宦官の秘密②

宦官の秘密について聞かされた私は、その衝撃的な事実に驚きつつも、いまだ現実味のない感覚を味わっていた。


そんな私を紫雲さんは真横からたのしげに見つめている。


「そういえば、トウコさんが召喚された時のこと覚えてますか?」


「はい」


「あの時のあなた、見た目は女性でしたけど腰に長い紐が垂れ下がっていたので、もしかして宦官の可能性もあるかと思って。それで『男と女どちらですか』と聞いたのですよ」


私は召喚された日のことを思い起こす。

確か推しの舞台で、勝負服の────


「────あ、あれは!ワンピースについてたリボンですよ!失礼な!」


確かに蝶々結びがほどけて不格好に垂れ下がっていたけれども……。


「あはは、すみません。そのワンピースという服も初めて見たもので」


口元を手で押さえて笑う紫雲さん。


「なので私たち宦官は、職務時間外は宦官でなくなるとも言えますね。本当は覇葉城にいるうちは、他の官吏と区別するため宝具パオジー装着が決まりなのですが、まぁその辺は寛容に……」


「へぇ」


去勢撤廃も含め、この世界にも"働き方改革"のようなものがあるのだと私は素直に感心した。


「実は宝具については、史実として書き記すべきか悩んでいるんですよ。後世に伝えた方が良いと思います?」


「うーん……」


危険な去勢を撤廃したというのは素晴らしい事だとは思う。

けれど宝具についてもし授業で聞かされたとしたら、やはり男子達は下を向くしかないだろうな。


そんな風に思考を巡らせながらも、視線はつい紫雲さんの腰から垂れるひもに向いてしまう。


「……あの、着けてて痛かったりしませんか?その、宝具というのは」


「時には窮屈きゅうくつに感じることもありますが、慣れれば問題ありませんよ」


かなり不躾ぶしつけな質問をしたはずが、紫雲さんは全く気にする様子がない。それどころか楽しそう。


「へ、へえ~」


しかもさっきから妙に顔が近い。そして笑顔があやしい。あやしくてあやしい。

以前夜伽よとぎの話をした時のような、含みのある笑顔だ。

どうも私の反応をからかって楽しんでいる気がしてならない。


「あの……ちょっと、近くないですか?」


気づけば私は長椅子の端ギリギリまで追い詰められて、手すりに体重を預けている。


「………」


それでも紫雲さんはじりじりと寄せ続ける。後宮の女たちをとりこにしてきたであろう美しい顔を惜しげもなく。


とうとう互いの吐息が触れる距離まで迫った時、彼は私の耳元でそっと囁いた。



「トウコさんに大事なことを言い忘れていました。万が一、宦官から危険な目に合いそうになった時は、相手の紐を思いっきり引いてくださいね。そうすれば────」


「そ、そうすれば……?」


「"本物の宦官"になります」


「ひいっ!」



背筋にぞくっと寒気がして思わず悲鳴を上げた。


何と恐ろしい話だろうか。

これ聞いたら稲川淳二だってひっくり返るんじゃないか?


そんな恐ろしいものをぶら下げて、彼らはなぜそこら辺を涼しい顔で歩けるのだろう。

喪女の私にとっては凶器に凶器を被せたダブル装備である。


そして、よくそんな凶器が服の中に収まるものだ。


「そ、それ一体……どんな仕組みなんですか」


震える声で私がたずねると、紫雲さんはうーんと頭をひねる。


「難しいですねぇ。あの色、形、質感……どれも言葉では言い表せないものばかりで……」


顎に手をやり思い巡らす紫雲さん。その外面はあくまでも上品で麗しい。


しかしワードのチョイスはそれで良いのか?と内心ツッコんでいると


「よければご覧になりますか?」というダイナマイト級パワーワードをぶっ放したのち、自分の帯に手をかけ始めた。


「いいえ結構です!!」


私は首を左右にブンブン振る。


「そんな遠慮なさらずに。いま周りに誰もいませんから、さあ今のうちに……」


"周りに誰もいない"───それ余計に危ないのでは……


「私とトウコさんの仲じゃないですか」


「どんな仲!?」


────前言撤回。


"そんな状態"で女に迫れるメンタルの持ち主が、目の前に存在した。



私の脳内では、心身の危険を知らせるサイレンが鳴り響く。パトランプも点滅中。


まさにこういう時のことを言うのだろう。

例の紐を引く時というのは。


いや、私なんかの一存で紫雲さんを"本物の宦官"にするわけにはいかない。


とにかく「ニゲロ、イマスグ」と全身が叫ぶ。



「ま、また今度!!今度見せてください!!ね!?」



私は大声で叫びながら、両手で思いっきり紫雲さんの肩を押しのける。


上背のある彼の体を私が押し返すのは不可能だと思われたが、そこは火事場の馬鹿力ってやつだ。


彼が驚いたように仰け反った隙に私は立ち上がった。


「では!!失礼します!!」


そのまま一度も振り返らず、一目散に走って執務室を飛び出した。



*   *   *



「────うわっ!」


部屋を飛び出してすぐ、廊下で誰かの胸にぶつかり、私は勢いで尻もちをつく。


「何だ貴様か。気を付けろ」


視界には水色の衣───青藍さんだ。


「すみませ…」


床に尻をついたまま顔を上げると、まず視界に飛び込んだのは彼の───下半身。


腰には黒い紐が2本。


ああそうか。この人も、あそこに宝具を………


「あ、あの……」


「?、何だ……紫雲の所で何かあったのか?」


紫雲さんに話を聞かされていた時、"それ"はまだ何となく現実味がなかった。

たぶんあの人の雰囲気がどこか浮世離れしているせいだろう。

"それ"自体ではなく、彼自身の性を超えたあやしいオーラにやられてしまっていたのだ。



だけど今、青藍さんの腰に紐を目の当たりにして、私の中で"それ"がとたんに現実味を帯びる。


青藍さんは私が召喚された時も、一緒に馬車に乗っていた時も、ずっとアレを装着していたのだ。


私に説教してた時も、私が土下座した時も、陛下の側でも、ずっと───


あらゆる場面を回想して私の顔は燃えるように熱くなる。



「ごごごめんなさい!!」


「おい、だから走るな…」


「ーーーーーーっ!」



青藍さんに頭を下げて、そのまま顔を上げず私は走った。

仏殿を出て、後宮の長い回廊を。


そして私は自覚した。


あの偉そうな丸眼鏡も、あそこに立ってる屈強な門番も、卑屈そうな従者も、可愛らしい坊主も、みんな、みんな………切除なんかしてなかった!!普通についてるんだアレが!!


そして宝具パオジーって何!?毎日自分の手で装着してる!?


どうして時々窮屈になるの!?そして紐を引けば……!?


やばい。やばすぎるよ後宮……


ここは女の園なんかじゃない、男達による禁欲の楽園だ────


脳内でBL本の帯が量産されてしまう。



「うわあああーーーーーー!!!!」



回廊を出ても私はまだ走っている。花々が美しい庭園を、そこにかかる小さな橋を。



自慢じゃないが、私はリアルな男性の局部を見たことがない。

だからこんな時も思い浮かぶのは二次元だ。白黒の劇画タッチだ。ついでにガチムチだ。描き込みが凄い。


二次元のはずなのに顔には三次元の紫雲さんや青藍さんが、微塵の違和感もなくハメ込まれている。


ちなみに後ろは……後ろはどうなってるの!?後ろはオープンなの!?


そのうち脳内の宝具劇場には、何の関係もないはずの憂炎陛下まで登場してくる始末。



「やめてええええーーーーー!!!!」



私の叫び声は後宮中に響き渡り、陛下のいる清龍宮まで届いていたという。



*   *   *



私はフラフラになりながら桃華宮へ戻り、そのまま寝台へダイブした。

そして疲労から泥のように眠ってしまった。



夜になり、夕食の時間になって女官ちゃんに起こされた。

目が覚めた時にはすっかり冷静になっており、とてもお腹がすいていた。


夕食に豚の角煮を完食した後、仏殿からお菓子が差し入れられていた。


『今日は脅かしてすみません。あなたの反応が面白くてつい。でも嘘は言ってませんからね』という手紙とともに。


なるほどあの性格で女から嫌われないのって、顔のせいだけじゃないんだと感心する。


私の方こそ、あんなに取り乱した上に仕事放り出して……申し訳なかったな。明日謝ろう。



せっかくなので女官ちゃんにお茶を淹れてもらい、お菓子をいただくことにした。



格子窓の側に置かれた椅子に私は腰かける。

月がくっきりときれいな夜だった。


私は夜空を眺め大きくため息をついた。



────まったく人とは不思議なものだ。


そこに本来あったはずのものを、失ったと聞けば心底不憫ふびんに思えたけれど、やはり存在すると分かれば、それは普通に戻っただけなのに、何故こんなにも恐ろしかったのだろう。


いや本当に恐ろしいのは元来存在しないはずのあの宝具で、それすら私は色も形も知らないというのに。


男達の腰にぶら下がるあの2本の紐が私には、時限爆弾の赤青コードのように見えてしまう────



そんなことを思いながら私は三日月を眺め、串に刺さった団子を頬張った。

************************************************

お読みいただきありがとうございました。

キャプションに書いた「宦官の秘密」はこれでした。


おそらく本作中最もふざけている話が今回かなと思います。

これ以上はないのでご安心いただければと思います。



もし気に入っていただけましたら、フォローやコメント評価などいただけたら嬉しいです。

今後もよろしくお願いいたします。

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