任務:徳妃の色香を抑えよ⑥
母はもともと王宮に仕える宮女で、国王の気まぐれで手がつきハリシャを身籠ったことから側室となった。
くわえて男尊女卑の根強い国でもあった。
宗教上の慣習から女性は人前で肌をベールで隠し、家族以外の男性の前に姿を見せない。女性だけでは病院にも行けず、幼児婚などの悪習もあった。
そんな国で生まれたハリシャ。幼い頃から母譲りの美しさは群を抜いていたが、境遇はきびしかった。父である国王とは年に一度顔を合わせるくらいで、それ以外は自分の宮から出ることすら許されない。
まるで
特にルミラという8歳年上の乳母娘を姉のように慕っており、彼女に本を読んでもらう時間が何より幸せだった。
しかしハリシャが13歳の時、彼女を閉じ込めていた鳥籠がとつぜん開かれた。
当時香辛料の貿易で功績を上げた豪商人へ、王家の財と一緒に下賜されることになったのだ。つまり結婚だ。
生まれ育った宮殿を離れることに、さすがのハリシャも寂しさを感じた。けれど幼い頃から我慢することには慣れていたし、拒否できる立場でないことも分かっていた。
王宮を出る前夜ハリシャは家族同然のルミラと涙ながらに別れを惜しみ、ふたり手を繋いで眠った。
そんな彼女が夫となる男を初めて見たのはその翌日、つまり輿入れ当日だった。
相手の男は商家の次男、30代半ばで既に側妻を数人抱えていた。大きな体に髭をたくわえた無骨そうな男は、13歳の少女の目には何か得体の知れない生き物として映った。
そしてこれまで彼女の心の中でおぼろげにあった"予感"が、形と質量をもち始めるのを感じた。
新しい住まいは王都にある豪邸。王女のハリシャは正妻として迎えられた。
しかし嫁であることには変わりない。外出は許されず、かといって家事をすることもない。
彼女に望まれたのは、田舎の塩売りから成り上がったこの商家に王家との血筋をつくることだけ。
宮殿の外の生活もしょせんは鳥籠が移動しただけにすぎない。ただ違うのは、心の拠り所だったルミラがこの鳥籠にはいないこと───結婚生活は孤独で退屈で、苦痛だった。
それでも文句一つ口にしなかったのは、女の人生が"こういうもの"だということを痛いほど知っていたからだ。
しかしある夜、いびきをかく夫の横で天井を眺めていたハリシャはふと、ルミラと過ごした最後の夜を思い出した。
ルミラの涙、握った手の柔らかさと温もり────思い出が次々とよみがえり、寝台の中でハリシャは胸を押さえ両目から涙をこぼした。
郷愁の悲しみとともにハリシャの胸を締め付けたのは、体の奥が泣き叫ぶような、生まれてはじめての感覚だった。
『女は……男と結婚しなければいけないの?女同士はだめなの?』
むかしルミラにそうたずねたことがあった。
その時読んでもらったのは美しい姫が主人公の物語。姫は勇敢な女騎士とともに悪の手から逃れ、最後は隣国の王子と結ばれ幸せに暮らした。
ハリシャにはそれが理解できなかったのだ。
なぜ姫は、意気投合し苦楽を共にした女騎士を選ばないのかと。
素直に問うハリシャにルミラはいっしゅん驚きの表情を見せ、それから優しくほほえんで彼女の小さな体を胸に抱き寄せた。
『そんなことはありませんよ。ただ、子をなすことはできません。子供は愛し合う男女の間にだけできるのですから』
泣きながらその言葉を思い出したハリシャは気づいた。
今隣にいる男と自分の間に子は決してできない。結婚生活などできないと。
「できない」というのは「したくない」よりも「不可能」という意味合いが強かった。
あの頃から感じていた"違和感"────妻として暮らす中で少しずつ膨れ上がっていた"予感"が、今はもうごまかしきれない形で目前に迫っている。
───私は男を愛せない。
それは私が世間知らずだからではない。
心から愛しているのは世界でただ一人、姉妹のように育ったルミラだけだ────
その答えにたどり着いた時、驚きと同時に目の前がぱっと開けたような感覚があった。
翌日、理由は言わず1日だけの里帰りを申し出たハリシャ。
王宮へ戻るなり母に訴えた。
自分は同性愛者ゆえ、生涯子を産むことはできない。せめてあの家を離れルミラのそばにいたい。宮女でも良いから王宮に戻してほしいと頼み込んだのだ。
母に頼みごとをしたのはこれが初めてだった。
しかしそれは断固として拒否された。
話を聞くなり母は真っ青な顔でハリシャの頬を強く打った。床に倒れた一人娘にむけられた眼差しは、まるで目の前に悪鬼でもいるかのようだった。
ハリシャは知らなかった。
それに加え母の王宮での立場は想像以上に危うかった。一人娘の豪商との縁が彼女の立場を支える命綱だったのだ。
必死に商家へ帰そうとする母と嫌がるハリシャが言い争っているうちに、騒動は嫁ぎ先の商家と国王の知ることとなる。
けっきょく商家からは離縁されハリシャは王家の面汚し、文字通りの”罪人”となってしまった。
罪人は王家との縁を切られ母娘ともども城から追い出されるのが常だが、ハリシャはまだ若いことから「治療の余地がある」と判断された。
同性愛は罪であると同時に病や呪いの類いとされ、この国では矯正治療が行われる。
ハリシャは王都の外れにある矯正施設へ送られた。
寺を改装した施設にはハリシャの他にも同世代らしき患者が10人ほどいた。
おそらく皆少女だろうが正確には判断できなかった。
全員髪を剃られ虚ろな目をしていたからだ。
そこでハリシャが生まれて初めて受けた「治療」、それは呪術師による人格矯正だった。
矯正する為にはまず破壊、つまり自己否定から始まる。自身の罪深さと愚かさを書き連ね、毎日唱えた。
同性愛者が地獄に落ちる物語を読み、その心に潜む邪がどれだけおぞましいかを植え付けられた。
頭から冷水を浴びるなど、肉体に苦痛を与え邪気を出す方法もあった。
マインドコントロールを促進させるため食事の量もわずかだったという。
思春期の少女たちにはとても耐えられるものではなかった。
半年間の矯正が終わる頃、残っていた患者はハリシャを含め6人だった。
心身を病んで手が付けられなくなった者や、ついには自室で首をつってしまった者までいた。
ハリシャ自身もその期間を含む1年間は月の物が止まっていたという。
ハリシャが王宮へ戻された頃、宮女として働いていたルミラは遠く辺境の地へ嫁いでいったと聞かされた。
結婚前夜以降、とうとう顔を見ることさえ叶わなかったルミラ。
幼いハリシャに同性愛者の罪を説かず、あまつさえ誘惑したとみなされた彼女が本当にただ嫁いで行ったのかは定かではない。
ハリシャは王宮の外れにある離宮で軟禁生活をおくったが、まがい物の治療によって人格や性的指向が矯正されたわけがない。
変わったのは感情が希薄になったことと、時おり地獄のような治療を思い出し激しい胸の苦しみや焦燥感に襲われること。
生きることに喜びや目的もなく、ただ己の犯した過ちや愚かさをかみしめながら数年を過ごすうち、覇葉国への輿入れの話がやって来た。
閉鎖的な
この流刑のような輿入れをハリシャは受け入れた。
異国の妃は子を望まれない。自分にはちょうど良いのかもしれない。
尼寺に入ったような気持ちで、鳥籠のなか静かに生きていこう。
そう誓ったハリシャが覇葉国におもむいてみれば、扱いは上級妃、子も望まれる立場で────。
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