雨竜の首

覇葉城に久しぶりの雨が降った。


この国はあまり雨が降らない。というか日本が多すぎたのかもしれない。


「雨の日は『雨竜うりゅうの首』を見に行くと面白いですよ」と女官ちゃんに言われていたので、さっそく傘をさして桃華宮を出た。


向かう先は後宮でいちばん大きな建物、陛下が暮らす清龍宮だ。

ただ私が足を運べるのは清龍宮の裏側(後宮側)のみ。ここは陛下が日常生活や事務仕事をする寝殿となっている。

そして表側は大臣たちとの面会や朝議などまさに表の仕事を行う正殿で、基本的に女は立ち入れない。


赤い壁の荘厳な御殿は、白い大理石の台の上に建っている。

その大理石の土台の側面には、外側に向かって龍の頭がたくさん突き出している。

龍の頭の形状は、ちょうど日本のお城のシャチホコみたいだ。


今日はその龍たちが、口から水を吐いている。

実は大理石の土台の表面は緩やかな傾斜になっており、雨の日はそれに沿って流れた雨水が、外側にいる龍の口から放出される。

そうすることによって、寝殿の床が水浸しになるのを防いでいるのだ。


機能性と景観を両立させている、なかなか素敵なシステムだと思った。



「……トウコ?」


名を呼ばれ振り返ると、黒い衣の青年が傘をさして立っている。


「陛下!」


憂炎陛下だった。

彼の後方には宦官が2人、微妙に離れた距離で控えている。


私は傘で片手が塞がっているので、とりあえず腰を屈め頭を伏せる。

こういうマナーも、以前より少しは身に付いた気がする。


「今日は青藍さんはいないのですね?」


いつも側にいる長身の青年がいないのを不思議に思った。


「私は雨の日、決まって1人で散歩するから」


陛下の場合、"2人の従者が近からず遠からず見守る"というのが精いっぱいの"1人"なのだろう。


「雨がお好きなんですか?」とたずねると「安心するからだ」と返ってきた。


「へえ…?」


やはり雨が少ない国の人は、日本人と感覚が違うのだろうか。

私なら今日みたいに何か目的がなければ、雨の中外に出ようとは思わない。


「私はこの龍を見に来たんです。そういえばこの城って龍のデザインが多いですよね。守り神的なものなんですか?」


私は雨竜の首を指さし聞いてみた。


陛下は、口からごうごうと水を吐き続ける龍を見つめながら言う。


「龍は……恵みの雨をもたらすからだ。そして覇葉国では、その龍が王の祖先だと言われている」


「え、そうなんですか?陛下の祖先が……」


そういえば日本の天皇も天照皇大神アマテラスオオミカミの子孫と言われてるし、どの国の主も元を辿れば神話につながるのかもしれない。


陛下はこくりと頷いた。


「だからこの国の天候は、全て国王の持つ徳や手腕が左右すると言われる」


「雨も晴れも、台風とかもですか?」


「ああ。天災もすべて国王のせいだ」



天気予報の無い世界では、天候というのはそんなに神秘的なものなのだろうか。


そう考えていると、陛下の表情がだんだんと曇っていく。


「日照りや天災が続き作物が枯れ、民が苦しめばそれは国王のせい。龍の末裔まつえいとしてふさわしくないから、天が怒っているのだと───」


急に雨音が激しくなる。

雨が陛下の声をかき消そうとしているようで、本当に天に意志があるのではと思いそうになる。


だけど憂炎陛下の声は一言一句私の耳に届いた。


「そのような場合王は失脚し、処刑された。相応しくない者を国の主とした罪を償い、天へ許しを乞うのだ。王の首がその供物くもつとなる」


「そんな……」


ショックで続く言葉を失った。

……もしかして、憂炎陛下もいずれそうなる可能性があるのだろうか。


そう思うと目の前にある無数の龍の首が、とたんに恐ろしいものに見えた。

この何百もある龍の首の上で、歴代の王は何を思い毎日過ごしていたのだろうか。


私がうつむき青ざめていると、陛下が穏やかな声で続ける。


「今は大丈夫だ。皆、国王もただの人だと、口にはしないが分かっているから」


処刑こそされないが、災害が原因で退位を迫られたり自ら退くケースはあるそうだ。



「でも、やはり────」


そう呟きながら、陛下は傘を後ろに傾け天を仰ぎ見た。


「雨の日は安心する。自分がここにいて良いのだと思う」


「………」



言葉が出なかった。

雨足はゆるまないのに、耳に届く音だけはぼんやりと遠くなる。


ここは私が生きていた世界とは違う。

陛下と私の間には厚い壁がある。

その事実が重く冷たく肩にのし掛かる。



「あの────」


何かを振り払うように私は顔を上げた。


「私の国の主も、太陽の女神の末裔だと言われているんです」


「……そうなのか」


「私の国はもっと雨が多くて……でも地震とか天災も多いんですけど、それを誰かのせいにはしませんよ。そういう時こそ、国の主の存在が民の希望になっています」


この言葉が陛下の慰めになるかは分からない。むしろ傷つけてしまう可能性だってある。

だけど他に言葉が見つからなかった。


「……そうか」


陛下は傾けていた傘をまっすぐに戻し、こちらを見た。

濡れて束になった前髪がおでこに貼り付いている。


「よい国だな、ニホンは」


陛下は微笑んで、いつかと同じように手でピースする。


「いやだからニ本じゃなくて日本…」


そう言いかけて気づいた。

場を和ませてくれたのかもしれないと。

私が、怯えていたから。



────なんだこの人、めちゃくちゃ優しいじゃないか!


……ていうか本当に18か?日本だったら高校生だよね?



顔は少年のようだし、言動も子供みたいな時あるけど


やはり人の上に立つべき人物なのだと実感した。



「……陛下、そろそろお時間です」


いつの間にか近くにきていた宦官が、頭を下げながら言う。


「ではな、」


そう言ってきびすを返した陛下の後ろ姿を目で追う。


黒い衣の背には銀糸で龍が刺繍されている。

龍の衣は国王と王妃しか着ることを許されないのだそう。


彼が背負うものの大きさは、私なんかには到底計り知れないことを知った。




数歩歩いたのち、陛下がふと立ち止まって振り返る。


「そういえばトウコ、イッポンという国の主はどうだ?一体何の神なのだ?」


「………」



あれ、何か違ったかな───


************************************************


【こぼれ話】


「雨竜の首」は北京の紫禁城に実在します。

テレビで見て面白いなと思ったので、龍の逸話を捏造して覇葉城の後宮にも取り入れてみました。

北宋の後宮にもあったのかは分かりません。時代が混在してしまいますが、そこはファンタジーということで……。

いつか本物を見てみたいです。

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