任務:徳妃の色香を抑えよ①
任務:徳妃の色香を抑えよ①
今向かっている徳妃のお屋敷は
ちなみに蝋梅とは、冬に黄色い花を咲かせる梅の木らしい。
「妃嬪の宮はみな花の名前がついているんですね。王妃様のは違った気がしますが」
となりを歩く紫雲さんに話しかけるだけで、口から白い息がこぼれた。
足元では草に貼りついた霜がシャリシャリと音を立てている。
徳妃との面会を急ぐつもりが、スキャンダル調査やら謹慎やらで足止めをくらう間に季節もめぐってしまった。
「王妃様は
後宮のお屋敷は基本的に主が変わるごとに新しい名がつけられるらしい。ただ鳳凰宮だけは特別で、名は代々引き継がれるのだそう。
「陛下が妃嬪のもとへお渡りすることを"花を愛でる"と言いますから、その可能性のある宮には花の名前がついているんです」
屋敷の庭にはその名にちなんだ草木が実際植えられていて、かつてはその日最も美しい花を咲かせた宮で夜を過ごす国王もいたという。
文字通り"花を愛でる"という粋なふるまいに思えるが、じっさい庭で花を育てる女官らの苦労は計り知れないだろう。
「でも、咲く花なんてほとんど季節に左右されてしまうのでは?温室なんか無いだろうし」
これではせっかくお気に入りの妃嬪ができても、花のせいで翌年まで通えないなんてことになりかねない。
そう素直に疑問をぶつけると、紫雲さんは唇を薄く上げて言った。
「だからこそ平等に色んな女性のもとへ通えるのですよ。花のせいにすればお渡りできない妃にも角が立ちませんし。
「………なるほど」
「その国王はただの好き者ともいえますし、見方を変えれば名君ともいえるでしょうね」
大勢の妻を抱える国王という存在を私はどこか、気分だけで女をとっかえひっかえする好色漢という色眼鏡で見ていたらしい。
「それで、これからお会いする
何とも聞き捨てならない
「今までもじゅうぶん異色揃いだった気がしますか!?」
これまで会ってきた個性的すぎる妃たちが頭の中によみがえってくる。
紫雲さんはおだやかに笑った。
「そうですね。だからこそ徳妃は異色と言えるのかもしれません。何せこれといって問題が見つからないのですから」
「問題のない妃ってことですか?」
「無いこともないとは思うのですが……」
あいまいな表情でうなずかれ、私も同じようにうなずき返す。
「まあ、これを作らせるくらいですしね」
私は
陛下にこれを飲ませようなんて普通の女性ならまず考えつかない。
徳妃とは一体どれほどの魔女……というか魔性の女なのだろうか。
「トウコさんにはぜひ彼女の問題を見つけてほしいのです」
少しの重圧を感じながら私は
「「────お待ちしておりました」」
出迎えてくれた侍女さんたちは、首や顔回りを厚手のベールで覆っている。皆が整列してこちらへ頭を下げる姿は統一感があって美しい。
徳妃の出身である
そして徳妃の部屋に近づくにつれ、独特の香の匂いがただよってくる。
むろん他の宮でも香は焚かれているのだが、ここのはちょっと違う。
甘くて官能的な、でもどこかで嗅いだことのある……あれだ、アジアン雑貨店の匂いだ。ゾウの置物でも売っていそうな。
薄暗く
緊張しながら足を進める私たちの前に現れたのは、一人掛けのソファの上にたたずむ女性。彼女は肘掛けにしなだれるようにして座り、視線は窓の外を向いている。
濃い紫色の衣装をまとった秀徳妃は、庭で小さな花を咲かせる
「
紫雲さんが声をかけると徳妃はこちらに気づき顔を向ける。
私たちは彼女の前に
「紹介いたします。こちら、以前お話しした語学堪能な女官です」
あえて"女官"と紹介されたのは、今日の私が下賜品の宦官服を着ているからである。
私は拱手して頭を下げた。
「トウコと申します。陛下と徳妃様の仲を深めていくため、お力添えできましたら幸いです」
「……そう。わざわざありがとう」
心ここにあらずな表情と抑揚のない声に、私は出会った頃の陛下を思い出した。
周囲の侍女さんたちは私の流ちょうな
「寒い中ご苦労だったわね。かけてちょうだい」
私は侍女さんが持ってきた椅子に腰かけ、改めて秀徳妃と対面する。
徳妃は少し褐色ぎみの肌に濃い眉、くっきりした目鼻立ちのエキゾチックな美女だった。
少し気になったのは、徳妃自身はベールを被っていないことだろうか。
濃い紫色の上衣に胸の下から足先まで伸びる渋い黄色のプリーツスカート、透け感のある紫のショールはゆったりと二の腕にかかっている。
襟元は深いVネック…というかUの字にざっくりと開いて、豊かな胸の谷間が
赤や青のきらびやかな宝石があしらわれたアクセサリーも彼女の容姿をいっそう魅惑的なものにしており、外見はまさにファム・ファタール(魔性の女)そのものといった感じだ。
「陛下は、今日もいらっしゃらないのね」
徳妃は私たちの顔を一通りながめると、ため息をついてまた窓の外に視線を移す。悲哀の
庭の
私たちの背後に控える若い宦官たちは、顔を伏せたまま時おり徳妃の姿(特に胸元)を目線だけでちらりと見ては頬を赤らめている。何とも思春期男子らしい反応である。
「ええ。やはり公務が立て込んでおりまして」
いっぽう女の谷間など歯牙にもかけない様子の紫雲さん。
彼の口からわざとらしい言い訳が出たところで、私からも徳妃に話しかける。
「以前陛下と2人でお話しされたと聞きましたが、どのようなご様子でしたか?」
徳妃はこちらを向きなおす。
彼女の瞳は色素が薄く、青みがかったグレー。私はかつて本で見たムーンストーンという宝石を思い出した。
「そうね……陛下は口数少なかったけれど、穏やかで優しい方だったわ。祖国の話を楽しそうに聞いてくれた。だけど食事が終わると、政務が残っているからとすぐ帰ってしまわれたの」
秀徳妃は陛下と同じ18歳で、入宮当初から四夫人で唯一陛下の来訪を拒んでこなかった。
それゆえ陛下は過去に一度だけこの
本来であればそのまま朝まで過ごすはずが、陛下は食べ終えるとさっさと屋敷から出ていってしまったという。
「やはり私にどこか至らない点があるのかしら……」
秀徳妃はまた悩ましげにため息をつく。
その訪問を最後に陛下は一切この宮に近づかなくなった。紫雲さんらがそれとなく徳妃の話題を出しても話をそらされてしまうらしい。
「そのようなことは無いと思いますよ」
紫雲さんが慰めの言葉をかけると、普段から徳妃に仕える侍女さんたちもうんうんとうなずく。彼女たちの様子を見る限り、徳妃は性格に裏表があるわけでもなさそうだ。
一見"魔性の女"のような徳妃だが、実際に話してみるとごう慢な感じも無い。内面はとても繊細で健気な女性のようだ。
「ああそうだ。こちら、
私は懐から包みを出す。徳妃が橙さんに頼んだ媚薬だ。
「……効果は折り紙付きですよ?」
場を和ませたいのか、横から紫雲さんがいたずらっぽい眼差しをよこした。
「………」
そんな彼を横目に、私は何とも言えない気持ちになる。
こんなことならさっさと明かしてしまえばよかった。「あなたは媚薬なんて飲んでませんよ」と。
「ありがとう。これを使う日が来れば良いのだけれど」
徳妃は貼り付けたような微笑みを浮かべ包みを受け取った。
彼女の言うとおり、どれだけ効果的な媚薬があっても当の陛下が来なければどうしようもない。
改めて秀徳妃の姿を見てみると、豊満な胸にほっそりした腰────この容姿ならば媚薬など必要ない気もするが。
衣装のチョイスからしても、彼女自身も女としての自分の"武器"をよく分かっているのだろう。
そんなことを考えながら、私は橙さんに言われた媚薬の注意事項をいくつか説明する。
「────あと、生薬の関係で独特の酸味がありますので、陛下にこっそり飲ませるのは難しいかもしれません。あらかじめ尚食に伝えて
「ああ、それは別に……」
「?」
「いえ、そうね。そうするわ」
その時、静かだったブルーグレーの瞳が一瞬泳いだように見えた。
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