったようだ。女子生徒が姫役の生徒の眉毛あたりを指し、懸命に上から下へ手を動かしている。

 私だったらどう演技するだろう……?

 自国を守るため、愛する人と引き離され、自らを人質として敵国に売った姫。

 敵国の王子から愛する人の死を聞かされた時の姫の気持ち。

 悲しさ、苦しさ、悔しさ、寂しさ、絶望、失望、後悔……。

 いや、こんな単純な言葉で表せるような気持ちじゃない。苦しいとか悲しいとか、境目がないような、この世のすべての負の感情が混ざり合ったようなもの。もはや言葉では表せない境地。

 自分の中の自分が見える。

 もう一人の自分が少しずつ姿を変えてゆく。

 あなたは……姫?

「きゃーーー!! 天川あまかわくーーーん!!」

 ハッとして手で額を押さえる。

 どうやらまた別世界に飛んでしまっていたようだ。

 いつもは自分で自分を取り戻さなくてはならないところ、今日はその手間が省けたようだ。大きな声が聞こえてきた方向に目を向ける。

 眼鏡をかけた長身の男子生徒の周りに数人の女子生徒が集まっている。上履きの色を確認する限り、男子生徒も含め、みんな二年生のようだ。人気アイドルの周りに人が群がるような、そんな光景が学校という身近な場所で実際に目にすることができたことに、ある意味感動を覚える。

 ジュリアがその光景に釘付けになっていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「生徒会長というより、もはやアイドルだよねー」

「あ、あなたは……」

「二年の柚木ゆのきけいよ。昨日は名乗りそびれちゃったけど、一応、演劇部の副部長をさせてもらってるわ」

 昨日ジュリアを演劇部に勧誘してきた女子生徒だった。柚木は目の前の人だかりを見ながら続ける。

「天川くん、相変わらず大変そうね。まあ、生徒会長としての仕事をこなしながらも学年トップの成績を維持していて、なおかつイケメンで性格が良くて信頼に厚いとくれば、みんなほっとくわけにはいかないよね〜」

「あの人は生徒会長なんですか?」

「そうよ、一年生から生徒会長を務めているエリートよ」

「一年生から!?」

「うん。彼が生徒会長になってからは、問題児といわれていた生徒たちもすっかり静かになったわ。いじめや喧嘩も少なからずあったみたいだけど、そういえば最近は全然耳にしなくなったかも」

「すごくやり手なんですね」

「意外とああ見えて、そこら辺の不良たちよりも強かったりして……?」

「なるほど……」

 ジュリアは、人だかりの中心にいる天川をまじまじと見る。 

 少しクセのある黒髪をところどころ上手く流して、清潔感のある感じにセットしている。眼鏡をかけていても、顔立ちが整っていることが分かる。周りに群がる女子生徒たちを煙たがることもなく楽しそうに話す姿からは、彼の人当たりの良さが伺える。

 しばらくすると、男子生徒とその取り巻きたちは職員室のある方向へ消えていった。 

(ここの学校の生徒会長は、すごい人なんだなぁ〜)

 心の中で感心していると、すぐ隣から声がかかった。

「そういえば、あなた、なんでここにいるの? 演劇部に入部しないんじゃなかったっけ?」

 柚木の言葉に、昨日の自分の行動を思い出す。ジュリアは女子生徒に向かって勢いよく頭を下げた。

「昨日はごめんなさい! せっかく声かけて頂いたのにあんな風に断ってしまって……」

「ごめんごめん、そんなに謝らないで。ほら、顔上げて」

 柚木はジュリアの頭を無理やり上げさせ、ジュリアの顔を覗き込む。

 ジュリアは顔を背け、口ごもる。

「あの……」

「分かってる。あなた、お芝居が嫌いなわけじゃないんでしょ?」

「え……」

 ジュリアは、背けていた顔を元に戻す。

 自分よりも少し背が高くて、目鼻立ちがはっきりとした端正な顔。肩くらいまでの綺麗な黒髪からは、柑橘系のすっきりとした香りがほのかに香る。一重まぶたから向けられた視線は、驚くほど優しく、何だかすごく安心する。

「見ていて分かるよ。あなたはお芝居がすごく好きですごく大切に想ってる。でもそれを望んではいけないと、自分にかせを掛けている」

 ジュリアの目が大きく見開かれる。昨日話した感じと大分違うことにも面食らったが、これはそれ以上だ。

「理由は分からないし、それについて知りたいとも思わない。でも自分を殺し続けることは良くないと思う」

 自分を殺す? 私が私を殺す?

「それってどういう……?」

 柚木が突然自分の手を勢いよくジュリアの肩に置く。

「それで名前は?」

「あ、ええと、一年三組の真白ジュリアです」

「真白さんね! まあ私はいつまでも待ってるから! 気が変わったら教えてね〜」

 柚木はそう言って手を振りながら体育館の方へ駆けて行った。 

 ジュリアは話し相手がいなくなってからも、しばらくその場にたたずんでいた。

 柚木に言われたことがなかなか頭から離れてくれなかった。


 背中にあるはずの通学用リュックの持ち手の位置を直そうとして……またもや教室に荷物一式置き忘れていたことに気づいた。急いで誰もいない教室に戻り、教科書やリュックを回収し、教室を後にする。

 放課後はいつも演劇部の演劇を見に行くことしか考えていないため、どうしてもその他のことは後回しになり、しまいには忘れてしまう。ジュリアは同じことを繰り返している自分に肩を落とした。

「おい! 聞いてんのか、コラ!」

「……!」

 突如として、響き渡る怒鳴り声。

 階下に向かいかけていたジュリアの足がピタッと止まる。

 ジュリアは恐る恐る声のした方向へ顔を向ける。

 一見して廊下には誰もおらず、静かな放課後の風景そのもの。さっきの声も空耳だと思いたかったが、今日もそうではないようだ。

「テメェ……なめてんのか!?」

「ふざけてんじゃねぇぞ!」

 今日は吹奏楽部の活動がないため、この四階は静まりかえっていた……はずなのに!

(昨日もそうだけど……この学校の放課後って、どうしてこんなに物騒なの!?)

 変なことに巻き込まれないように早く帰ろうと自分に言い聞かせ、固まっていた足を無理やり動かし、階段を降りようとしたとき、聞き覚えのある声が聞こえる。

「ふざけてなんかいないですよ、ただ先輩たちは暇でいいな〜と思っただけですよ」

「思っただけじゃなくて、口に出てるんだよ!」

紗月さつきくん!?)

 驚いて振り向き、美術室の方へ静かに向かっていく。

 開いていた美術室の扉に張り付き、そーっと中を覗いてみる。 

 美術室後方、準備室や黒板とは反対の壁際に三人の男子生徒が立っている。そして奴らが囲んでいる中に紗月がいた。紗月の横にある木の椅子は無惨に倒れており、その側には油絵の具やパレットが散乱していた。紗月が製作中の作品は、かろうじてイーゼルから落ちることなく無事なようだ。

 紗月を囲む三人は、髪型が長髪だったり金髪だったり変なニット帽をかぶっていたりと、遠くから見ても不良だと分かるような危なそうな雰囲気をまとっていた。

(どうして紗月くんが、あんな人たちに囲まれてるの!?)

 顔を青くするジュリアとは反対に、紗月の声は落ち着いていた。

「あの……もういいっすかね。俺、静かに絵描きたいんで、早く出てってください」

「なにぃぃぃ!」

 悪態をつかれた不良たちの顔はさらに真っ赤になっていく。そのうちの一人で長髪の不良が、紗月が制作中の絵が乗っているイーゼルを思いっきり蹴る。イーゼルがガシャーンと倒れ、支えを失った絵が床に放り出される。

「これが絵かよ? まるで落書きだな。俺がもっと芸術的にしてやるよ!」

 床に落ちた絵を、ニット帽の不良が踏みつけ始める。勢いよく踏まれたキャンパスは見る見るうちに破けていった。それを見ていた他の不良たちも声を立てて笑う。

「おおお! さっきよりも良い作品になってんじゃん!」

「この破れ具合、良い感じに芸術的じゃね?」

 ハハハハハ!

 大きな笑い声が美術室に響き渡る。 

 中の様子をうかがっていたジュリアは、思わず両手を握りしめる。

(ひどい……。紗月くんが時間をかけて魂を込めて描いていた作品を、あんな風に壊すなんて。……許せない!)

 紗月は俯いている。ここからではよく様子が分からないが、心を痛めているに決まってる。

 勝ち誇った方な笑みを浮かべながら、金髪の不良が紗月の胸ぐらを掴む。

「これで分かっただろ? 俺たちに喧嘩を売るってことはこういうことだ」

「……」

(何か……何か方法はないの? あいつらをここから追い出す方法が……)

 ジュリアは必死に頭を巡らす。が、何も思いつかない。

 何もできないやるせなさからや苛立ちから頭をぐちゃぐちゃとかき混ぜる。

(どうしよう、何も思いつかない……。やっぱり急いで職員室から先生を呼んでくるしか……あ!)

 ジュリアの頭にある考えが浮かぶ。そしてすぐに立ち上がり、急いで4階から1階まで駆け降りる。体育館からちょうど出てきた演劇部副部長の姿を見つけ、ぶつかる勢いで服の袖を掴む。

「真白さん! そんなに急いでどうしたの? もしかして早くも気が変わった?」

「柚木先輩! お願いがあります!」

 ジュリアはぜぇぜぇとする息を整えながら、声を絞り出すようにゆっくりと口を開いた。

 

 


 

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